こちら編集室(97・3・29)

 異動の時期を迎え、自分が仕事場としている大曲市役所記者室周辺もなにかと慌ただしい。そんな折り、記者室向かいの教育委員会に県教育庁から社会教育主事として派遣されているS先生が入ってきて「ちょっと部屋を貸してもらえませんか」という。今度の異動で再び学校の教壇に立つことになったS先生は性格が明るく、少年のようにみんなに親しまれている。30代である。

 毎朝のように記者室に顔を出しては県南日々新聞の紙面を見て、アクセス数が伸びていくのを確認しては喜んでいた。ガタガタする教育委員会では後任として派遣されることになった0先生と、事務引継の話が出来ないとして記者室を借りたかったのだろう。もちろん、喜んで応接セットを使ってもらった。

 「あれはこうで、これはこう」。1時間ほど、二人の会話が原稿を打つ自分の耳に入るが、とにかく仕事は進めた。 そして二人が帰るときである。S先生はいつものことで、「それじゃ」と部屋を風のように飛び去ったが、少し遅れたOという後任の先生はこちらの顔を一瞥(いちべつ)しながらも、無言で部屋を出た。他人の仕事場を使っておきながら、あいさつ一つ無しである。仕事に支障がなかったわけではない。だが、正直言って二人の会話は耳障りだった。

 私は次第に腹が立ってきた。「Sさん。さっきのあの人は何者だい」。自然にこちらの口調が荒くなってきたのに気付いたS先生は「なんかありましたか」と言葉づかいを改めた。

 「あれも学校の先生か」。「そうですが」。「いくつになった先生なの」「38歳です」。「38歳になっても、あいさつという常識を欠けたまま大人になってしまったようだね」。「あんな先生がいるから、今日の朝日新聞にこんな主婦の嘆きが載るんだよ」。

 S先生は大慌てで新聞を開いた。すぐに社会面に目をやった。「そこじゃない。家庭欄だよ」。私は朝日(3月27日付)の家庭欄を開いた。

 川崎市の38歳の主婦が朝日新聞家庭欄「ひととき」に寄せた子どもたちへの怒りの声である。

 その主婦は小学校の近くを春の風を浴びながら気持ち良く歩いていたとき、校舎の窓から、「そこのババア!」「ゴキブリ!」とば声を浴びせられたと言うのである。叫んでいるのは高学年らしき数人の男子児童である。

 私はこの記事を読んで、背筋が寒くなる思いをした。

 主婦は言う。「一面識もない、通行人にば声を浴びせて喜ぶなど、親はいったいどういう育て方をしたのか。この学校の教師はどんな教育をしているのか」と。

 私は他人の部屋を使っておきながら、ひと言のあいさつもないまま出ていったOという先生の後ろ姿を見たとき、「こういう先生がこのような子を生み出しているのか」と無性に悲しくなった。あいさつ。小さいことだが、感情という複雑な心を持っている人間はちょっとしたことでも傷がつく。

 新聞に目を通したS先生は「いやー。伊藤さんってすごいもんだね。新聞のこういう所まで目を通してるんだ」と変に感心しながら、「それにしても酷いな」と他人の心の痛みを知らず、荒れる子どもたちの記事に目を暗くしていた。そしてこちらも「先生たちよ。もっとしっかりして欲しいぜ」と心から叫ばずにいられなかった。

 今日は秋田市でこの県南日々でも紹介した、仙南村在住の写真家・泉谷玄作さんの花火の「写真集」出版記念祝賀会がある。発起人の一人として名を連ねただけに、お祝いに参加して大いに美味い酒を呑もうと思っている。

 この新聞をリンクさせてもらいたいとこのごろ様々なところから嬉しいメールが入ってくる。27日にはNECの「ネットプラザ」からもリンクの承諾依頼があった。パソコン音痴の自分を支えてくれた松戸市コンピューターサービスの佐々木徹さんは「このような大手からまでリンクの報せがあるということは、伊藤さんの新聞の実績が認められたことですよ」と喜んでくれた。スペインからは秋大情報工学部の玉本教授から「アクセス1万件突破」を祝うメールまで頂いた。

 玉本先生からは「固定した愛読者が多数いるというのは、すばらしいことです。地域に根ざしたニュースをそれも常に最新のニュースを発信されているからだと思います。私はインターネットの本来の姿を見るような思いがします」と涙が出るほど嬉しいメールだった。

 26日、横手市で開いた「県南工業振興会」の発足式で会った県商工労働部の臼田工業振興課長も「あなたでしたか」と驚くような表情を浮かべ、「毎日楽しみにしてるんですよ。県南日々にアクセスするのが」と言われた。一人で始めた「県南日々新聞」は一面識も無い多くの方々に支えられているんだと実感した。