こちら編集室「ドイツ・チェコの旅から(2)」(6月8日)
 
  看板もなく、整然としたハンブルクの街並み。     ハンブルクの港には水車をスクリューにした遊覧船もあった。

   ドイツ滞在第1日目のハンブルク到着は17日午後4時50分(日本時間17日午後11時50分)だった。機内から大きな川が見えた。エルベ川という。フランクフルトからハンブルクまでの飛行時間約1時間を含めると、成田を飛び立ってから12時間40分もの飛行機の旅を続けたことになる。

  ハンブルク空港を出て、初めてドイツの空気を吸った時はホッとした。ヒンヤリとした爽やかな空気だった。同行者の誰かが「ウーン。いい空気だ」と感想を述べた。空港の出口に「SUSHI」の看板を掲げた店があった。日本の寿司はハンブルクにも進出しているのかと驚きだった。アメリカの旅でも寿司屋はあちこちで見かけたが、寿司はもう世界の味なのだ。

  空港ではJTBと契約している案内の女性とバスが待っていた。案内の女性の方は日本人だった。バスに乗ると「シートベルトは必ずやって下さい」とマイクで話し始めた。ドイツではシートベルトをやらないで事故に遭い、ケガをしたときは補償の対象にならないばかりか、バスでさえも40ユーロ(1ユーロは170円前後)の罰金が課せられるという。

  昔、読んだ本で日本の大学に留学している学生たちにグラウンドの草むしりをさせたところ、アメリカ人がやった所は数日で雑草が生い茂ったが、ドイツ人グループがやった所はほとんど生えなかったと、何事も徹底しているドイツ人の勤勉さを強調していたことを覚えている。シートベルトへの対応、罰金もそうしたドイツ人ならではの〃完璧さ〃を求める性格の表れかと思った。

  ホテルはハンブルク市内の中心部にあった。静かで落ち着いた雰囲気のホテルだった。その晩はホテルで夕食会となった。部屋でシャワーを浴びてから夕食会場のレストランに降り、添乗員の佐藤さんも含めた旅の仲間12人と合流した。何より先にビール、ワインを注文した。ドイツに行ったならビールを飲み、ワインを飲もう。その期待がやっと実現した。午後7時からの夕食であり、宴会である。日本時間を確認したら午前2時過ぎであった。疲れもあってその晩は横になると直ぐに眠りの天国に陥った。

  翌朝は午前5時に目覚めた。日本時間で言えば18日正午ごろか。昼夜逆転の生活が始まったが、目覚めは爽やかだった。朝食はバイキングだった。豊富な種類のパンが並び、果物、ハム、ソーセージ、野菜サラダ、ジュース、ミルクと見た目にもぜいたくな料理がずらりと揃っていた。ウエイトレスが微笑みながらコーヒーを運んでくる。その言葉を聞いて「外国にいるんだな」と実感した。

  朝食後、妻と連れ立ってホテル周辺を歩いた。勤め人が動き出す時刻である。ビジネスマン、ウーマンらが石畳の道をキビキビとした足どりで通っていく。車の音。路上電車が走る。石造りのビルが並び、ウインドーに飾った時計、宝石、サングラス、洋服が目につく。花屋さんもあった。清潔でセンスにあふれた商店街のウインドーだ。ヨーロッパ独特の円筒形の広告塔が建っている。妻は「ビルに看板がないから街全体が落ち着いて見えるんだ」と感動する。そう。絵本から飛び出したような街の雰囲気だ。ビルの角から広場へ出て、右折し、また右折したら宿泊先のホテルへ戻った。数十分の散歩だったが、妻と連れ立ってドイツの街、ハンブルグの街を歩けたのは嬉しかった。

  バスが迎えに来て、いよいよハンブルグ市内観光となった。最初に向かったのが市庁舎である。大きい。目の前に巨大な建造物が広がっている。ガイドの女性は1897年に建造されたもので、新ルネッサンス様式の建物と説明する。カメラを向けたが大き過ぎて広角レンズでも入りきらない。正門を潜ると中庭にブロンズ像をいくつも飾った豪華な噴水があった。ガイドさんの説明はその噴水に飾られたブロンズ像を中心に「水がいかに大切だったか」などと佳境に入ったようだが、こちらはその説明を聞くよりも建物のすごさと雰囲気に圧倒され、ただぼう然と見上げるだけだった。

  庁舎見学を終えるとハンブルク港へとバスは走った。古い運河に立ち並ぶレンガ造りの倉庫街が目を見張る。港へ下りると水車を原動力にした遊覧船が水上を走っていた。水運で栄えた街は今は観光にも力を入れているのだろう。多くの観光バスが止まり、世界中から集まった観光客が行き来した。

  バスは倉庫街を出て世界遺産の街・リューベックへと向かう。制限速度のないアウトバーンの3車線の道をバスは走る。青空が続く。
 
  制限速度も料金所もないドイツの自動車道。   まるで絵本のようなリューベックのホルステン門。

  バスの車内でも「先ほどのハンブルク、そしてこれから向かうリューベックもハンザ同盟によって栄えた商業都市なのです」とガイドの歴史の説明は続く。ドイツを旅する人たちに中世からの歴史を語り、心ゆくまで旅を楽しんでもらいたいという気持ちでいっぱいなのだろう。原稿用紙にしたら膨大な枚数の言葉を頭に入れ、語る。その記憶力には舌を巻き、サービス精神にも驚いた。

  バスはリューベックの街に入った。その建物を目にした時、自分は目を疑った。「これは童話の世界ではないか」と。目の前にとんがり帽子を載せたようなチョコレート色をした巨大な城門が建っているのである。これまでも様々な都市を歩き、巨大なビルや教会、城郭も見たがリューベックの「ホルステン門」ほどメルヘンで、童話的な建物は見たことがなかった。

  ハンザ同盟を結び、海賊から街を守るため1464年から78年にかけて建てられたという城門は「戦い」のためという血なまぐささよりも、壁の色からも童心を呼び起こすばかりの建物のだった。

  車内から「傾いてるんじゃないか」との声が上がった。ガイドさんも「そう。実際に傾いているんですよ」と答えた。石で築いた城があまりの重さで建物の一部が地面にめり込んでいるのだという。

  ワクワクする気分で城門を潜り、リューベックの古い街に入ったら目に涙があふれた。妻も夢のような美しい街に入って喜びでいっぱのようだった。眼が輝いている。「ヨーロッパのこんな素敵な街を歩けるなんて」。妻と揃って来れたことの幸せと感動で、涙があふれてたまらなかった。石畳の道。レンガ造りの建物。中世からの古い街並みが目の前に広がる。ガイドさんの案内でビルの地下に造られたレストランで昼食となった。

  ロウソクの明りが灯るほの暗いレストランも歴史の重さを感じさせた。ここでもビールとワインを注文し、みんなで旅の解放感を楽しんだ。飲み物の注文を取る添乗員の佐藤さんにとっては気の許せない時間だったろうが、佐藤さん、そして現地のガイドさんのおかげで旅を心ゆくまで楽しめると感謝の思いでいっぱいだった。

  昼食後はリューベックの古い街並みを歩き、マジパンの老舗に入ってみんなでお菓子の買い物を楽しんだ。そしてバッハも歩いたという石の回廊を歩き、ハンザ同盟によって富を貯えた市民が、資金を出し合って社会的弱者のために造ったという教会の中に残された「聖霊病院」を見学した。教会の裏にはその病院に代わって今は養老院となっている建物があった。教会の管理者が自分たちのため、人の良さそうな笑顔でその養老院へのドアを開け、建物を見せた。日当たりの良い瀟洒な建物に老後をユッタリと過ごしているお年寄りたちの姿が見えた。
 
  多くの観光客が屋外のレストランで楽しんでいた。   リューベックの住宅街は中世からのたたずまいのようだった。

  リューベックの旅を終え、再びハンブルクへと戻った。夕食まで妻とハンブルク市内観光を楽しんだ。シャネルやジバンシー、プラダなど世界のブランド店が並ぶセンスあふれた街を歩いた。ベンツ、ビーエムダブリュ、ポルシュ。ドイツを代表する高級車が路上にずらりと並ぶ。台所用品を扱っている店を見つけ、中に入った。「実家へのおみやげにドイツの包丁や果物ナイフを買っていきたい」と妻は旅行前から言っていた。洗練されたデザインの食器やフライパン、湯沸かしなどが展示されている。

  包丁やナイフを展示されている場に行って二人であれこれと品定めをしていたら男性の店員が寄ってきた。声をかけられたが意味が分からない。男性はカギを開け、「どんな包丁がほしいのでしょう」とでも話しかけているのだと思う。妻は「ベジタブル」と答え、自分は「キャベツ、フルーツ」と口にした。男性は困ったような笑顔を見せた。どちらも通じない。困った自分はまな板のようなプラスチックの小さな板を手にジェスチャーで野菜をトントンと細かく切る真似をした。レジにいた女性がやっと意味を解釈したようで男性に指示をした。そして「オーッ」と言いながら包丁と果物ナイフを取り出した。レジにいた女性から再び「ステーキ。ノー」の声が掛かった。その意味は解けた。野菜を切るのはいいけどその包丁で肉を切るのは駄目だと言っているのだろう。とにかく包丁と果物ナイフを買うことができた。

  再び街を散歩した。表にイス、テーブルを並べた飲食店街をそぞろ歩いた。空いているテーブルを見つけ、妻とビール、ジュースを注文し、あこがれの屋外レストランで喉を潤した。多くの観光客が行き交う街で異国の空気、異国の空、石造りの建物、石畳の街を眺めた。