新しい年が幕を開け、歩み始めた。こちらは退職して初めて迎える正月だけにゆっくりと休みを取り、のんびりと時を楽しもうと思っていた。正月を童謡に出てくる子どものように楽しみにしていた。しかし、その夢もこの冬に入って2度目のカゼを引いたおかげでセキに苦しみ、のどの痛みに窮したただけに終わった。
クリスマスイブのケーキを楽しんだ翌朝、まだ真っ暗な中、ノドの痛みに目覚めたのである。声も出せないほどの痛みに反転し、ベッドの中でうめいた。激しく咳き込み、ガラガラと何かを引きずるようなだみ声になった。妻も驚き、「あなた。うがい薬があるからそれでのどをうがいしてみてはどうなの……」と心配した。台所でうがいをし、そして冷たい水をがぶがぶのんだらいくぶんのどは楽になったが、再び咳が怒濤のように襲ってきた。
夕方、かかりつけのお医者さんにも行って薬を処方してもらったのだが、セキは止まらず、粘っこい痰をはき出しては苦しみ、腹の筋肉は咳をするたびに悲鳴をあげた。しかも毎朝、明け方に激しく咳き込むだけに寝不足の状態となった。それでも寝込むほどではなかったから、大晦日はNHKの「紅白歌合戦」を楽しみ、元日の朝から4日までは毎朝、雪も降り続けたため、雪寄せ作業も続けた。また、2日は横手市に出かけ、昼食後、大型店をブラブラしながら賑わいの中に身を置いて妻と正月らしい雰囲気も楽しんだ。
明けましておめでとうございます。本紙の読者の皆さまはこのお正月をどう、過ごしただろうか。本紙が登録している「Google Analytics」からのレポートを見ると読者はアメリカからイギリス、ポーランド、フランス、中国、韓国、ブラジルなどにもいる。たった一人で運営している小さなインターネット新聞が、こうして世界中に読者を抱えていると思うと嬉しさと同時に責任を感じるが、このごろはマイペースを大事にしたいという思いが強い。
マイペースとは無理をせず、楽しみながら取材し、原稿を書くということである。むかし、とても親しくさせてもらった大手新聞の記者は、年齢もそろそろ定年間近だったこともあってか「一に健康、二に銀行、三、四がなくて五に原稿だよ。伊藤君。俺ぐらいの年になるとね。まずは健康に気をつけ、老後に備えて蓄えを大事にし、そして焦らず、急がず、ノンビリとネタを探し、原稿を書いてりゃいいんだよ」と老獪に笑った。睫毛が親指ぐらいの太さで、しかも垂れ下がっているだけにその笑顔はとてもふくよかだった。
退職してからも毎年、年賀状は欠かさず、いつも自分のことを気にかけていてくれた。そして一度だけ趣味のスポーツ大会を通じて「秋田に来たもんだから」と自分を訪ねて来てくれたことがあった。「伊藤君は離れていても気になるというか、気にしたくなる人間だから不思議なんだ。それが君の良さかもしれないね」と目を細め、その晩はタップリとご馳走になった。その娘さんから昨年3月、訃報が届いた。享年80と言うから悔いのない生涯だったと思う。
それにしても毎朝、咳き込んで目覚めなければならない辛さからもやっと解放された。医者に行きたくても正月は休診しているため、市販されている薬を3日夜に飲んだら、その翌朝からは咳で目覚めることはなくなった。それでもまだのどがスカスカし、痰がたまる。正月の3日間は何だったろうなと思う。空しく過ごしたのがもったいない。
ともかく体力をつけたいと再び朝の散歩は始まった。咳と痰、そしてのどの痛みはまだ残っている。歩きながら思った。この一年、特別な喜びがなくてもいい。ただ、妻と小さな小犬と過ごす毎日が、平穏であればいいと。「雨ニモマケズ
風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ」とつぶやいて歩いた。読者の皆さま、どうぞ今年もよろしく。