| ハンブルグ市で宿泊したホテル。 | ホテル近くの整然とした商店街。 |
ハンブルクからドイツの首都・ベルリンへ向かう列車から眺めた緑の草原や森も、バスに乗ってチェコの国境を超え、モルダウの流れに沿って開けた美しい都・プラハに入った時も、心にしみじみと感じたのはヨーロッパは風景そのものが〃詩〃になっているということだった。バッハを生み、モーツアルトを誕生させ、ベートーベンを育て、スメタナやドヴォルザークなど数々の音楽家を輩出させたのはヨーロッパの美しい風景がその原動力になったのではないかと確信した。
絵画でもそうである。ヨーロッパはルノアールやモネ、ゴッホやセザンヌなど数多くの芸術家を世に送り出した。ロマン・ロランがベートーベンをモデルに描いた小説「ジャン・クリストフ」で、少年・クリストフが小枝を手に「雲よ右へ向かってゆけ」と命じて、軍隊ごっこを楽しんだ草原が、列車の窓から見えた。ヨーロッパの美しい空と緑は、音楽を生み、絵画を描かせ、石造りの美しい都市を生み出した。そう思うしかない感動の旅だった。
「ドイツとチェコの旅に参加しませんか」と誘われたのは4月20日夜、角館町で開かれた「さくらワインと春会席を楽しむ会 」の席でだった。4月いっぱいで会社を退職すると会場で紹介されたのを受けて、ヨーロッパへの旅を企画している方々から声がかかった。
退職したらノンビリと過ごしたいとは思っていたが、ヨーロッパへの旅は思いがけない誘いだった。本紙に「旅の雑記」を掲載して下さっている岩間郁夫さんのおかげで、アメリカには過去2度、妻と共に旅をしている。しかし、妻はヨーロッパには行ったことがなかった。4年前に訪れたラスベガスのホテルの地下で、ローマの街とパリの街並みが再現されているのを観た時も、そして水の都「ベニス」をコピーしたようなホテルに入った時も、自分は妻に「これは本物のローマ、パリだと思ってもいいよ。ベニスだってさっきのホテルと同じなんだ」と疑似体験しただけで満足すべきだとばかりに大声で訴えた。
だが、心のどこかで妻にもヨーロッパは観てもらいたい、楽しんでもらいたいという気持ちはあった。それだけにドイツとチェコの旅に誘われた時、「行ってみたい」と乗り気になった妻に心から賛同した。
旅に同行するメンバーは添乗員の佐藤朋紀さん(JTB東北横手営業所)を含め男性6人、女性6人の計12人というグループだった。夫婦連れは自分たちだけだったため、佐藤さん、それに同行者の方たちには部屋割りなどの面でご迷惑をかけた。また、佐藤さんの配慮だったろう。飛行機は秋田からも成田からもすべて妻と隣り合わせというセットだった。
旅立つ前の5月9日、市内のホテルで結団式を行い、顔合わせをした。全く見知らぬ仲の旅ではなく、妻もそのメンバー構成を喜んだ。その翌日から妻は連日、ボストンバッグに着替えを詰め込むなど旅の準備に追われた。こちらも気分は海外旅行モードでウキウキだったが、その合間には「秋田県南日々新聞」としての取材もあった。
旅の出発は16日だった。24日までの8泊9日間の旅である。その間の心配事は小犬のパピーだった。小犬のパピーを8年前、小さな家族として我が家に迎え、東京へと旅行する際に市内のペットホテルに相談したら、「ペットは預かっても2日が限度なんです。それ以上になるとペットは家族に捨てられたと思い込んで、中には病気になる犬も居るんです」と言われた。そうしたこともあって4年前の初めてのアメリカへの旅の際はパピーが生まれ育った実家に預けた。パピーの実家では快く引き受けてくれたが、2度目、3度目と甘えるわけにはいかないというためらいもあった。
その間に取材で女性のドッグトレーナーの小原友望(ともみ)さんを知り合った。小原さんは専門学校でトレーナーの訓練を受け、自宅のある横手市で犬のしつけの他にペットシッティングという仕事を開業している。飼い主が旅行などで留守をするとき、その家のワンちゃんを訪ね、エサを与え、ブラッシングや散歩にも連れ出し、飼い主不在で不安やストレスを抱えてしまいがちなワンちゃんの世話をする仕事だ。
2度目のアメリカ旅行、そして昨年の信州への旅の際も小原さんにパピーを頼んだ。今回のヨーロッパの旅も小原さんがいればこそ実現できた。小原さんには出発前の15日夕に自宅に来てもらい、留守中のお願いをした。小原さんを久し振りに迎えたパピーはしっぽを振って大喜びだった。「これなら大丈夫。きっとパピーは留守中、元気で頑張ってくれる」と確信し、16日午後1時、迎えに来て下さった旅の同行者の車で秋田空港へと向かった。
旅は秋田空港を午後3時に飛び立ち、その日は成田のホテルに宿泊。そして17日午前9時55分、ルフトハンザ機でドイツ・フランクフルトへと向かう日程だった。フランクフルト到着はその日の午後2時45分。午前11時間40分、成田発の飛行機の旅は、雨の中で始まった。
成田を飛び立って何時間後だったろうか。機内のテレビに目的地まで8135キロ、上空9000メートルから1万メートルを時速900キロで飛んでいるとの数字が写った。機内でサービスのワインを飲み、昼食なのか夕食なのか分からないまま機内食を食べ、ただ時間が経過するのを耐えた。消灯された機内での楽しみはトイレに立ち上がって、その左右のちょっとした空間で屈伸運動をやるしかなかった。
| ハンブルグ市庁舎近くの石造りの街並み。 | ハンブルグ市庁舎中庭にあったブロンズ像を配した噴水。 |
旅の同行者の多くは眠っていた。そうした中、添乗員の佐藤さんだけは旅先のドイツの情報を得るためか、懸命に情報誌をチェックしていた。佐藤さんにとって飛行機の中は同行者を快適に案内をするための貴重な勉強の場なのだろう。添乗員という仕事の大変さを垣間見た思いがした。
機は予定通り現地時間の17日午後2時45分にフランクフルト空港に到着した。日本時間は17日午後9時45分になっていた。ここから昼夜逆転の生活が始まった。空港で腕時計を現地時間に合わせ、ハンブルクへと向かった。「さあ。いよいよハンバーグだ」と自分。隣の妻は「あなた。ハンブルグよ。ハンバーグなんて言ったら皆さんに笑われるよ」とささやいた。
「いいよ。ハンバーグで」と妻を茶化しながら、そのローマ字でのスペルを見ると「HAMBURG」である。ドイツ語ならいざ知らずどう見てもハンバーグである。「あなたったら・・・」。妻は笑うしかないとばかりに小声でクスクス笑っていた。ハンブルグ上空から川が見えた。エルベ川という。日程では現地時間午後4時40分に空港に着き、そこからバスでハンブルグ市のホテルに向かうという。いよいよドイツの旅が始まった。