こちら編集室(97・3・24)
知事選が日を折って近づいてきた。22日までは3人の立候補と決め込んで、準備も終えて後は本番を待つだけと決め込んでいたら、その日の午後には急きょ、朝日新聞東京本社取締役総務局を辞職、知事選に出馬すると中島達郎氏の記者会見のニュースが飛び込んできた。
世のなか何が起きるか分からないとはいえ、中島氏の出馬は余りにも唐突だった。しかも、組織もないままの無謀とも思える出馬である。新聞記者として秋田県政へ義憤にかられての出馬とも思えるが、ともかく翌日の朝刊に目を通しながら、秋田市の中島氏宅へ電話を入れ、取材を申し込んだ。
目の回るような忙しさとはこの事かもしれない。日曜日。10時半からは佐竹氏の事実上の大曲仙北での総決起集会。そして午後1時半からは寺田氏の大曲事務所開き。終わって秋田市に駆けつけて4時からは中島氏の取材。ともかく県南日々には一刻も早くニュースを入れようと秋田市からとんぼ返りして、原稿を書き、午後8時には選挙情報の紙面に書き換えることができた。
しかし忙殺された1日ではあったが、嬉しいこともあった。佐竹氏の会場で御法川英文代議士の秘書をしているご子息のひと言である。「伊藤さん。県南日々はいいですね。毎日、チェックしてますよ」とお褒めの言葉を頂いたことである。どこでどんな人が目を通しているか分からないもどかしさもあったが、やはりこんなにも身近な所に読者がいるんだと励みになった。
そしてこの新聞のアクセス数は21日朝で遂に1万件を超えた。アメリカ在住の岩間さんからは早速、「アクセス数1万件突破おめでとう」とメールが入っていた。岩間さんは秋田県には一度も足を踏み込んだことがないままアメリカの企業に就職してしまい、そのままアメリカの国の人になったという。なぜかこの新聞に温かい視線を送り、貴重なアメリカの文化をお届けして下さっている。
一方、アラスカから英文でしかメールを送れないため、何とか「県南日々」の住所を教えてもらえないかと問い合わせのあった木村悦子さんから直筆のお手紙が21日にわが家に届いた。仙台市出身という。大曲市に滞在したこともあって懐かしさの余りに手紙を書きたかったとあった。ありがとう。木村さん。お手紙は確かに届きましたよ。木村さんや岩間さん、そしてシンガポールの柳さん、大阪の森元さん、ハワイのジュディさん。多くの方のお蔭でこの新聞は読者参加型の、少し大げさにいえば国際的な新聞になろうとしている。
文化欄に届く岩間さん、柳さん、森元さんのお便りはこの新聞の貴重な財産と思って大切にしたい。いや、読者のコーナーに入るお便りもこの新聞にとっては貴重な財産である。どれも皆、孤独な新聞づくりを癒してくれたありがたいお便りである。
1万人を超えたら是非、編集者自身が新聞に登場してほしいといつか、大阪の森元さんからは要請があった。自分の姿を登場させることには自信がなかった。でも読者とのつながり、いわばより強い信頼関係を築く意味でも本人自身が登場してみるのも良いのではないかとお勧めもあった。照れ屋で、恥ずかしがり屋の自分である。でも、しょうがない。こんな顔をした人物である。読者の皆さまよろしく。
それにしても兄弟愛というものを見せつけられた23日の日曜日であった。寺田氏の大曲事務所開きでのことである。寺田氏は旧姓・小原氏。大曲仙北ではトップランクに入る秋田振興建設株式会社の4男である。長男・陽太郎氏はその会社の社長。生粋の自民党員である。その小原氏が、社民党や公明、連合といったいわば肌合いの全く違う人たちに紛れて、弟・寺田氏の必勝を祈願して顔を出したのである。
「仕事を貰うためには自民党を支持しなければならない。しかし、弟の実家を敵の陣地にするわけにはいかない」と苦しい胸のうちを明かしていた。仕事か兄弟愛か。二者択一の選択に悩み、迷ったこともあったという。最後に選んだのは仕事より、兄弟愛である。選挙の結果はわからない。それでも弟を選んだ兄の決断だった。
今度の選挙、実質的には佐竹氏と寺田氏の戦いとも言える。取材を通じて、両氏を知れば知るほど、どちらも負けさせたくないという情感が沸いてくる。確かに一長一短も見えることもあるが、人柄の良さをもった両人である。そして一方は負ければ県総務部次長というエリートコースをなげうっての戦い。また一方も、市長という地位を失うことになる。佐々木知事は罪なことをしたと時々、思うことがある。