こちら編集室(3月14日)

 知事選の動きが本格化すると同時に秋田市と横手市を車で何度も往復するという慌ただしい1週間だった。ともあれ立候補を表明した3氏の顔写真は手に入れ、そして県民に何を訴えるか、知事選に向けての基礎資料は揃えることが出来た。あとは3氏がそれぞれ県南に入って開く集会や決起大会の様子を見守るだけである。県医師会が独自の候補を擁立する動きもあるが、ここはしばらく様子を見たい。

 頭が県知事選でいっぱいになっていた9日朝の日曜日だった。電話が鳴り、その向こうから「県南日々の伊藤さんでしょうか」と呼掛けがあった。電話で直接、「県南日々新聞」の名を呼ばれたのは実はこれで2度目である。1度目は河北新報からの取材の要請であった。そして今度は、初めての「県南日々新聞」への取材依頼であった。

 「こちらは協和町の峰吉川小学校ですが、うちの子どもたちが卒業記念に残していく校名表示板の除幕式が今日午後からありますが、どうかその様子をあなたの新聞で取り上げていただけないだろうか」との要請だった。初めての取材要請。なにかこそばゆいような、それでいて「ああ。この新聞が、もうこのように取材要請を受ける、紙面へと発展したのか」と世間に認知された嬉しさが頭のさきから爪先まで電流のように走った。

 そばにいた妻も「えっ。取材要請第1号だね。記念すべき日曜日になったじゃない」と、半分からかっては、はしゃいだ。しかし、複雑な気分でもあった。

 「おい。お金にもならないボランティアでやっている新聞だぜ。それなのに日曜日まで駆り出されるようになったら、この先、一体どうなるんだ」と内心の嬉しさをかみ殺しながら、口からは逆の文句が滑り出た。

 「いいじゃないの。ほら、太田町の鈴木空如だって死んでからその功績が認められたように、あなたの新聞だって、いつかはそうねー。あなたが亡くなってから、大変な功績をこの世に残したなんて認められるかもしれないわよ」。鈴木空如。法隆寺の壁画の模写で有名な日本画家である。

 「冗談じゃない。死んでから有名になったってしょうがない」。ブツブツ文句を言いながらも、心ではいち早く峰吉川小学校に行きたくて弾んでいた。

 取材要請をしてきたのは小西修悦教頭先生だった。学校に着くと、入口で子どもたちと一緒になって除幕式の準備をしていたその先生は、駆け足で自分の車に寄ってきて「伊藤さんでしょうか」と尋ねた。「いやー良く来てくれました」と職員室に案内し、校名表示板を卒業記念に残すことになった経過を説明。

 そして除幕式の写真撮影を終え、再び職員室で武田覚校長と交えて雑談をしているとやおら立ち上がった小西先生は机の上から「ファイルブック」を手に、「実はうちの学校では県南日々の記事をこのように参考にさせてもらっているんですよ」とその中を開いてみせた。それは学校に行けない子どもたち、いわゆる「登校拒否」の子どもたちを扱った大曲市の「さわやか教室」の記事であり、青少年健全育成大曲市民会議で講演した青少年育成国民会議専務理事・上村文三氏の「徒党化する現代青少年の非行」内容や南外中学校の生徒が村役場で開いた模擬議会などの記事をプリントしたものだった。

 「職員会議での課題にしたり、教育の参考に使ってます」と小西先生は語った。激しい感動と嬉しさが再びこみ上げてきた。「何も言わなくても、こうしてこの新聞を使っているところもあるんだ」という喜びだった。小さな「県南日々」が流した記事が、このような所で生かされいるという感激だった。取材を引き受けして心から良かったと思った。

 そしてその日を契機にまた一つ妻に、無心をした。「お金にはならない新聞だけど、読者や取材先と確実に連絡を取れるようにしたい」と携帯電話の購入である。峰吉川小の話が妻にも嬉しかったようだ。

 「あったほうがいいでしょうね。あなたは連絡が取りにくい人だから」。

 そう。自分は取材のため、会社にはほとんどいることがない。市役所記者室を前線基地に、原稿もここから発信しているため、名刺に書かれている会社の電話番号ではほとんど連絡は取りにくい存在だったのである。

 知事選が始まろうとしている。携帯電話はおかげで、立候補を表明した3陣営の事務所と連絡をとるための最大の武器として役立ちはじめた。010─066─2534。私の電話番号である。