月曜日から雨となっていた。シトシトと降り続ける冷たい雨は、雪の到来を告げようとしていたのだろう。裸木となった自宅近くの公園の木々は寒々とし、風の冷たさも増していた。そして師走を迎えた今日1日、初雪を迎え、風景は一面の雪景色の朝となった。習慣となった朝の散歩は防寒着に傘を持ってだが、いつもすれ違っていた人たちの姿も寒さが増すと共に次第に少なくなった。夜明け前の真っ暗な道をビニールのカッパを羽織った小犬のパピーと妻、そして自分の小さな家族が今朝も歩いた。
このごろ、小犬のパピーに叱られっぱなしだ。犬でも怒っている時は目で分かる。目に怒りがこもっているからだ。目は口ほどにモノを言うということわざがあるが、動物も目で語る能力を持っているんだと感心する。
小犬のパピーが怒るのは、自分のハウスにもなっているケージのドアが閉じられたままの時だ。ケージにはパピーのベッドと専用の水飲み下げられており、ケージのドアが閉められているとパピーは水も飲めない。朝、パピーを散歩に連れ出す時はケージの上から抱き上げ、そのまま外に出るため、ケージのドアを開けておくのを時々、忘れてしまう。そうするとパピーにとって、散歩から帰って喉を潤そうとしても水も飲めない。
こちらは朝の役目を終えたとばかりにパピーの汚れた足を洗うと居間の籐椅子に座って新聞に目を通しているのだが、ケージのドアが閉じっぱなしになっているとパピーが自分の足下に来て盛んに「ワンワン」と吠える。最初は何のことか分からず「パピー。うるさい。今、新聞を呼んでいるから静かにしなさい」と注意するのだが、パピーの吠え方は一向に止(や)まない。こちらもイライラし、パピーを叱る声もボルテージを上げるが、台所にいる妻が「あなた。パピーのその声は、何かを要求してるのよ」と注意する。
そのパピーの目を見ると正に怒っている。そしてその視線は、こちらをにらむと同時に流し目でチラリとケージの方に向ける。これはおかしいとそのケージを見たら、入口のドアが閉じられたままだった。「そうか。パピー。ハウスに入れなかったのか。ゴメン、ゴメン」と謝り、ケージの入口を開けてやると大急ぎで中に入って水を飲んでいる。
朝食の準備をしていた妻も駆けつけ、「パピー。ゴメンね。水を飲みたかったのに気づかなかったのね」と謝り、「あなた。パピーのあの叫び声には必ず意味があるのよ。訴えている時は声が違うから気をつけて」と小犬をカバーする。妻がこうして小犬に愛情を注いでくれるのは嬉しい。お互い一つのものを愛することによって、会話も弾む。わが家の小犬のパピーは二人を支える小さな力持ちなんだと思う。
今年も12月を迎えた。「光陰矢のごとし」と月日の流れの早さを教えられたのは高校時代だった。「だから一日一日を大切に生きろよ」とも言われた。青春の盛りだったそのころ、時の流れは気にすることもなかった。日々の退屈さをいかに克服したらいいのかとその刹那、刹那の楽しさだけを求め、無意味に時の流れに身を任せた。
このごろその時の流れの早さに戸惑い、「オーイ。待ってくれ」と時間を追っているような気がする。仕事をしていてもいつの間にか夕方を迎えてしまったような錯覚を覚え、過ぎ去った一日がとてももったいないような気がするのだ。「一日一日を大切に」という言葉がようやく身に沁みてきた。それだけに朝の目覚め、そして妻と小犬のパピーと一緒に歩けるささやかな幸せを大切に心に刻みたいと思う。
その妻から「12月1日になったら、あなた10年よ」と先日、言われた。唐突な10年という言葉だったので「エッ。なに?」と問いただしたら、「あなたのケンニチが、12月1日で10歳になるのよ」とのことだった。「そうか。もう10年か」と改めて思った。特別な感慨はなかったが、たった一人で運営しているインターネット新聞が10年の歴史を刻んだのかと思うと、こつこつと継続してきた自分を少しぐらいは褒めてもいいかと思った。
そうだった。10年前の12月1日、「秋田県南日々新聞」はインターネット新聞として産声を挙げたのだ。10年前の12月は1日のアクセス数は70件から80件だった。そして今日の午後3時過ぎ、本紙への来訪者は391万人を超えた。最近の平日のアクセス数は4300から4500件にもなっている。もう少し頑張ろう。初雪の日の朝、そう誓った。