こちら編集室「正月三が日」(1月5日)

  明けましておめでとうございます。96年12月1日にスタートしたインターネット新聞「秋田県南日々新聞」は今年で11回目の正月を迎えた。特別な感慨はないが、よくぞこの10年間、コツコツと一人で続けられたものだと思った。今年の正月を振り返ってみたい。

  元日の朝は霧が降りた。その霧の中を妻と小さな家族である小犬のパピーと連れ立って歩いた。霧は雪で真っ白な田んぼの上を流れ、アスファルト道路の上をこするように流れた。大晦日の夜は恒例の「紅白歌合戦」をほとんど眠りながら観て、2007年1月1日を迎えた。そして近くの神社に初詣し、今年1年間の安泰と健康を祈った。それから眠りについたため、元日の朝の目覚めは7時近かった。

  いつもなら「正月だ。いっぱいやるゾ」と朝酒を楽しむのだが、今年はなぜか飲む気にならない。これもやはり年齢のせいかと思う。妻には「あなたこのごろ飲み過ぎよ」と注意されるが、「いずれ酒だってそのうち飲めなくなるから、飲みたいと思う今が健康だと思ってくれ」と変な理屈を込めて抵抗していたが、元日の朝、お酒を飲みたいと思わなくなったからやはり体が衰えたのだろう。

  とにかく元日は朝の散歩の後、年賀状に目を通したり、配達された新聞の元旦号を読みながら一日を過ごした。頂いた賀状の中には若いころお世話になった朝日、読売の記者からのものもあった。いずれの方ももう退職し、悠々自適の生活のようで「伊藤ちゃんもそろそろ還暦ですね」と添え書きされてあった。当時の記者仲間では一番、若かっただけに朝日、読売、そしてサンケイや河北、秋田魁の先輩記者たちは自分の将来のことまで心配し、取材のイロハから原稿の書き方までいろいろ教えてくれたものだった。

  60年─。長い時間だったと思ったが、振り返ってみると20代、30代、40代はまさに矢のように通り過ぎたような気がする。50歳になる直前に「これからはパソコンの時代だ」と決断し、パソコンを買い求め、その摩訶不思議な世界に戸惑いながらも多くの人たちの手助けを受けてインターネット新聞を始めた。それからの10年もあっと言う間に過ぎ去った。

  正月2日は妻を誘って、横手市のホテルで少しぜいたくな昼食を楽しんだ。レストランのムードも落ち着いており、ささやかなステーキだったが、妻と向かい合わせの正月らしい雰囲気を味わえた。食後はデパートをブラブラした。「アタシ。福袋は買わないわ」とデパートに入る前にそう心構えを述べた妻だったが、ブラリと入った洋品店に飾られた洋服のセットに誘われ、「アタシ。お正月してもいい?」とこちらを振り返って微笑んだ。「ああ。ほしい物だったら買ったらいい」と勧めた。正月である。買い物をする楽しみも味わうべきだと思った。

  自分だけ欲しいものを買ったことで気がとがめるのか、妻は次のデパートに入ったら盛んに男物のコーナーを周り、コートをいろいろと品定めした。自分も気に入ったものがあったら買いたいと思ったが結局、欲しいものもなく、ただブラブラするだけで終わった。  しかし、そのブラブラだけでも楽しい。多くの人が行き交うデパートの中は一種の祭りのような賑わいがあり、視線を楽しませる。輸入品のコーナーに入って高価なハンドバックや財布、装飾品の展示を観ているだけでも目と頭の中には素敵な刺激があって、その波長が心を弾ませる。行ったり来たりの往復の繰り返しをしているうち夕暮れが迫った。

  「パピーが待ってると思うから、そろそろ帰ろうか」と妻に袖を引かれ、外へ出た。車の中でパピーは眠りながらジッと待っていた。正月2日目。仕事も気にする必要もない本当に自由な1日はあっと言う間に過ぎた。翌3日はほとんど読書に終わった。図書館から借りた本「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」があった。梯久美子さんの著で、久し振りに名文に触れた感動と戦争という過酷で、死よりも苦しい生を生きた栗林中将の悲しみに涙を落としながら、夕方までには読み終えた。正月3日間、なぜかあっけない休暇だった。あっけなかったが平和は大切であり、平和こそ守り続けなければならないと思わせた。