こちら編集室「ドイツ・チェコの旅から(3)」(6月15日)
 
 ハンブルグ駅。列車には自転車の乗客が大勢、乗り込んだ。       列車の車窓から。

  世界遺産の街・リューベックでヨーロッパの古い歴史とその歴史を刻んだ石造りの街に感動した後、ドイツの旅4日目はハンブルク中央駅から列車に乗ってベルリンへと向かうことになった。

  ハンブルク駅は大きく、2階には多くの店が並んでいた。列車が来るまで時間があり、その間、駅2階の商店街を散策した。縫いぐるみ人形の専門店もあれば、ネックレスやブレスレット、化粧品など装飾の専門店、おしゃれな洋服の店、レストランなどが並び、多くの旅行客で活気づいていた。

  妻は「ブレスレットがほしい」と装飾品を扱っている専門店に入った。ドイツ・チェコの旅の思い出になるものがあったら買ったらいいと思っていた。外国製品はどちらかと言うとギンギラ銀で派手だ。数多いブレスレットの中からお気に入りの品を見つけた。ネクタイをしたスーツ姿の男性に会計をお願いしようとしたら笑顔で「ノー、ノー」という。そして「セキュリティー」との言葉も出た。結局、その男性は店を警備しているのであって、少し離れたレジの女性にその男性は声をかけた。女性は美しい笑顔で寄ってきた。いくらだったのか値段は忘れたが、妻はユーロー冊を渡して上機嫌だった。

  その買い物を終えてホームで列車を待った。ドイツの駅には改札口はなく、誰でも自由にエレベーターやエスカレーターを使ってホームに入れた。切符を持たなくても自由に列車に乗れる状態だが、列車内で切符のチェックを受け、無賃乗車が分かると罰金ということを後で聞いた。

  それにしても驚いたのはドイツの列車には自転車のまま乗れるのもあることだった。自転車で旅行や仕事をする人たちのために用意しているのだろう。自分たちの乗った列車はドイツの新幹線だった。列車の席でも添乗員の佐藤朋紀さん(JTB東北横手営業所)は自分たち夫婦のため、同席を用意してくれた。妻は窓際の席を自分に譲ってくれた。その窓際の席から流れ行くドイツの風景を眺めた。

  緑の森を縫い、広大な草原を列車は進んだ。アカシアの花が満開だった。所々に集落があって、赤茶色やチョコレート色の屋根を載せたレンガ造りの家が見えた。まるで絵本から飛び出してきたような風景が続いた。天気はハンブルクを出た時は小雨だったが、出発してから1時間半、ベルリンに限りなく近づくと青空が次第に広がった。
 
  ベルリンのガラス張りの駅舎。   ペルガモン博物館。古代遺跡に圧倒される。

  ベルリンの駅でもJTBと契約している現地の女性ガイドがいて、専用バスも用意されてあった。ベルリン。戦後、ソ連の統治下となった東ドイツ側の手で築かれた壁によって一つの都市が東西に分断されるという悲劇もあって、初めて訪ねる自分にはベルリンと言う都市には暗いイメージがあった。しかし、06年5月のサッカー・ワールドカップ・ドイツ大会に合わせて建てられたというガラス張りの豪華な駅舎を振り返り、そして大きく広がった青空を見上げるとベルリンの暗いイメージも払拭した。ガイドさんの案内でバスに乗り、まずは昼食となった。

  案内されたレストランもロウソクの灯を中心とした照明だった。蛍光灯の明るい照明になれている日本での生活からするとロウソクやほの暗いシャンデリアの照明で食事をするのには少し抵抗もあったが、歴史の重みが感じられた。ここでもまずはベルリンのビールを味わおうとなった。

  ビールの味には凝っている店のようで、美味しさを逃さずに泡の調整をするため、ビールは注文を受けてからテーブルに運ばれてくるまで7分はかかるとガイドの女性は説明した。ビールを注文した旅の仲間たちは、その7分を首を長くして待った。隣のテーブルには同じ日本人の旅行グループがいてジョッキを傾けていた。

  ベルリンに入ってからも感心したのはガイドさんの勉強振りだった。ベルリンの壁を中心とした歴史の悲劇を語り、壁崩壊後に建てられたソニービルがいかにベルリンっ子に受けているかを自慢し、そしてあのカラヤンが指揮を執ったというベルリンフィルハーモニー劇場をバスの車内から案内し、さらにトルコ・ぺルガモンにあった古代遺跡をそのままドイツに持ち帰り、展示したというぺルガモン博物館、広大な絵画館へと案内し、その歴史を滔々と語った。

  ベルリンの壁で分断された街を歩いた。ガイドの女性はバスの車内で、「ベルリンの壁は1961年8月12日朝から13日夜にかけて突然、造られたんですよ」と半ば憎しみを込めて語った。そして「東ベルリンの市民がいかに裕福に暮らしているかを見せるため壁の近くに西側からも見えるように豪華なマンションも建てたんです。でも、その中に暮らせたのは秘密警察の家族などごく一部の人たちだけ。実際は戦後のインフラ整備は何もしてなかったから、壁が崩れた1989年11月9日以降、ベルリン市では東側の戦後復興工事を始めたんです」とも語った。

  そう言えば東ベルリン側のあちこちに空き地があり、工事中の建物も数多くあった。その晩、自分たちが宿泊したホテルも真新しいものであり、その向かいの空き地でも工事が行われているようだった。

  その翌朝、妻とベルリン市内を散歩した。工事中のためか、大都会にしては少し陰気な面もあった。ガード下を潜ったら、ドイツ人の男性に声を掛けられた。どうやらタバコの火を貸してくれと言っているようだった。タバコを止めた自分にライターは持ち合わせてない。少し薄気味悪さもあったので、聞こえない振りをしてそのまま通り過ぎた。間もなくブランデンブルク門に通じる大きな道路に出た。
 
  悪名高いベルリンの壁がそのまま展示されていた。   菩提樹の並木が続くベルリンの大通り。

  まだ開いてなかったが左右に大きなビルの商店街が並び、菩提樹の緑が美しかった。散歩する人、ジョギングする人、勤め先に急ぐ人など様々な人が動き出した。ブランデンブルク門までの20分ほどの散歩。冷たい朝の空気が美味しかった。「ベリー・グッド」。菩提樹の緑を見上げた妻はこう言って感激した。「本当にそうだ。この街は緑がいい」。自分もうなずき、ベルリンという遠い国の首都を妻と歩ける幸せを存分に味わった。

  それにしてもベルリンの夜、添乗員の佐藤さんの案内で飛び込んだビアホールでは、最初の一杯目は「さすがベルリン!」とその美味さに感激したが、種類が分からないからメニューに並んでいる順に飲んでみようと注文した2杯目のビールには皆、驚いた。サイダーを飲んでいるような味なのである。「なにこれ?」。みんなで顔をしかめた。メニューを確認したらソーダー入りのビールだという。誰もが半分も飲めないでジョッキをテーブルに置いた。そして「こうした失敗も旅の思い出」とみんなで笑った。

  5月のドイツは白夜の世界に入っていた。午後8時を過ぎてもまだ昼のように明るい。初めてヨーロッパの地を踏んだ妻に夜を見せたかった。二次会の声もあって、まだ明るいベルリンの夜の街を歩いた。再び酒場で談笑し、ベルリンの夜が更けるのを待った。9時過ぎ、やっと日没を迎え、空が紫色に染まった。ネオンが輝き出した。飲み終えて、ベルリンの夜を歩いた。空には三日月が浮かび、金星だろうか、小さな星と向き合っていた。