振り向いたらうっすらと暮れ出した西の空に三日月が浮かび、宵の明星「金星」と一直線になって向き合っていた。その反対の東南の空にはオリオン座の三つ星が「暗くなったら私たちの出番よ」と淡い光りを発していた。宵の明星は小さくても、三日月の明るさに負けないほど明るく輝いていた。
明るい時間が長くなってきた。1月は午後4時を過ぎると夜の闇だったが、2月に入って立春を迎えてから日脚は毎日、畳の目ほどの幅で伸び、5時を過ぎても明るい。そうした春の気配もあるせいか、東山は水彩画のような優しい色となってきた。白い山肌が夕方にはインクを水で溶かしたような淡いブルーに染まる。
夕方、その東山に向かって歩いた。そして後ろを振り返って西空に見つけたのが三日月と金星の対話であり、反対方向の東南の空にうっすらとオリオン座が輝き出していた。
小犬のパピーは車庫のシャッターが開く音で自分の帰宅に気づくようで「帰ったよ」と「ワンワン」、叫んで妻に知らせるという。そのパピーを抱いて妻は車庫のドアを開けて自分を迎えるか、パピーと共に玄関ホールに立って「パピーが今、あなたが帰ってきたって知らせてくれたの」と出迎える。毎日のように繰り返す「迎え言葉」だが、小犬を抱いて笑顔を見せる妻の顔を見るとホッとする。これがわが家の小さな家庭であり、安全・安心の場、そして憩いの場なのだと。
パソコンや本を抱えて部屋に入り、パピーの前で膝を折るとしっぽを千切れんばかりに振る。嬉しくてたまらないのだろう。「そうか。パピー、嬉しいか」。そう呼びかけると言葉が通じたかのようにまん丸い目を輝かす。朝から一日千秋の思いで待っていたのがその目からも、激しく振るしっぽからも伝わってくる。おまけにテーブルを中心に右へ曲がれば右へと追い、左へ向きを変えると左へと追ってくる。
そしてパソコンをバッグから取り出し、電源をつないでセットし終わるまでは叫ばないでジッと我慢の子だ。黙って自分の作業を見つめてる。お利口さんを発揮する小犬の意地らしさは何とも言えない。一連の作業が終わると「さあ。散歩に行こうよ。散歩に連れてってよ」とワンワン叫び、棚に吊り下げられている散歩用のリーダーに目を向ける。
そのパピーを抱き上げて外に出たら西の空に三日月が浮かび、宵の明星「金星」と一直線になって対話していた。まるで天体ショーだった。横手川の橋を渡り、大曲南中学校まで足を伸ばし、そこから振り返ったら三日月と金星はより一層、さん然としていた。帰り道はその月と星を見上げながらユックリと歩いた。橋の上で足を止めたら東南の方向にはオリオン座の三つ星がうっすらと輝き出した。「冬の夜空がこんなに美しいとは……」と感動だった。
月と金星の対話を写真にしたいと思った。自宅に帰り、車の中から三脚を取り出し、カメラをセットした。シャッターを押した。自然に子どものころ歌った「冬の星座」のメロディが浮かんだ。幸せな気分だった。
「木枯らしとだえてさゆる空より 地上に降りしく 奇(くす)しき光よ ものみな憩えるしじまの中に きらめき揺れつつ 星座はめぐる」
初めてこの歌を習った時の感動は今でも忘れない。音楽室で先生の弾くピアノと歌声に合わせみんなで歌った。出会いが不幸だったのか、自分の心がゆがんでいたせいだったのか。音楽の女先生とは小学校でも中学校でもなぜか好きになれず、成績は最悪だった。不思議に歌だけは好きになれた。そして歌詞は忘れてもメロディだけは記憶に残った。
その記憶に残ったメロディが、年齢を重ねるほど心をいやすものになっている。子どものころに習った歌は心の栄養となった。学校は楽しいものではなかったが、学校で学んだ歌は貴重な財産となっていることは確かだ。だから先生たちにもまた、教育にも感謝したい。
それだけに不登校となって学校に行けない子どもは本当に気の毒だと思う。学校で辛い思いをすることもあるだろうが、学校で学べるのは国語や算数、歴史や理科などだけではない。音楽を通じて学べるものがとても大きい。歌を通じて心は成長する。
先日、大曲西根小学校の全校音楽を聴いた韓国の先生たちは「韓国でもいじめの問題があって心配だが、皆さんは音楽を楽しんでいる。この学校ならいじめの心配もない」と感激の言葉を残した。音楽は心の栄養だ。三日月と金星の対話に耳を傾け、「冬の星座」のメロディを口ずさんだ。カメラを構え、ジッと空を見つめる自分を小犬のパピーが不思議そうな顔で見上げていた。