南側に面した居間の窓の外には巨大なツララ(氷柱)が今にも屋根に届きそうなほど成長している。ニョキニョキと伸びるタケノコのようだ。屋根の雪をボイラーで温めた不凍液で解かす設備を導入した結果、雪解け水がそのまま凍ってツララのマンモスとなったのである。灯油代は掛かっても雪寄せから解放され、少しでも楽な冬を過ごしたいと取った策だったが、楽をしようとすればまた別な副作用が生まれ、巨大なツララの誕生となってしまった。今のところ支障はなく、その成長を見守っているが、雪国に暮らしていると一つを解決するとまた新たな問題が起きてくる。万能という解決策はないようだ。
さて1996年12月に立ち上げたインターネット新聞「秋田県南日々新聞」は12日午後0時35分、「500万ヒット」を記録した。本紙をサポートして下さっている「きたうら花ねっと」の方から「500万がいつ達成するか気になってサーバーを監視していました」と達成時間をメールで知らせてくれた。
アクセス500万人目となったのはアメリカ・ロスアンジェルス在住の方だった。掲示板に「500万のキリ番はわたしですー」と名乗ってくれた。
本紙が100万ヒットを記録したのは2003年3月29日だった。100万まで7年10カ月かかったのが、500万まではそれからわずか4年と10カ月だった。それだけインターネットの利用者は増えていることだろう。
本紙の広告スポンサーである伊藤住宅・モリ不動産のホームページがリニューアルとなって、それを紹介するため13日、モリ不動産代表取締役の森裕嗣さんとお会いした。森さんは「伊藤住宅の住宅完成写真集やモリ不動産としての新築アパート情報などを載せると直ぐにお客さんから問い合わせが来るんですよ。ケンニチはすごいと思います」と嬉しいことを言ってくれた。広告あって運営できる本紙であり、少しでもスポンサーには見返りがあるよう力を尽くしたいと思う。
今月初めには西仙北地域の酒小売店で組織する「西仙北酒友会」の代表を努めているワインの店「かめや」の亀谷洋治さんから自宅に「大綱の響」というお酒2本が送られてきた。本紙のスポンサーでもある秋田清酒株式会社に製造を依頼し、西仙北地域の酒小売店だけで限定販売されている特別本醸造である。
過去にはモンドセレクションで金賞に輝くなど、その味は世界にも認められた。「発売から今年で13年目を迎えました。ご試飲いただければ」と宅配便で我が家に送ってくれた。
ありがたく頂戴し、夜は晩酌として楽しみ、PRになればと記事としても紹介した。たった一人で運営しているささやかなインターネット新聞だが、こうして本紙の存在感を認めてくれるスポンサーや読者がいてくれることはありがたい。
本紙がスタートしたのは1996年12月からだった。あれから11年を迎えたことになる。その過去の記事を見ると96年12月は、まだ秋田新幹線が開通する前で当時の大曲市ではその翌年3月に開通する秋田新幹線に向けて、地元の観光施設を紹介しようと印刷費に120万円もかけた豪華な「観光ガイド」パンフレットを作ったなどと報道されている。
秋田新幹線は本県を変える大きなエネルギーになるものと期待された。東京・秋田間を約4時間で結ぶという高速交通の幕開けは様々な夢を運んで翌年3月22に開通した。夢が叶ったかどうかは人、それぞれだろうが、とにかく東京がこの上もなく近くなって便利になったことは確かだ。
本紙では翌97年3月から県知事選の取材に追われた。当時の秋田県は食糧費乱用問題で揺れ、知事がその責任を負って辞任に追い込まれた。その知事選に旧大曲市出身で当時の横手市長だった寺田典城現知事が出馬するという動きが本格化し、寺田氏を含め、知事選への立候補予定者の取材のため、秋田市や横手市へと走り回った。この11年間で一番多忙な年だったと記憶している。
10年ひと昔とは良く言ったものだ。本紙が本格的な取材活動を始めた97年は今、振り返ってみても本当に良く動いたし、良く走った。10年前の記事をひもといてそう思った。そして人生も社会も政治も10年とは一つの区切りだとの思いも強くした。
第一、還暦を迎えた自分には10年前のようなエネルギーはもうないし、今は取材に出かけるよりも自宅で過ごす方が多い。思えば10年を区切りに人は成長し、老いるのではないか。60代のこれからは時間を楽しみ、2人と1匹の小さな家族で過ごせることを大事にしたい。
14日のバレンタインデー。妻の友から頂いたチョコを日中は口にし、「かめや」さんからわざわざ買い求めたという白ワインを感謝しながら夜は楽しんだ。巨大なツララは13日から吹き荒れた吹雪でさらに成長するかと恐る恐る見守っていたが、やはり立春である。15日昼、陽射しが照った。その陽射しを受けて、いくぶん背丈が縮まったような気がする。