こちら編集室「オリオン座」(2月2日)

  雪で2月を迎えた。1日朝、目覚めると外は真っ白で除雪車も走った。「今日は散歩は無理だからパピーを歩かせたら、雪寄せをやるから」と外に出た。小犬のパピーは雪道を嬉しそうに歩き、雪に顔をうずめては臭いを嗅いだ。パピーは外の開放感を楽しみたいのだ。横手川の堤防まで歩き、おしっこをさせ、ウンチをさせて自宅を目指すと着替えた妻がスノーダンプを手に除雪車が置いて行った雪を懸命に寄せていた。暖冬とは言え、やはり2月である。春はまだ遠いのだと思った。こちらも小犬のパピーを急いで家に入れ、一緒に雪寄せ作業をした。雪は2日も続いた。

  数日前の夕方の散歩の時、今冬初めて「オリオン座」を観た。月明りもあって星の輝きは鈍かったが、オリオン座の特徴である「三つ星」が南の空にぼんやりと光っていて「アッ。オリオン座だ」と声を挙げて喜んだ。夕方の散歩コースは横手川の堤防で、春から秋にかけては川港親水公園の照明灯が皓々と周りを照らしているが、冬を迎えた今は真っ暗だ。

  その真っ暗な堤防の上を懐中電灯を手に歩いているのだが、照明灯が消された〃原始の闇〃もいいものだと思う。それは空が晴れると月や星がとても輝いて見えるからだ。オリオン座を見つけたのもそのような夜だった。夜空に輝く狩人・オリオンの腰に位置する三つ星を見つけ、それを目印に星と星をつないでいくと斧を手にしたオリオンの巨大な姿が浮かんできた。

  凍てつく西山(2月2日写す)懐中電灯を消し、月明かりを頼りに堤防の上を歩いた。見上げるとオリオン座は月を背にうっすらと輝き、南の空に堂々と立っていた。まるで自分たちのために姿を現してくれたように感じた。オリオンと月。ロマンチックで美しい夜だった。月の光りが自分と小犬のパピーの影を地面に描いた。

  幼いころ、影追いという遊びがあった。満月になると夕食を終えた近所の仲間たちが自然に表に飛び出し、月が描く人影を踏もうと追いかけるのである。踏まれたら、その子が鬼なって仲間を追う。影は闇に入ると消える。踏まれそうになると家の軒下に隠れた。

  当時は街灯もなく、車も滅多に走らなかった。だから道路がそのまま遊び場だった。未舗装の道路をゴム製の靴で走り、追いかけて〃はしゃぐ〃声が夜の闇に響いた。追いかけられては次第に木がある神社へと逃げ、影を追うゲームは盛り上がった。

  そのころを思い出したせいか、月が輝き、オリオン座が見つかった夜は気持ちがウキウキした。「パピー。少し走ろうか」と声をかけ、歩行を早めた。堤防の上にあった雪はすっかり消え、まるで春のように乾いていた。運動不足もあって少しだけ走っただけで息が切れたが、小犬のパピーも嬉しそうだった。

  照明灯が消えた夜を楽しいと思うのは、電気のなかったころの〃闇〃とはどんなものだろうと思うからだ。司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」をまた読んでいる。その中には幕末の風雲児・坂本竜馬が月の光りの下で剣を振るう場面が何度か出てくる。月が出ると物陰に隠れ、月が雲に隠れるとその闇を利用して相手の刀と立ち合う。

  その坂本は近視で夜はほとんど眼が見えないと司馬さんは書いている。それでも坂本は剣を振るって夜の闇の中、戦う。江戸・千葉道場で鍛えられた剣士である。しかし、坂本は夜になると相手の動きが良く見えない。見えないからこそ眼をつぶって、相手の息づかいで動きを察し、剣を振るった。

  雪が消え、月が輝き、オリオン座が見えた夜。幕末の英雄・坂本竜馬ってどんな男だったろうと、その魅力を想像しながら堤防を歩いた。坂本竜馬、桂小五郎、西郷隆盛、近藤勇、土方利三、勝海舟、河井継之助。みんな明治維新の志士たちで、司馬遼太郎さんのペンによって活き活きと描かれた。強い志に燃え、歴史を海を渡り、歴史を回転させた。

  明治の幕を開いた男たちを想像しながら月明かりを頼りにノシノシと歩いた。右手には子どものころの遊び場だった杉林がシルエットとなって広がっている。もしもこの杉林から剣を持った男たちが襲ってきたら坂本竜馬はどう闘ったものか。英雄を想像しながら歩いたら、角間川小学校のグラウンドに出た。オリオン座は楽しい夢を見せてくれた。