こちら編集室「読者とのつながり」(97・5・10)
この新聞をスタートさせてもう半年目を迎えようとしている。自分の人生の新しい一ページが開かれるような、そして未知の世界に飛び込んで行くようなドキドキした気分で最初の紙面がインターネットに流れたのが昨年の12月1日だった。
初日はこの新聞づくりのため協力して下さった「たざわこ芸術村」のデジタルアートファクトリーのチーフエンジニア・海賀孝明氏、チーフディレクターの長瀬一男氏ら関係者数人がアクセスしては紙面をあれこれ評価するという心もとないスタートだった。もちろん、アクセス数も10数回という小さな数字を刻んだだけである。それが16日目には973を、そして17日目には1117という数字を記録した。アクセス数1000を超えたときはちょっとした興奮も沸いた。
それがこの5月10日朝にはもう1万7000に近い数字が記録された。大げさだが世界のだれかがこの新聞を見ていてくれるのである。そして読者の方からも嬉しいお便りもいただく。県庁の方からは知事選に触れた「こちら編集室の記事(4月21日)には同感です」とのお便りもいただいた。そしてタカヤナギデパートが昨年のお中元セールで全国百貨店協会のインターネットに参加した結果、大手デパートと肩を並べて6位の成績を修めた記事に「インターネットならなせる技、感激しました」とのお便りもいただいた。
大阪の読者の方からは「私たち読者は県南日々の質・量の向上と永続性のためにも相応の対価を払うべきではないか」と身に余るほどの嬉しい評価までいただいた。確かにある程度の経費を稼げる新聞になりたいと思うことはある。しかし、現状の取材力、記事の量ではとても読者から対価をいただけるものとは思っていない。ただ熱い夢はある。いつかは後継者を育成し、「県南日々」の名前が示すように横手市、湯沢市、そして秋田県庁にも記者を置き、タイムリーな情報を読者にお届けできたらという夢である。夢は夢かもしれないが。
そして10日には盛岡市の方から「仙南村の松田助役の記事を読ませてもらいました。彼は高校時代の同級生であり、助役になっているとは思いませんでした」との反響もあった。驚いたことに福岡市の医師からは9日、1月29日に掲載した「消防マンから産業保健センターコーディネーターに転身した冨樫さんの記事に出会いました。あまり認知度が進んでいない地域センター活動を紹介していただき、本当に感謝しています」とのお便りまでもあった。
九州の人がわざわざこの新聞を見つけ、しかも3カ月も前の紙面の中から冨樫さんの記事を見つけた山浦隆宏医師。偶然のなせる技と思うが、砂浜で針を探すような出会いだったと思う。山浦さんはこの県南日々をご自身が持っている「地域産業保健情報」と題したホームページにリンクを張らせて欲しいとの要望もあった。もちろん、大喜びで掲載を依頼した。インターネットの底知れぬ広がりに目を見張るばかりである。
読者のお便りの中には県南日々には馴染めないメールもあった。東京のお寺さんからインターネット上にお墓をつくる企画を立てたからという掲載依頼。他人を告発するメール。中央の政党からは政府のダム政策批判。アメリカからはアジアの性を告発する英文の評論も飛び込んだ。さまざまな声がインターネットを通じて世界に流れていることをこの新聞に寄って知ることが出来た。
新聞によって自分の時間は失われた。暇を見つけては図書館に通って本を読むのが好きだった。いまは読みたい小説を手にしても1日に数ページ目を通すだけである。しかし、毎日、どこかでだれかがこの新聞にアクセスして読んでいただけると思うと失った自分の時間より、記事によって結ばれる読者とのつながりこそ大きな励みとなる。
苦しい時もある。記事になる材料に欠けたときである。あちこちに電話をかけ、さらにには市役所内を歩き、県の出先機関に顔を出し、ネタを探すが手に負えない空白が生じたときは大きな焦りで手が汗ばむ。友人は「購読料を貰っている新聞じゃないから無いときはしょうがない」と忠告するが、今日もどこかでだれかが新しいニュースを待っているのではないかと思うと投げていられない性分なのである。そろそろ表紙の写真も変えたい。しかし、イメージが浮かんでこない。ああ。もう一人、取材協力者が欲しい。心からそう思う。