| ポツダム会談が行われた宮殿。 | 宮殿の窓から眺めた庭園。光りの美に感動した。 |
ドイツ・チェコへの旅に出かける前、妻からは何度も注意された。「あなた。お昼からビールやワインを飲むと眠くなるから飲まない方がいいよ。せっかく、ドイツへ行って眠ってばかりじゃもったいないんだから」と。その通りなのだが、ドイツ・チェコの旅は解放感もあって昼食となるとビールで乾杯し、ワインを空け、ほろ酔い気分の観光だった。そしてバスに乗っての移動となるとほとんど眠って過ごした。
旅の5日目は第二次世界大戦に幕を閉じるポツダムだった。1945年、アメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相、そしてソ連のスターリン書記長が集まって戦後処理を話し合い、降伏後のドイツの処理を話し合い、同時に日本への無条件降伏を宣言した。
戦後生まれの自分には戦争の悲惨さの実感はないが、ポツダム宣言こそ日本を救う道になったのではないだろうか。当初、その降伏の要求を軍部が無視したばかりに広島、長崎へと原爆が投下され、多くの国民が命を落とし、助かっても原爆症という重い病気に悩まされ、その苦しみは戦後60年を過ぎた今でも続いているという。
ベルリンのホテルを朝9時少し前にバスで経って世界遺産となっているポツダムへと向かった。ベルリンからは35キロの距離という。会談の場となったのはツェツィリエンホーフ宮殿という。静かな森の中を歩くとその宮殿はあった。宮殿というより落ち着いた個人住宅という感じだった。
ベルリンからの日本人ガイドさんの案内で中に入ると、イヤホーンを渡された。世界中から集まってくる多くの観光客のためにガイドがその都度、日本語、英語、ドイツ語、イタリア語などを使って大声で説明したのではポツダム会談という歴史的な場のムードも支離滅裂なものになるとの判断からだろう。そのイヤホーンを耳に充てるとガイドさんが静かな声で話しても鮮明にその言葉が耳に伝わってくる仕組みになっていた。
そのイヤホーンを受け取った時だった。表紙にも書いているが、宮殿に勤務している女子職員が受け付けから出てきて後ろ向きとなっていた自分の背中に体が触れ、「アラッ。ゴメンナサイ」とでも言ったのだろう。その時の笑顔が素敵で印象に残った。宮殿内は写真撮影は禁止で、女子職員は観光客のマナー違反を止めるために同行する役目を担っているようだった。
宮殿の主(ぬし)だった皇太子が使っていたという重厚な造りの部屋などを案内され、最後がポツダム会談となった会議室だった。テーブルにはアメリカ、イギリス、ソ連の国旗が飾られ、首脳とその随行者が座ったイスも当時のそのままの姿で保存されていた。この部屋が世界の歴史を変えたのかと思うと複雑な気持ちだった。同時に人は生れる時代も国も、また親も選べないが、自分は戦争を知らない本当にいい時代に生れたと神に感謝した。
| 噴水のある前庭を配置したサンスーシ宮殿。 | サンスーシの文字も見られる宮殿の正面。 |
ポツダム会談が行われた宮殿を出てからは再びバスにのって移動し、既に表紙写真として飾ったサンスーシ宮殿を訪れた。上空は雲一つない青空だった。ガイドさんはバスの中で「みなさんは本当に天候に恵まれてますね。ベルリン周辺の天気は変わりやすくて、晴れていてもいつ雨が降り出すか分からないんですよ。ですから、今日は別としても明日からの旅では晴れていても油断しないで傘だけは持って歩いて下さい」とアドバイスした。 「憂いのない城」とも呼ばれるサンスーシ宮殿は黄色の外壁が目立った。それにしてもその宮殿に入るまでの広大な庭園には目を見張った。手入れの行き届いた緑の垣根が迷路のように張り巡らされ、その緑の回廊を行くと黄色の外壁で飾った豪華な宮殿が姿を現した。自分たち旅行仲間は宮殿前に造られた大きな噴水と広大な庭園でその建物の豪壮さをぼう然と見上げ、ヨーロッパの建築美術の見事さに息を飲んだ。「ベリーグッド」。妻の感動はその言葉一つに収縮されているようだった。
宮殿の中も観られるというが、世界中から集まって来ている観光客で混んでいるとかでしばらく待たされた。アメリカやヨーロッパ、そして中国や韓国の人たちだろう。様々な言葉が飛び交い、豪壮な建物に驚嘆し、「憂い」を忘れたような様々な笑顔が見られた。それにしてもアメリカやヨーロッパの中高年齢男性の服装はお洒落だ。赤や黄色、青、ピンクなどの原色をさりげなく着こなし、夫婦仲良く手をつないで歩く。「俺もこれからはピンクのポロシャツにブルーのズボンを履くことにするよ」と冗談で話したら妻は困った笑顔を見せ、同行の若い女性が「伊藤さんなら似合いますよ」と言ってくれた。嬉しい一言だった。宮殿内では靴の上に履くのだという特性のスリッパが用意され、鏡のように磨かれた石の廊下を摺り足で歩き、部屋に飾られた絵画や壺などの装飾品を観賞しながら大王の生活とはどのようなものか、チョッピリだけその豪華さを味わった。
昼は再びポツダム会談の場となったツェツィリエンホーフ宮殿に戻り、そこの別室で昼食となった。我々12人専用の部屋が用意され、ここでも早速、ビール、ワインの乾杯となった。昼食の合間、窓から外を除くと緑の草原、そして木々の向こうに湖があった。光りが美しいと思った。その光りこそ、ヨーロッパの美であり、あのモネやピサロ、ルノワール、シスレーらフランスの印象派絵画を生んだ源ではないかと思った。
昼食後は再びバスに乗り、アウトバーンの旅となった。目指すのはドイツの古都・ドレスデンである。バスの走行時間は3時間の予定だった。快晴が続き、車窓から見える草原の緑がきれいだった。しかし、昼酒が効いたせいか眠い。バスではほとんど眠りっぱなしだった。
| アウトバーンから見たドイツの草原。 | 夕方、ドレスデンの宮殿に着いた。 |
日程ではドレスデンには午後5時に着き、ヨーロッパ古典絵画の名作の数々が収められているツビンガー宮殿の絵画館の見学だった。しかし、そのドレスデンの手前で自動車道が混み出し、渋滞が始まった。片側3車線のドイツの自動車道でも渋滞があるのかと驚いた。宮殿ではまた別の日本人ガイドが待っていた。しかし、宮殿に着いたのは閉館ギリギリの時間で、名作を観賞するために与えられた時間はわずか20分だけだった。
結局、その絵画館ではイタリアの巨匠ラファエロが描いたという世界的にも有名な「シティーナのマドンナ」を含めた数点を観るだけにとどまった。それにしても神の子を抱いたマドンナを中心に左右に二人の男女を置き、その下にあどけない顔をした2人の天使を配置した絵画の見事さには驚くしかなかった。ガイドの女性は「この絵だけでまち2つを造れるほどの高額で買い求めたもの」と説明した。稠密な筆致で描かれたその絵こそ神がラファエロという画家に乗り移って描かせたものではないかとさえ思った。
その日のホテルはドレスデンの郊外のホテルへの宿泊だった。古都らしくホテルの窓を開けると教会が目の前にあった。シャワーを浴びてすぐ夕食だった。ここでは照明も明るく、おしゃれな気分で夕食を楽しめた。ビール、ワインがのどごしを潤し、いくら飲んでも美味い。「イヤー。毎日、毎日が感動と感激の連続で、昨日は何に感動したのか忘れてしまって」。どこへ行っても自分たち旅行仲間に気配りし、細々と面倒を見てくれる添乗員の佐藤朋紀さん(JTB東北横手営業所)に感謝しながらドレスデンの夜を過ごした。