こちら編集室「言葉」(1月19日)

  劇画作家・小池一夫さんの「子連れ狼」が漫画「アクション(双葉社)」に登場したのは1970年代だった。その劇画を初めて目にしたのは市役所近くの食堂でだった。ラーメンをすすりながら、元徳川幕府の公儀介錯人・拝一刀とまだ、3歳の息子・大五郎を主人公に、一殺「500両」で刺客を請け負うという〃冥府魔道〃の世界を描いた時代劇画には思わず「すごい漫画だ」とうなった。ストーリーの展開の面白さもそうだが、小島剛夕さんの絵が良かった。大五郎の可愛さ、そして父・拝一刀の武士らしい厳しさと美しさには魅せられるものがあった。

  劇画は6年間、142回にわたって掲載された。その全編を読み通したわけではなかったが、様々なシーンが印象に残った。とにかくすごい漫画だと驚いたし、その作家が当時の大曲市出身だと知ってさらに驚いた。そしてその小池さんが故郷に自宅を構えたと聞いて昨年10月には大仙市花館の邸宅を訪れ、取材する機会に恵まれた。

  「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、親に逢うては親を殺し」など難解な言葉を発する語源はどこにあるのかと関心があったが、小池さんとお会いして初めてそのルーツが分かった。小池さんは真言宗の霊地・高野山で僧侶として修業を重ね、俵谷星舟という僧号を持っていると聞いたからである。

  その小池さんから大曲図書館に「子連れ狼」の全集や武田信玄を主人公にした「甲斐の虎」や「首斬り朝」などが贈られ、小池さんコーナーが設けられた。これをきっかけに時間を見つけては図書館で「子連れ狼」全20巻に目を通した。読み出すとやはり面白い。将軍家の威光を背景に権力を占有するため拝一刀を幕府から追い出そうと、その妻を惨殺し、さらには拝親子をも抹殺しようとする柳生烈堂。その柳生一族と戦っては数多くの屍を乗り越え、対決する拝親子。時代劇の名作だと思った。

  同時に読んでいて忘れていた言葉、初めて接する漢字の発見もあって、小池さんの才能の奥の深さにもすっかり魅せられた。例えば「眼光紙背(しはい)に徹す」とか「老虎を追って牙狼、城内に入る」「天佑神助」「運否天賦」「乳母(おんば)日傘」など挙げればきりがない。その中でも驚いたのは「九仞(きゅうじん)の功を一簣(き)に虧(か)く」である。

  勉強不足で恥ずかしいが、「虧」という漢字は初めて接した。漢字は高卒後は小説を読みながら学んだ。本を読み、分からない漢字に出会ったら漢和辞典を開いては、その書き方を学び、意味を覚えるのを繰り返した。夏目漱石、太宰治、三島由紀夫、島崎藤村、司馬遼太郎、トルストイ、ロマン・ロランなど多くの本を手にし、漢字と言葉の迷路をたどり、人生を学んだ。

  初めて接した漢字や感動した言葉、表現はノートに記録した。そのノートを開くと「ナターシャには、世間のあらゆる俗事とはかけ離れて、誰にも理解されるはずのない特殊なものと思っていた自分とアンドレイとの恋愛問題に、他人の容喙(ようか)を受けるのが不愉快だったのである」(トルストイ・戦争と平和)や「感受性にぴたりと蓋(ふた)をしてしまう栄螺(さざえ)のような護身術を知っていた」(石川達三・生きている兵隊)などがノートを埋めつくしている。

  しかし、言葉の世界は奥が深い。小池さんの劇画を読んでそれを痛感した。今回の「九仭の……」を広辞苑では「九仞の山を築くのに、最後に1杯の簣(もっこ)の土を欠いても完成しない。事が今にも成就しようとして、最後のわずかな油断のために失敗するたとえ」とあった。

  小池さんはその言葉を拝一刀と柳生烈堂の2人を毒薬で倒そうとする将軍家毒味役の阿部頼母という人物に言わせる。拝も柳生も阿部からは殺しても殺しても飽き足らないほどの策謀に邪魔された。それでも、2人はその男を斬らなかった。「なぜわしを斬らないのか」と問う阿部。柳生烈堂はいう。「士(さむらい)の刀は士(さむらい)を斬るにあって、うぬのような下司を斬っては刀が汚れる。拝もそう思ったことであろう」と。

  そして拝と柳生が猛烈な雨の中、江戸八丁河岸で最後の対決を迎える。斬られなかった阿部は叫ぶ。河岸の上流にある水門を開くと拝も柳生も何もかも水に襲われ、流される。阿部は叫ぶ。「水門を開けば八丁河岸は水の底。書経にある九仭の功を一簣に虧くはこのことぞ。子連れ狼と柳生が築きし九仭の築山をわしが虧いてやる。わしを斬らなかったことこそ九仭の功を一簣に虧くこととなりたるぞッ」と。

  このような言葉に出会うと嬉しい。漫画を手に図書館で広辞苑を開いたら、その言葉が目に飛び込んできた。「すごいねー。小池さんはこう言う言葉も遣ってるよ」と職員にも見せて、その博識ぶりに感心した。劇画「子連れ狼」から嬉しい言葉を学んだ。