こちら編集室「寄り添って」(5月11日)

  5月という季節は草花も木々も活発に動き出す。いつもの散歩道を歩くと一面の「踊り子草」の群れに負けないように「忘れな草」も芽生え、淡いブルーの小さな花を咲かせている。そしてタンポポ、菜の花が鮮やかな黄色で競っている。木々の葉っぱも日増しに緑を深めている。

  5月になってやっと自分の自由な時間を手にした。朝の散歩も出勤時間を気にせずに歩ける。目覚めるのは一時間遅くなって6時ごろだ。急がなくてもいいと思うと、時間がユックリと流れる。のんびりしたい。それがここ数年の夢だった。60歳になったら取材したいことがあったら出かけ、地域に密着した話題があったらそれを追い、マイペースで今後の時間を過ごしたいと思っていた。その時間がやっと来た。市役所を数年前に退職した友人からは「自由という不自由もあるよ」との嘆きも聞いた。確かに有り余る時間を持て余すこともあるだろう。経済的には余裕がなくなるが、自分の時間を持て余すというのも一つのぜいたくな悩みではないか。

  先週の5日は表紙の写真を飾っているように八郎潟町へと出かけ、前から観たいと思っていた「願人踊」を楽しんできた。あいにくの雨空だったため、果たして祭りを観られるかと心配したが、とにかく午前8時には家を出た。そして秋田自動車道刈和野インターチェンジで八郎潟町役場に電話して、雨でも踊りは観られるだろうかと問い合わせた。

  伝統の祭りだけに雨に関わらず踊りの列は町を練り歩くという。ホッとした。楽しみがうずうずと沸いて、車内での妻との会話も弾んだ。途中、激しく雨が降ったが、秋田市を抜けると雨も止んだ。午前9時半ごろ八郎潟町に入った。町内をユックリと走ると盗賊姿の「定九郎」と背中に雨具のケラを背負ったジッチャ役の与市兵、それに女物の派手な長襦袢に紫のほっかむりをした男たちが練り歩いていた。

  「これだよ。この人たちが願人踊りの一行だ」とハンドルを握りながらはしゃいだ。そして八郎潟駅近くの駐車場に車を止め、駅の待合室で時間を過ごした。間もなく踊りの列がやって来た。町の広報マンらしい人がカメラを下げ、新聞社からの取材を受けている。こちらも「この祭りを観たくて大仙市から来たんです」と撮影のスペースを取るため注意すべきことなどを聞いた。特別な制約はなく、踊りが始まるとステージの前は人でいっぱいになるため、「今の場所から動かない方がいいです」と教えられた。

  待望の定九郎とジッチャがステージに登場した。いつの間にかステージ前には100人を超す観客が集まっていた。定九郎とジッチャはカメラを構える観客のために見栄を切った。その姿はまさに役者であり、歌舞伎絵のようでもあった。そして懐に大切なお金を仕舞った与市兵からそれを奪おうとする悪役・定九郎の寸劇が始まった。二人の大げさな手振り、身振り、息のあった台詞のやり取りに観客は喜んだ。

  寸劇が終わると派手な女物の長襦袢を着た男たちがユニークな踊りを披露した。踊り始めると無数のムクドリが騒いでいるような音がする。不思議に思っていたら、男たちの着物のあちこちに鈴が下げられ、それがカシャカシャと鳥たちの囀りに似た音を発しているのであった。

  寸劇と激しい身振りの踊りは10分足らずだったが、見終わった自分の体は興奮状態だった。定九郎と与市兵、それに踊り手たちを囲んで観客の記念写真撮影も始まった。妻にも呼びかけ、定九郎と与市兵さんと並んだ記念写真を撮った。

  町広報の方に「本当に楽しかった。楽しい思いをしました」と礼を述べ車に戻ったら、小犬のパピーは車内で丸くなって眠っていた。パピーはこのごろ、不思議に思っているようだ。いつもなら午前8時前後に大急ぎで家を出るのに毎朝、自宅にいるからだ。夫婦そろって居るものだから、パピーは安心してるのか散歩から戻ってご飯を食べると縫いぐるみの人形を枕に眠っている。もう8歳だ。人間で言うと50歳を超えたという。パピーの老化も始まったのかもしれない。時間があるとこのごろは静かに眠っている。

  それでもこちら2人がどこかへ出かけようと着替えを始めると目敏く気付き、寝室の入口で眼を輝かして観察し始める。そして着替えを終えるころには興奮しだし、「自分も行くよ。連れていくよね」と吠え、天上からつり下げているリーダーに眼をやる。パピーを車に乗せると車内は毛だらけになるが、やはり自分たちの大切な家族だ。シートにくっついた毛はガムテープで始末すれば済む。小さな家族の小さな一員だ。経済的には厳しくなったが、自由な時間を手に入れた。これからは二人と一匹の小さな家族、いつも寄り添って暮らそう。

  来週16日から24日までは旅行のため、紙面更新を休ませてもらいます。