こちら編集室「ドイツ・チェコの旅(5)」(6月29日)
 
 磁器タイルで描かれた「君主の行列」。   戦争の破壊から復旧した教会。

 
  ドイツ・チェコの旅で良く口にしたのは「毎日が感動と感激の連続で、昨日は何に感激したのか忘れちゃった」だった。宮殿や教会の巨大さと威容さに驚き、戦争という狂気によって破壊された歴史的建造物を再現し、端正な街並みを復興させたドイツの人々のエネルギーにも感動した。

  旅の5日目に宿泊したエルベ川沿いに開けた古都・ドレスデンも第二次世界大戦では街の85%が米英軍による無差別爆撃によって破壊されたという。その悲劇から62年の歳月が流れている。今では戦争の傷跡は微塵もなく、文豪ゲーテが「エルベ川のフィレンツェ」とたたえた美しい都市だった。

  迎えのバスに乗って旅の6日目の朝はドレスデンのツビンガー宮殿の再訪問と17世紀初頭に建てられたというオペラ座「ゼンパー歌劇場」を眺め、城壁に磁器タイル2万5000枚も使って描いたという「君主の行列」を見上げ、そのリアルさと規模の大きさにぼう然とした。日本で言えば大名行列をそのまま幅100メートルもある巨大な絵にしたものだろう。馬に乗った騎士たちの凛々しさ、ヒョウの様な裏模様をしたマントを翻し、手足を鎧で覆った君主の堂々たる姿があった。

 
  バスの車窓から見たチェコの草原。   ボヘミアの保養地「カルロビ・バリ」の街並み。

  添乗員の佐藤朋紀さん(JTB東北横手営業所)を含めた自分たち12人は、中世から開けたドレスデンの街の美しさに感動し、感激を胸に刻んだ。嬉しかったのは戦争でほぼ壊滅状態となっていた教会もつい最近までに再現され、その巨大で繊細な美を持った建物の内部も見学できたことだ。再現は世界平和の象徴にしたいと世界中から集まった民間からの寄付で実現したという。キリスト教徒ではないが、教会地下の礼拝室を訪れた時は思わず合掌していた。

  石造りの中世の街並みも、その内部に入ると近代的な商店街であり、華やかな飾り、様々な商品が目を楽しませた。アクセサリーなどを販売している小ぎれいな店に飛び込んだ妻は「実家の子どもたちにおみやげを買ってあげたい」とノートや鉛筆を探したが、見つけられずに終わった。犬を連れたドイツ人ご夫婦と会った。犬の目はどこにあるのか、ふさふさした長い毛で覆われていた中型犬だった。思わず妻とそのワンちゃんの前に座り込み、「かわいいね。コンニチワ」とあいさつを交わした。言葉は通じなくても、自分たちの愛犬に言葉を掛けてくれたことにドイツ人夫妻も喜び、笑顔を見せた。自分も思わず財布の中から我が家の愛犬「パピー」の写真を取り出したら、二人ともそれをジッと見つめ「サンキュー、サンキュー」と笑った。

  エルベ川を観光船がユッタリと進む。天を突く塔を載せた建物が並ぶ。中世の街・ドレスデン。この美しい都で過ごせたことは生涯忘れまいと心に誓いながらバスに乗り、中華料理で昼食を過ごした。それにしても自分の旅には事件や事故が付き物だ。アメリカでもそうだったが、ロスアンジェルスでは泊まったホテルの前で交通事故が発生し、多くの警察官、パトカーが駆けつけてくるのを目の前で見た。ドレスデンでは中華料理店の隣のマンションから煙が出ているとかで、多くの消防車が駆けつけた。幸い大きな火災ではなかったようで、ドイツの消防車を見るのもいい機会と旅の仲間たちと消防車の見学をした。

  そしてバスに乗り、国境を超えてチェコへと向かった。国境ではパスポートの提出を求められたが、それからバスの車窓から眺める家々のたたずまいから「これは大変な国に入ったのではないか」とやや不安を感じながら、約3時間のバスの旅を過ごした。

  昼に飲んだビールの酔いもあって途中、何度か眠った。直ぐ後ろの席に座っていた妻は「せっかくヨーロッパに来ているんだから、見るものはみんな見ないと損なのよ」と小声で注意したが、睡魔との戦いに負けては眠った。しかし、時々、目覚めては眺める緑の草原の美しさには感動した。青い風の香りさえするヨーロッパの音楽はこうした風景から生れたのではないかと思った。
 
  宝石店などがビッシリと並んだカルロビ・バリの商店街。   川を挟んで街並みは存在していた。

  チェコという国も格差社会なのだろうか。ボヘミアの温泉保養地「カルロビ・バリ」に着くと建物も風景も、そして走っている車も、舞台が一回りしたかのようにガラリと姿を変え、ゴージャスでエレガントなものとなった。それまでの風景で見た家々の前に駐車していたボロボロの車は一台もなく、ドイツ製の高級車がさりげなく走っている。バスが止まったホテル「プープ」も白亜の殿堂で、内部に飾った風景画なども結構、眼を楽しませた。室内のバスルームも広く、チェコ最大の温泉保養地らしくユッタリしていた。

  夕食まで3時間ほどの時間があるという。二人で街の散歩へと出た。すぐ目の前には川があり、街はその川を挟んで両側に延びていた。どちらかと言うとホテル「プープ」の建っている左岸側が賑わい、宝石店、洋品店、レストラン、ホテル、そして両替の店などが隙間なく並んでいた。多くの観光客が行き交い、様々な言葉が流れた。街全体が絵葉書のような世界だった。妻が誰から聞いたのか、「この街は『007』の映画のロケ地になったそうよ」と言った。「そうかもしれないナ。おしゃれな街だから、ジェームズ・ボンドが登場しても不思議でない様な気がするよ」とうなずいた。温泉街と言っても、温泉は飲むもので、観光客の多くが専用の小さな陶器を買い求め、湯が湧いている場所で飲んでいた。

  その夜もホテルのレストランではビールで乾杯し、ワインを飲んだ。ボーイがワインを注文すると目の前でボトルを開け、コルクを手渡して「この香りはどうか」と香りを楽しませ、それからグラスに注いでくれた。ホテル「プープ」で過ごした夜はエレガンスなものだった。

  翌朝、旅は終盤である。朝9時半にはホテルを出発し、プラハを目指した。プラハまでは約120キロであり、3時間のバスの旅である。プラハと言えばレコード音楽を楽しんだ若いころ、スメタナの交響詩「わが祖国」を買い求め、モルダウの流れの美しいメロディを繰り返し聴いたものだった。
 
  プラハ城での衛兵の交代儀式。   教会の中のステンドグラス。
 
  そのプラハに行ける。半分憧れ、その一方でチェコに入った時の印象から半分、諦めてもいた。バスはプラハの街外れに止まった。世界遺産で「百塔の都」と謳われているだけに、旧市街のメーンとなっているプラハ城保護のためにもバスなどは交通規制になっているのだろう。空は青空だった。ここでは日本語の堪能なチェコの女性がガイドを務めた。城壁に入って驚いたのは目の前にそびえる巨大な教会だった。天を突く塔は、カメラに入りきれない高さだった。門をくぐった広場に大勢の人が集まっていた。

  何があるのか。興味を持ってその群衆の中に紛れ込んだら、城壁の門番が交代の時間を迎え、その交代の儀式が厳かに行われようとしていた。スマートな衛兵たちが並び、太鼓とラッパの音に合わせ、行進を繰り返す。背の低い妻は見たくても回りを囲んだ観光客の背中しか見えない。妻を後ろから抱き上げた。「見えた。見えた!」と上ではしゃぐ声がした。それから少しずつ人ごみを分けて中に入り、衛兵たちの交代の儀式を間近に見学できた。

  城壁内にある教会の見学は昼食を済ませてからすることになった。プラハは1200年もの歴史を刻んでいるという。石造りの建物の中にあるレストランもかなりの歴史を刻んでいる様だった。昔のレコードジャケットを部屋の飾りにしてあった。

  旅も今日が最後と言うこともあって、12人の誰もが一抹の寂しさを抱いているようだった。次第に口数も少なくなり、小一時間ほどの昼食は静かに過ぎた。
 
  巨大な教会の内部。   モルダウ川の流れの向こうに広がるプラハの街並み。

  期待していた教会に入った。多くの観光客で礼拝堂は賑わっていたが、薄暗い教会の中で見上げたステンドグラスの美しさには目を見張った。14世紀の建物という。内部を周遊できるようになっていて、懺悔の間や祭壇がなどがあった。ちょうど日本のお寺の本堂の裏側を回る様な感じだったが、薄暗いその回廊には神に救いを求めた多くの人々の祈りの重さが詰め込まれている様で、誰もが無言で歩いた。

  教会を出ると先ほどまでの青空がなくなっていて鉛色の空が一面に広がっていた。そしてパラパラと雨が落ちてきた。「エー。雨だよ」。誰もが驚いた。誰一人傘を持っている人はいない。持っているのはガイドの女性だけだ。妻が「ベルリンを案内してくれたガイドさんが、この季節のヨーロッパは晴れていても傘だけは持って歩いたほうがいいと言ってたけど油断しちゃった」と悔やんだ。

  添乗員の佐藤さんがそのガイドさんに「傘を持っている人が誰もいないのでどこかで雨宿りさせてくれませんか」と依頼したが、「いいえ。この雨はそう簡単に止みそうでないので先に進みたいのですが」と観光を勧めた。まだ小雨だったので仕方なく全員、傘なしで城内を歩いた。そして途中のおみやげ店に入ってビニールの雨具を買い求めた。

  それにしてもそのお城のテラスのような広場に出た時のプラハの街の美しさには感動した。「これがプラハの街の眺めです」。ガイドさんは自国を誇る様に振り返って、その美しい風景を眺めさせた。一幅の絵であり、絵葉書だった。

  その驚きと感動は城を出てからも続いた。欧州最古の石橋「カレル橋」から眺めるプラハの街も素晴らしかった。カレル橋は1357年から60年もの歳月を掛けて造ったという。ヨーロッパの建造物は長い、本当に息の長い年月を刻んで建てている。カレル橋は余りに有名だけに橋の上は押すな押すなの人だかりだった。多くの彫刻があり、目移りするばかりだった。その一つ、ボヘミアの守護聖人「聖ネポムク像」の台座に触れると再びこの地を踏めるとの言い伝えがあるとかで、台座に刻まれた銅像の絵は金色に輝いていた。「もう一度来れたらいいね」と二人で交互にその絵を触れた。
 
  カレル橋の上から眺めたプラハ城。   観光客で賑わうプラハの旧市街。

  橋を渡るといよいよプラハの旧市街地となり、天文時計で有名な旧市庁舎を中心に広場には時代の異なる様々な建築物があった。その一画のお店はボヘミアングラスの専門店であり、そこで買い物の時間が与えられた。

  ワイングラスや皿、花瓶、壁飾り、アクセサリーなど多種多様の品々が無数に展示されていた。その一つひとつが宝石のような輝きを持っていた。何か一つぐらい記念に買い求めようかとも思ったが、どれも万単位のものばかりで観るだけにした。そうしたら帰国後に自分の退職祝いを開いてくれた連合秋田大曲の人たちが、記念になればとそのボヘミアングラスのワイングラスをペアで贈ってくれたからありがたい。

  旅の雑記はそろそろ終わりにしたい。バスはプラハの旧市街を出て、近代的な建物が居並ぶ街を走り、瀟洒なホテルに泊まった。ドイツ・プラハの旅の最後の夜である。その夜は旅の仲間にプラハの日本人学校の教師をしている人がいるということから、その人の好意でその先生家族の案内で、プラハのビアガーデンで飲み会を開くと言うことになった。プラハの電車に乗り、プラハのビアガーデンで飲むという思わぬ体験となった。旅の最後はプラハビールと豪快な焼き肉で締めくくった。

  こうして5月16日から22日までのドイツ・チェコの旅は終え、23日朝の飛行機でプラハを飛び立ち、フランクフルト経由で成田を目指した。そして24日午後3時過ぎ、数々の思い出を刻んで我が家に着いた。旅の間中、気がかりだったパピーは玄関に入るとカギで開ける音を聞いて、狂ったように喜び、しっぽを左右にプルプル振って歓迎した。パピーの元気が一番だった。旅の間中、朝夕、横手市からパピーの散歩や食事などの世話をするため通ってくれたドッグトレーナーの小原友望(ともみ)さんの置き手紙がテーブルにあった。

  「パピちゃん。やはり寂しかったのでしょう。おしっこをあちこちにやってましたが、叱らないで下さい。お利口さんにして頑張ってくれましたから」と。小原さん、そして9日間もの間、ドイツ・チェコの旅を常に旅行者の視線になって手を焼いてくれた添乗員の佐藤さんに感謝し、この記録を終えたい。ありがとう。