こちら編集室「秋田の優しさ」(97・7・12)

 神戸市の事件が中学生による犯行と知ったとき、「ああ。病める都会の子よ。秋田の田舎にお出でよ」と叫んでやりたかった。耳を塞(ふさ)ぎたくなるような余りに悲惨な犯行だけにまず最初に思考に浮かんだのは都会の子はこれほど追い詰められているのかと思ったからである。

 しかし、それから間もなく「秋田にお出でよ」と思った自分の考えが甘かったのかと心がぐらつく事件が秋田でも起きてしまった。大館市で8人の中学生が公園で飼われているクジャク1羽を足蹴りにするなど虐待して惨殺したというニュースが5日に報じられたからである。殺されたのがクジャクとはいえ、神戸市の事件とどれほどの落差があろう。

 クジャクが中学生にどんな憎まれるような行動を取ったというのか。単なる腹いせを弱者のクジャクに向けたにすぎない。神戸市の事件の本当の犯行動機は分からない。だが、クジャクを殺して喜んでいた大館市の中学生と心理がどこか似ているようで悲しいし、恐い。ともかく大館市の事件があってから「都会の子よ。秋田へお出でよ」と言える自信が喪失してしまったことは確かだ。秋田の子からも優しさという、人間にとって最も大切な心が失われつつあるのだろうか。

 しかし、先日、大川西根小学校の「音楽の集い」を取材に行ったとき再び、「都会の子よ。秋田にお出でよ」と言える自信が沸いてきた。招かれたお父さん、お母さん、そして保育園児や知的障害児のために自分たちの歌とオーケストラを聴いてもらいたいと一生懸命に演奏する117人の子どもたちの目の輝きが何とも言えないほど可愛くて、優しいと思ったからである。

 音楽を指導する先生は「特別なことはしてません。子どもたちの自主性を大事にしてますから」と話された。その先生の目も良かった。子どものように清々しい目をしているのである。子どもの立場になって、子どもの視線になって付き合っているとこうも目が子どもの目に似てくるのだろうか。

 昨年の春だった。東京・町田市の中学生が田沢湖町のわらび座に泊まり、大川西根地区の農家で半日、農業体験のために訪れたのを取材した。男の子1人と女の子2人だった。1人の女の子を除いては2人ともほとんどモノを言わない病的なほど静かな子だった。3人を迎えた農家のお嫁さんは中学生のお母さんぐらいの年代だった。

 「良く来てけたなー」。大きな居間に3人を通したそのお嫁さんはニコニコしながら、本当にマリアさまのような優しい笑顔で3人に語りかけた。口の重いご主人だったが、こちらもニコニコしながら「遠慮さねたていいぞ」と声をかけた。

 始めのうちは小さくなっていた3人は次第に打ち解け、「家の中を見ても良いですか」と承諾を貰い、居間から次の間の座敷から座敷へと歩いた。キョロキョロしながら「大きい。家ってこんなに大きいんですか」と目を輝かしていた。それから3人は案内されて田んぼに入り、実際の田植えを経験した。農家のお嫁さんは「秋になってコメっこ取れたらオメだちさ、送ってやるからな」と語りかけたら、「うわーっ」と歓声をあげていた。

 自分の取材はそこまでだったが、後でその農家を訪ねて話を聞いたら、2人の女の子が帰り際にそっと「お母さん。来年の高校受験が終わったら、また来ていいですか」と尋ねたという。「胸がキュッとなって、ああ。お出で、きっとお出で」と言ってしまったとそのお嫁さんは笑っていた。以来、その中学生と文通が始まり、そして約束通り、今年の春、1人の女の子はその農家を訪ねてきた。もう1人の女の子は家庭の事情で高校に行けず、働きに出ることになったが「お給料を貰って、余裕が出来たらきっと秋田を訪ねます」との手紙が来たという。

 嬉しい話につい自分の胸も痛いほど温かくなった。そのお嫁さんは加賀文子さんという。もしももんぺ(野良着)姿が似合う「日本のお母さんコンテスト」というものがあったら絶対に1位になれると推薦できるほど優しい笑顔の似合う人だ。秋田にはこういう人がいる。3人の娘さんを育てたが、3人とも素直で気立てが良い。3人とも小さいころから田んぼで働く両親のそばにいて、働く姿を見ながら育った。温かい家庭だった。

 中学生だった町田市の女の子2人は加賀さん夫婦に「安心できる空間」を本能的にあの日、感じ取ったに違いない。秋田にはこういう人がいる。都会の病める子よ。秋田にお出でよ。このごろ、再びそう言える自信がついたことが嬉しい。