こちら編集室(97・4・21)
全国注目の的であった知事選もようやく終わった。一人では大した取材も出来ないと焦りながらもともかく立候補した4人の選挙カーを追った。追いながら有権者の声も聞き回った。聞けば聞くほど県庁批判の声が多かった。「いま秋田から県庁出身者を勝たせたら、秋田は全国の笑い物にされる」。厳しい批判の声だった。20代の女の子は「うーん」と一つ間を置き、「やっぱり、佐竹さんという人には抵抗、感じる。だって、本人が食糧費問題の当事者じゃない。その人が今度は自ら県庁を改革するなんて変だ」と疑問を投げかけた。
そして結果は、前横手市長の寺田氏が29万1589票、前県総務部次長の佐竹氏が26万3481票。前朝日新聞記者の中島氏が6万4549票、前県高教組委員長の斎藤氏が3万6859票だった。寺田氏と中島氏の票を合わせると実に35万6138票となる。佐竹氏がどんなに足掻いても勝算がなかった選挙だったことを見事に語っている。秋田県民は佐竹氏と言うより、県庁出身者というだけで強い不信感とアレルギーを発したのだ。
寺田氏の当選。県民はある意味で妥当な選択をしたと言えよう。初の民間出身の知事である。大曲市の建設会社・小原家から横手市の寺田家に婿入りし、自らも建設会社とガソリンスタンドを創設して軌道に乗せ、そして1991年、横手市長に初当選。民間出身者らしい柔軟な発想で、前例や慣例に慣れきってそれを破ろうとしない市職員と葛藤を演じて改革を進めてきた。時には民間から女性職員を抜擢して、幹部に据えるなど思い切った人事も行った。そうした民間出身者らしい寺田さんの行政手腕で混迷しきった県庁にメスを入れることを県民は望んだことだろう。
しかし、私たち県民は惜しい人物をまた一人、県政の場から失ったということも肝に銘じるべきかもしれない。今度の県政の混乱では、幹部職員が疲労困憊で突然死もした。そして自ら責任を取って職場を去った幹部職員も居る。さらに今度は佐竹氏という惜しい人物の喪失である。 取材で初めて秋田市で会った時の佐竹氏の好印象は忘れられない。滔々(とうとう)と県政改革に向けた考えを語り、情熱を示した佐竹氏。その物腰の低さに「ああ、この人なら知事という殿上人(てんじょうびと)のイメージを県民からぬぐい去ってくれるかもしれない」と思わず嬉しくなったほどだ。とにかく温かい人柄が全身から伝わってくるのだった。
選挙戦を通じてもそうだった。籠の付いた車を頼りにやっと歩ける腰の曲がったおばあさんが、家から出てきたのを目にすると、そのおばあさんと同じ視線で腰を落とし、握手し「ありがとう。おばあちゃん」と優しく声をかけた佐竹氏の姿には本物の優しさがあった。優しさ。私たちがいま県政に求めているのは温もりをもった優しい行政かもしれない。その意味でも佐竹氏の敗北、そして県政の場からの退陣は惜しまれる。
ともあれ、いまの県庁への逆風の中での佐竹氏の立候補は無謀だったかもしれない。自民党が橋本龍太郎首相を呼び、最後は加藤紘一幹事長を投入しても風は収まらなかったから。加藤幹事長は大曲市での街頭演説でこう言った。「佐竹さんはだまって県庁に居れば、出世街道に乗っていずれは副知事の座に収まっていただろう。それをあえてなげうって自ら県政を改革したいと、この危険な知事選に出た。どうかその勇気を評価してやってほしい」と。そう。黙って県庁職員として働いていれば、佐竹さんなら県職員のトップリーダーとして、その才能を発揮していただろう。それだけに惜しまれる。
逆に寺田氏が敗れていたら、また自分は心を傷めていただろう。横手市長という安定した地位をなげうった結果が、ただの人となっていたからである。ざっくばらんであっけらかんな口調は時には毒舌にも聞こえ、誤解を生むこともあるが裏のない明るくオープンな人柄は好ましい。
今度の知事選、取材を通じてその人柄を知れば知るほど、どちらも負けさせたくないという贔屓(ひいき)心が沸いて苦しんだ。そして終わった。残ったのは辞任した佐々木前知事もずいぶん罪なことをしてしまったものという空しさと気だるさだけだ。
知事選が終わったら、選挙結果をあれも書こう、これも書こうと思っていたが、そうした訳でペンを(ワープロだが)取る気にはならない。とにかく佐竹さんという惜しい人材が県庁から去ったという寂しさだけが心に残った。そして寺田さんのこれからの県政運営に対する期待感もある。49歳の佐竹さん。これからどんな人生を開拓していくのか。選挙とは無惨なものである。