故・浅沼先生の墓参に想う
元衆院議員・川俣健二郎(横手市)97・11・6
偉大な指導者・浅沼稲次郎先生が、日比谷公会堂の政談演説会中、右翼の少年の凶刃に倒れた事は、未だ国民の記憶に大きく残っている。
そして来年は先生の生誕100年祭を迎える。当時、関係の深かったマスコミ界の大御所・宮崎吉政氏を会長に続いているグループがあって、それを「機関車クラブ」というが、その有志一行で浅沼先生の墓参りをしようという事になった。
「人間機関車」の異名をとり、また、「まあまあ居士」「アメリカ帝国主義は日中共同の敵」の発言等など、数々の語録を残した事でも知られている。
さて、日本の社会主義政党の足跡を見るに、大正デモクラシー以来、日労党・社民党・労農党等と数多くのグループが世に旗揚げされた。それが、反保守・非共産を旗印に大合同を成し遂げ、昭和11年総選挙には「社会大衆党」として写真で見るように、総勢21名の国会議員を生んだ。その時の国会議事堂は今の通産省のところにあった旧議事堂で、間もなく現在の国会に移り、そしてすぐさま、例の2・26事件が起きたのである。
浅沼先生は日労系で、そのグループには杉山元次郎・河上丈太郎・三宅正一・そして川俣清音等々の顔触れを揃えていた。戦前の社会党代議士はまさしく無産党そのもので、清貧に甘んじての農民運動・労働運動に身を挺し、東奔西走していた。しかし、宿賃もままならず同僚・同志の家に寝泊まりして歩いたようだ。秋田の場合は横手にある我が家に、よく同志の先生方が宿泊した事を覚えている。浅沼先生も例に違わず、よく我が家にお見えになった。我が家の「ねえや」の一人が浅沼先生の面倒を見ていたが、その名前がなかなかふるっていて「ナノ」さんといって、「ナノ子・ナノ子」と浅沼先生は可愛がっていた。そのナノさんはどう云うわけか結婚歴がないらしく、何でも一度、母が我が家から嫁さんに出したが、その夜のうち、我が家に帰ってきたという。男嫌いなのかどうか、何れ、体つきががっしりと骨太であった。ところがそのナノさん、無類の犬猫など動物好きで、例えば自分のおかずの魚をこっそりお膳の下に隠し置き、後で犬猫にやると云う可愛がりようであった。根は優しい性分とみた。
或る日、浅沼先生が「今日は」と例によって大声で入ってくるや、ナノさん途端に、「あや、先生、ズボン脱いで下さい。アイロン掛けますから」。ところが先生「いや、アイロンなんか無駄だよ、第一、社会大衆党だって何本かの路線でできているんだから」。
この会話は、私が未だ中学生であった当時のことで、今回の墓参りでまざまざと思い出されたのである。
浅沼先生の生まれは三宅島(東京都であるが180キロ南西に位置する)。かっては流人の島で「絵島・生島」の物語り、即ち徳川家奥女中と激しい恋仲となった歌舞伎役者・生島新五郎が島流しの刑を受けた島。また、「ハイビスカス等南国の植物の豊富な島」「天然記念物・アカコッコ等世界的な珍重の島」。また八丈島とともに「クサヤの干物」でも知られるその三宅島。通称浅沼公園といわれるその一角に等身大の先生の銅像をみた。衆議院副議長・三宅正一書としるしてある。
写真の様に右手を上げた得意のポーズ。良く似ている。特に、ズボンの格好がよく出来ていると思った。ヨレヨレとは云わないが、何本かの線路がついている様に見えた。その時、前記の浅沼先生と家のナノさんとのアイロン談義を思い出したのである。成るほどのズボンである。
その銅像を何度も何度も見上げているうちに何か聞こえてくるような気がした。
「社会党は早く独り立ちしなさい!」。そして「共同戦線党である社会党が下手に一本の線にまとめようとして、アイロンを掛けるような事をするから、核分裂を起こしたり、今はラッキョウの皮むきのように小さく小さく成ってしまったではないか」と。 そしてこの世にあってはならない自社馴れ合いの政治をみて、農民運動・労働運動に生涯を捧げた浅沼先生が今の世相を心底嘆いておられるようにも響いてくるようであった。(注・川俣氏は写真右です)