こちら編集室「浮き河竹の勤め」(97・6・7)

 6月7日午前11時45分、県南日々をアクセスしたら2万0019の数字が示された。最初の1万のアクセス数が記録されたの3月21日で、この新聞が発行されてから4カ月弱かかって1万の大台を超えた。今度は2カ月と7日で1万を超えたことになる。読者が確実に増えていることを実感した。アクセス数2万という数字の重さと責任感を痛感している。

 それにしてもちょうど、2万という数字に出会った読者はどなただろう。スポンサーがあって、経済活動をしている新聞なら「おめでとうございます。2万を記念に○○旅行をプレゼントいたします」なんてはしゃいでいたかもしれない。5月21日には県商工労働部長の深野さんから「たまたま当紙にアクセスしたらジャスト1万8000人目という数字に出会いました。いろいろなホームページにアクセスしたが、このようなキリのよい数字は初めてです」と感動のメールがあった。2万の数字に出会った方、ごめんなさい。言葉だけでも「おめでとう」と言わせてください。

 この新聞が河北新報秋田支局の土井敏秀記者の取材を受けて、秋田県版と同社のインターネットで紹介されたのは2月25日だった。若い記者を育てるための「デスク」も兼ねているという土井さんは取材終了後、いっしょに昼食をとりながら「ワープロ時代になって入社してきた若い記者はどうも言葉というか原稿が、粗末になってね」とぼやいておられた。分かるような気がした。

 自分も紙に向かって原稿を書いていたころは時間をかけ、そして辞書を片手に漢字を調べ、読み直しを何度もしては文章を削り、いわゆる鏤刻(るこく)の苦労をしたつもりだった。「書くということは力仕事です。ちょうど堅い岩に向かって鑿(のみ)を振るうような」と表現したのは確か太宰治ではなかったろうか。太宰にははるか及ばなくても言葉を使う仕事だけに、読者に分かりやすい表現と読みやすい文章でありたいとは思っている。

 しかし、現実はどうだろう。ワープロを使うようになって以来、辞書を引くことも少なくなり、さらには誤字、脱字、あるいは表現のミスに後で気付き赤面することしばしばである。便利な機能は人間を堕落させ、ミスを誘う。さらに「日々新聞」と名づけた以上、記事だけは1本か2本、とにかく毎日、紙面に取り込みたいという焦りもあって普段からまずい文章がさらにお粗末となっているようで読者に申し訳ないと思う。

 土井さんに言われたように「言葉を大事にする記者」でありたいと思う。言葉といえば思い出すのは「浮き河竹の勤め」という熟語である。この言葉と初めての出会ったのは20数年前、司馬遼太郎の小説「峠」でである。「しょせん私たち遊女は朝(あした)には源氏を送り、夕べには平氏を迎える浮き河竹の勤めですもの」。主人公・河井継之助と出会った遊女はまともな恋も許されぬ悲しい身の上に涙を落とす。 どうしたわけかこの言葉が自分の頭にソックリ入り、年上でとてもすてきなクラブのママさんと街で出会い、コーヒーを共にしながら語り合ったのが切っ掛けに、辛い片思いの恋に陥ったことがある。

 「ねえ。ママ。浮き河竹の勤めって知っている」

 「知らない。なーにそれ?」

 「ママ。怒ちゃだめだよ」

 「だいじょうぶ。ママ、怒らないわよ」

 「浮き河竹の勤めってね。例えばこう書くでしょう。朝に源氏を送り、夕べに平氏を迎える浮き河竹の勤めって」

 取材ノートに汚い文字を書き込み

 「ね。朝まで好きな源氏の男と過ごしていたのに、夕べには敵でもある平氏の男を迎えなければならない。そうした遊女たちの悲しい性(さが)を表現した言葉なんだ。ママたちにだってあるでしょう。好きなお客さんの隣に座るのは楽しいけど、嫌なお客さんでも好きなふりをして楽しませてあげなければならない。だから、ママたちの仕事にも少し似ているんだなといま思い出したの」

 「へー。伊藤さんって、学があるんだ。よしママ、この言葉、大切に覚えておこう」

 大きな吸い込まれそうな目を輝かしたママさんの顔がとてもきれいに見えて、魅せられてしまった。いま大変なブームを呼んでいる渡辺淳一の恋愛小説「失楽園」ほどではなかったが、中年の恋に苦しんだ。ちょっと辛く、ちょっと甘い思い出がいまも時々、思い出される。

 そして忘れようとパソコンを購入し、夢中で付き合っていたら「秋田県南日々新聞」というインターネット新聞が生まれてしまった。やはりハイになっているのだろう。アクセス数2万という重みが言わずもがなを語ってしまった。ともかく言葉を大切にしよう。