こちら編集室「教師の言葉」(97・7・22)

 まだ小学1、2年のころだったと思う。学校の帰り、よく独りでとぼとぼと田んぼだけしかない道を歩いて、空に浮かぶ雲を眺めた。雲が歩いている自分と同じスピードで移動して行くのが面白かった。雲が自分の歩調に合わせて着いてきているんだと不思議に思ったことがある。

 高校生になってロマン・ロランの小説「ジャン・クリストフ」に出会った。クリストフも自分と同じように雲を相手に遊ぶシーンが出てくるのに出会って不思議な感慨に浸った。その一節を紹介しよう。「彼はまた魔法使いであった。大股で野原を歩きながら、空を眺めて雲たちに向かって命令をあたえた。右へ向かってゆけ」と。しかし、雲は左へ向かっていた。ジャン・クリストフは雲たちをののしり、命令を繰り返したが、雲は命令に従わない。腹を立てたクリストフは今度は「左に向かって立ち去れ」と命令する。当然、雲は左へ向かう。 ロマン・ロランは書く。クリストフは言いつけ通りに雲が動いたことに「自分の力に幸福と誇りを感じた」と。

 自分はあのころ、雲と歩調を同じくして歩くことに果して幸福と誇りを感じただろうか。クリストフほど自我意識のない自分はただ、雲を漠然と「眺めるだけの友」としたにすぎない。記憶は霞のかなたに消えたが、寂しかったことは事実である。話し相手と言うか、眺める友が雲では、それこそ雲をつかむようで心もとない。ただ一つだけ覚えているのは一人で帰る自分を自転車で帰宅の途についた担任の女の先生が追い越す際に、「伊藤君はいつも一人で帰っているみたいね」とひと言、注意されたことである。

 そのひと言が、とても自分を不安に陥れた。なにかとてつもない悪いことをしているような不安と脱落感を強くさせたのである。あの当時、友人づくりは正直言って下手だった。苦手だった。思えば、貧乏子だくさんの末っ子で生まれた自分は、両親が同年代の子どもたちの親に比べたら余りに高齢過ぎて、親子として何を話せばよいのか会話の手段も身につかないまま、小学校という新しい社会に放り出されたせいかもしれない。

 それだけに担任の批判とも揶揄(やゆ)とも受け取れない「君はいつも一人ね」という何気ないひと言が、子ども心にもぐさりと胸に突き刺さった。忘れられない小さな傷となって残ってしまったのである。

 いま立場を変えて、もしもいつも一人でとぼとぼと歩く子が自分の教えている生徒だったら、自分はその生徒と共に歩きたい。なぜいつも一人なのか、なぜ友だちをつくれないのか。そんなことは聞かなくても良い。相手が無口だって良い。ただ、一緒に歩くことさえ許してくれたなら、路傍の草花の名を語り、空を流れる雲の名前を語って教えたい。孤独な少年は心のどこかで、安心して甘えられる人間がほしいものだから。

 いま神戸市の事件を巡って「もう学校に来なくてもよい」と先生に言われたことが、少年の心を深く傷つけたようだとの報道を目にする。教師の何気ない言葉が、学ぼうとする子どもたちを傷つけるという事実は確かにあるだろう。自分は教育者ではない。ただ、いつだったか、ある校長先生を前に「特定の生徒を贔屓(ひいき)にするのは困るが、どんな成績の悪い子、浮き上がった子でも、その子の長所を見つけたら大いにほめ、『自分は先生としてもお前を大事に思ってるんだ』といわゆる善い意味でのひいきを勧めたい」と生意気なことを進言した。

 黙って聞いていた校長先生は「良いことを聞かせてくれた」とひざを打った。果して、教育者でない自分の言葉、考えが正しかったか自信はないが、相手を思いやる心はいつも大切にしたいと思っていることは確かである。

 「県南日々」を始めてからもう8カ月が過ぎた。時には土曜も日曜もない日々が続く。好きだった本を読む機会は失われたが、読者からいまも届く温かいメールが本以上に励ましになっている。

 先週の土曜日は大曲発おみやげ研究会が試作した弁当の試食会の取材があった。そして翌日は新大曲駅舎の開業式があった。大曲の新しい歴史の1ページが刻まれた。その駅舎に対して十文字町の高橋さんという読者から「音と光と水のまち大曲らしい駅舎ができましたね」とのお祝いのメールがあった。県南日々にスタッフは居ないが「スタッフ共々頑張ってください」との励ましの言葉もあった。小さな新聞はまた一人友を得たようで嬉しかった。