こちら編集室を4月6日の「行く冬」を最後に休んだ。自分にとって今年の4月は特別だった。それだけに静かに自分を見つめ、仕事をしたいと思った。4月で60歳を迎え、それを機に退職したいと会社には1年前から告げていた。そしてその日から、来年の4月になったらと、思っていた。その4月も来た。来年4月の県議選が終わったなら、と思っていた。その県議選も終わった。働いて、働いて、そろそろ休んでもいいのではないかと4月になったら自分の人生に区切りをつけることにしていた。
4月の誕生日の朝。目覚めた妻は寝間着のまま「あなた。お早う。今日であなたも60歳よ。元気に迎えた60歳よ」と笑顔で寄り添い、右手をマイクに見立てて突き出した。そしてテレビアナウンサーよろしく、「いかがです。60歳の朝を迎えた今の気持ちは。さあ。皆さんに向かって一言、感想を述べて下さい」と子供のようにはしゃいだ。
「ウーン。特別な感想はないな。まあ、今月いっぱいは会社に行かなければいけないから。もう少しだ。頑張るよ」とだけその時は答えた。60歳。秋田民報社の記者として、4月の秋田県議会議員選挙の取材を終えたら、自分の仕事も終わりだと思っていた。
4月27日、退職手続きを終えると会社からは「長い間、ご苦労さんでした」とねぎらいの言葉を受け、心から感謝して退職した。1967年1月から秋田民報社の記者として採用され、多くの方の世話を受け、新聞記者として、また人間として育てられたと思う。心から会社とお世話になった人たちにお礼を述べたい。
退職後は何をやるのかと良く聞かれる。「時間を楽しみたい」と答えている。生活を心配する声もあるが、「ぜいたくしなければ2人の年金でどうにかなるはず」と妻はいう。「働けるうちは働きたい」。それも人生かもしれないが、自分の場合、2年前の夏の〃郵政解散〃による衆院選を取材した時から、記者としての取材力に限界を感じていた。
選挙カーを追って県南一体を走り、選挙情勢を取材し、原稿をまとめようとした時、かつてない疲労感と無力感にとらわれた。これ以上、選挙戦など神経と体力を使う取材を重ねていたら精神的にも耐えられないと思った。大きなミスを侵しかねないとも憂慮した。
それ以来、時間と会社という組織に縛られた日々が重苦しくなった。もっと自分の時間を大切にしたいと思った。退職すること知った人たちからは「秋田県南日々新聞は続けてくれるか」と聞かれる。ケンニチとして親しまれたネット新聞だ。今も平日で3500件前後のヒット数を記録している。アメリカ、中国、ヨーロッパ、ロシアなど世界中に読者がいることも確認している。
こちらの方は続けたいと思っている。情報収集力はこれまでと違ってかなり劣るだろうが、ケンニチにも掲載してほしいという要望や資料提供があれば取材に赴き、書き続けたい。
読者に提供する情報量は減るかもしれないが、これからは仕事に追われるのではなく、楽しみながら仕事を追い、楽しみながら原稿を書き、紙面を更新したい。そういうことで4月末には妻を誘って仙北市角館町の桜を楽しみ、西木町のカタクリの群生地を歩いた。そして田沢湖町にも足を伸ばし「思い出の潟分校」を初めて訪ねた。小さな学校には懐かしさと優しさが感じられた。さらに帰りには角館町白岩の「雲巌寺」を訪れ、住職さんの案内で本堂を参拝し、寺自慢の「幽霊」の掛け軸を拝見させてもらった。4月29、30日の連休はこれまでにないのんびりとした楽しい2日間だった。
退職を機にドイツへの旅に参加しませんかとの誘いもあり、妻と共に参加することにした。妻にとってヨーロッパの旅は初めてである。参加者の顔ぶれを見ると知っている人たちも多い。自分たち夫婦も含め11人と小さな団体だが、今月16日から24日までの9日間、世界遺産のある東部ドイツとプラハの旅を楽しみたい。
3日からは再び連休が始まっている。3日は秋田市に行って買い物を楽しみ、姉を見舞った。連休後の仕事に思いを馳せることもなく過ごせる、自由な時間が楽しくてしょうがなかった。5月の風、5月の空、5月の白い雲が素敵だった。サクラも白い辛夷、そして道々に咲いているスイセンなどの草花もこれまでになく優しく美しかった。これからの日々は与えられた自由な時間を大切にしたい。読者の皆さまこれからもどうぞよろしく。取材要請や情報提供はメールか携帯電話でどうぞ。