こちら編集室「賭け事」(97・6・28)
横手市の場外馬券売り場へ取材に行ってみた。競馬の経験のない自分には館内の異様な興奮と熱気には戸惑うことばかりだった。だれもが競馬新聞を手にして、真剣な眼差しで勝ち馬を予想していた。
競馬が良いのか悪いのか、門外漢の自分には分からない。何万円も負ける人もあれば、もうける人もいるだろう。勝っても負けても、生活に影響が及ぼさない程度の遊びならある意味で健全なレジャーだろう。大型画面で展開される迫力あるレースを見ながら、そう思った。ただ多くの人の目が異様に燃えているのが気になった。そういう人たちは一つのレースにいくらお金をつぎ込んでいるのだろう。札束を手に競馬新聞に目を通している人の姿も異様だった。レジャーを通り越した賭博(とばく)家のようで、普段、目にしている県南のおとなしい感じの人には思えなくなった。
賭博性の高い競馬場だけに様々な人が集まるのは仕方ないかもしれないが、子どもたちには見せたくない光景だった。もっとゆとりのある馬券の買い方をして楽しんでもらいたいと思った。
数年前、この場外馬券売り場の誘致を横手市の青年会議所が当時の寺田典城横手市長に陳情したとき、契約している月刊誌に記事を書くため、取材に訪れたことがあった。健全性の高い青年グループがわざわざ射幸心をあおる馬券売り場の誘致に動きだしたところに興味を抱いたからである。反対の立場からの取材ではなかった。人間、純粋培養された環境で育つよりも様々なことを体験するのも大事だという立場から、お話を聴こうと思ったわけである。
会議所の青年たちは「確かに賭博もからむけど、ある程度、大人も楽しめる施設も必要ではないか、そうでないとこの地方都市の活性化はなかなか進まないと思うんです」とのことだった。しかも「横手市からも多くの人が岩手県にわざわざ駆けつけて、お金を落としてくる。それなら地元にそういった施設を誘致して経済の活性化を図ったらよいじゃないか」とも言った。
一方、湯沢市の宗教家からは電話でお叱りを受けた。彼は「競馬は悪魔です。そのようなモノを取材するなんて」と唾棄した。自身も若いころは住んでいた関東で競馬に凝り、数千万円もの大金をつぎ込み、破産。親類に迷惑をかけ、何度も自殺を計ったとのことだった。宗教に入り、やっと競馬から足を洗うことができた彼は「私のような辛い思いをさせたくないから、馬券売り場の誘致に反対するのです」と電話の向こうで悲しそうに訴えた。
その気持ちも分からないわけではないが、いずれ競馬の面白さを知った人なら例え地元に競馬場が無くても車でどこへでも駆けつけて「買った、負けた」の勝負の世界を楽しむだろう。何でも反対と規制するより、レジャーとして楽しむ競馬なら余り大げさに騒ぐ必要はないだろうと思った。ただ、初めて門を潜って見たあの燃えるような異様な眼差しには参った。やはり競馬は賭博そのものだろうか。いや、いま始まったばかりだから誰もが夢中になっているだけだろう。いずれ時が経てばもっとゆとりをもった馬券の買い方となろう。そう思いたい。競馬で破産したなんて悲劇が生まれないことを祈って。
ともかく賭け事すべてが悪だとは思いたくない。記者自身も20代に入って、この仕事に携わるようになった時はマージャンさえ知らなかったが、記者仲間が毎日のように市役所記者室に集まってはテーブルを囲み、和気あいあいと楽しんでいるのを見ているうちにいつしか自分もそのとりことなった。大先輩だった読売新聞の記者は「伊藤君。我々がこうして毎日マージャンをやっているのは、遊びじゃないんだ。競争仲間を同じテーブルに閉じ込めて置くと、特ダネを抜かれる心配がないってことなんだ。ワハハッハッ」。隣に座っていた産経新聞の年配記者も「伊藤ちゃん。読売さんは良いこというだろう」とニコニコしながらパイを握っていた。
いま思い返してみると随分、身勝手な“詭弁”を聞かされたものだが、マージャンを通じて知り合った人間関係の深さは貴重だった。
取材のイロハも知らない自分に事件記事の書き方やいかに取材相手から大切な情報を引き出すかなど実に大切なことを学んだ。安給料で自分の糊口もぬぐえない当時だった。それでも「伊藤ちゃん、飲みに行こうか」とマージャンが終わったあとは夜の酒場でご馳走になった。2年、3年と付き合い、転勤することになった先輩記者は小さな会社に勤める自分の行く末を心配して、「伊藤ちゃん。うちの新聞に入らないか。地方記者として推薦してやるよ」とお誘いを受けた。行きたかった。大新聞の記者になれるなんてと夢のような気持ちだった。
だが、家では既に年老いた両親が「お前しかいないからな」と頼りきっていた。あの頃は、子どもは両親の面倒を見るのが当たり前という時代だった。母の涙顔が見たくなかった。そんな時代だった。