寒いはずだと思った。まだ明けやらぬ道を歩き出し、横手川の橋を渡ったら道端の草は霜で真っ白に染まり、木々も樹氷で白い花を咲かせていた。橋を渡るまで無言で歩いた自分であり、妻だった。口を開くとその口から寒さが入り込み、体が凍えるのではないかとさえ思った。洋服を着た小犬のパピーだけはせっせと元気に歩いた。
藤木小学校からの先は一面の田んぼしかない。平野が延々と続く。国道13号や美郷町の街灯の明りだろう。無数の光りが星のように輝いている。そして光りの上に墨絵のような姿で東山が横たわっている。夜明け前の東山はまだ闇の中で眠っているのだろうか。神を宿らせたような粛然とした美しさだと思った。
わらび座デジタル・アート・ファクトリーの海賀孝明さんから、秋田県南日々新聞のために新しく取り付けてもらった「レポートビュー」をこのごろ楽しみに見ている。前回も書いたが、そのレポートでは本紙への新規の訪問者やリピーターの数、そして世界地図が描かれ、地図上での読者のデータも表示される。
取り付けてもらったのは先月20日だが、そのころの海外の読者は中国とマレーシア、それに南太平洋にポツリと浮かんだ島、そしてアメリカでは西海岸、東海岸の都市だけと思っていたが、最近になってパリやロンドン、そしてポーランドの都市などにも読者が散在しているのが分かった。ヨーロッパにもケンニチの読者はいるのかと驚き、その○印がついた世界地図をプリントしては、一人で楽しんでいる。
たった一人で運営しているインターネット新聞。時には孤独感に打ちしおれ、時には誤報はないかと不安におびえ、時には文章を書くという作業に呻吟し、時には虚しさに苦しみ、時にはお会いしたこともない読者からの励ましやお礼のメールに感激し、喜びと疲労感、寂しさを常にクロスさせながらも毎日、新しいニュースを追い続けてきた。
その毎日の積み重ね、そして地域に密着した話題を追って取材し、書きつらねてきたのが海外に住んでいる多くの人たちにも貴重なニュースとして受け止められているのかと思うと嬉しい。それが平日の本紙への訪問者数4300から4500を記録し、海外にまで広がったものと自負している。
それにしても日々、思いを強くするのは体力と気力の減退だ。このごろ特に焦るのは取材中に漢字どころか平仮名さえ書けなくなり、メモを取るのにあわてる。つい数年前までなら相手の言葉を頭に刻み、そのスピードに合わせてメモを取り、原稿をまとめたものだが、このごろでは相手の話す言葉に書く指が追いつけない。
しかも、平仮名さえろくに頭に浮かばない上に記憶力も衰え、メモしたノートを後で見ると自分で書いた文字なのに判読できないという情けなさだ。漢字を書けなくなったと実感したのは10数年前、ペンからワープロに換えてからだった。初めてワープロに接した時はこんなキーボードを指で叩いて原稿を書けるはずがないと笑ったものだが、実際に使ってみたらその便利さに感動した。そして長年、世話になった原稿用紙に「さようなら」を告げた。
ところが原稿用紙から離れて毎日、キーボードで記事を書き始めたら、次第に異変が起こった。取材先で相手の話をノートに記録しようとしても漢字が浮かばなくなったのである。字数の多い漢字ほど頭から次々と消え、あわてた。それでも長年の経験から平仮名でその場はごまかし、どうにかメモは取れた。ところがこのごろでは平仮名でさえ書こうとすると指先がスムーズに走らない。このため下手な字がますます混乱し、自分でも恥ずかしいほど文字が乱れてしまう。
そのミミズが走ったような文字を何とか改善したいと最近、本屋で良く見かける「えんぴつで書く」名作を買い求めた。取りあえず「えんぴつで奥の細道」を手にし、達筆なテキスト文字をなぞりながら書く練習を始めた。少しでも漢字を思い出し、そしてペン字がうまくなればと願いを込めて練習するのだが、三日坊主というあきっぽさが邪魔をする。それに時間にもゆとりを持てず、原稿をまとめるのに夢中になっていると、いつの間にか夜が足を運んでくる。
こうしたこともあって「奥の細道」は記者室の机の上に置かれたままで、手付かずである。何のために買ったのかとその本を眺めては自分のあきっぽさにあきれている。それでも「明日からはせめて一ページは書く練習をしよう」と思い続けているからおかしい。4日朝に真冬の風景を描いた雪もその後は忘れたかのように穏やかだ。ペン字を練習しようとの思い付きも明日には消えるかもしれない。