大曲市との友好都市「テトナング市」700年祭親善訪問記
大曲市総務部市長公室 佐々木勝主幹 (97・8・6)
7月4日、ドイツ連邦共和国テトナング市友好交流団(団長・高橋司大曲市長)一行20人は、ウィーン西駅から朝8時50分発パリ行きの特急列車「モーツアルト号」に乗り、オーストリアの田園風景や古都ザルツブルクを車窓で楽しみ午後1時36分、ミュンヘン中央駅到着、列車を降りて2時に専用バスに乗り換え、一路、目的地である友好都市「テトナング」に向かう。
テトナングまでは230キロの距離であり、ミュンヘンからボーデン湖畔の町「リンダウ」まで南西に続く高速道路をバスは快走するが、まだ数カ所工事中の道路もあり途中、右折してテトナングの町に到着したのが、予定より1時間近く遅れ、夕方5時を過ぎた。
町の中心に位置するホテル「ラッド」でマイヒレ市長らの出迎えを受け、一行は荷物を部屋に置いた後、5時半ごろからホテル1階のレストランで、マイヒレ市長主催の歓迎レセプションに臨んだ。 レセプションには、テトナング市からは市長夫人をはじめ、以前に大曲を訪問したことのある市議会議員や市民など20人ほどが歓迎してくれた。
冒頭、マイヒレ市長から一行への歓迎の言葉と、本日が700年祭のメーン週間の初日であり、この後の日程として7時から行進があり、ノイエ・シュロス(新しい城)宮殿で式典が行われるので、皆さんの出席をよろしくとのあいさつがあった。
7時までの1時間、夕食会を含む両市民の懇談が続き、団員一行には個々にプレゼントを用意してもらっており、この場でプレゼント交換を含めて親しく交流が行われた。
マイヒレ市長からも、我々一行全員に市制700年記念のテトナング市の要覧やCD、ボールペンなどのお土産が手渡された。
7時からは、小雨の中、民俗衣装に身を包んだマーチング・バンドのファンファーレを先頭にテトナングのメーンロードである城門から市庁舎の前を通って宮殿まで約200メートルのパレードである。 式典は、宮殿の中庭で行われることになっていたが、雨のため宮殿3階の大きな広間での開式となった。
7時30分、地元の民謡と思われる曲の歌とバイオリン演奏の後、マイヒレ・テトナング市長のあいさつがあり、20年を費やしてこの地を治めたモントフォルト侯の時代から700年間のテトナング市史を1冊の本にまとめ、著作したコンスタンツ(スイス)大学教授の顕彰が行われた。
次に、700年を記念して宮殿の改装のため多額の財政支援をしてくれたヴァーデン・ヴェルテンベルグ州政府の政務次官、事務次官への記念品贈呈などがあり、友好都市の来賓祝辞と移った。
初めにフランスのSt.Aignanという町の市長がフランス語なまりのドイツ語で祝辞を述べ、続いて高橋大曲市長の祝辞が行われた。
高橋市長の祝辞の要旨は、マイヒレ市長のご招待に対するお礼から始まり、続いてテトナング市が市制施行された1297年ごろの日本の世相、明治維新による開国後はドイツ国家及びドイツ人から多くのことを学び、日本が科学技術、教育文化の伸展をみたこと、同様に大曲市もテトナングという素晴らしい友人を持つなど、ドイツ人からお世話になっていること、また、大曲市は日本でも有数の全国花火競技大会が開催されるまちであり、近年、ドイツやハンガリーなどでも数回打ち上げられ、その名前がヨーロッパでも知られてきていることなどが述べられ、終わりにマイヒレ市長の大曲市への招待、そしてテトナング市のさらなる発展を祈念するあいさつをドイツ語でスピーチした。
これに対して、会場に詰めかけた400人を超えるテトナング市民が、式典のあいさつの中で一番の大きな拍手で応えてくれた。
スピーチの後、高橋市長はマイヒレ市長に対して、伝統工芸品である日本刺しゅう「夜桜」を贈呈、市民からより大きな拍手と喝采を浴びた。
式典の終了後は、来賓をはじめお客さんに対するサービスとして、ボランティアの若い女性らが民俗衣装姿でビール、ワイン、手料理、そして音楽による心のこもった接待が宮殿内全館を使用して夜の更ける(日没は午後10時ごろ)のも忘れるかのように延々と行われ、改めて両市民の親睦を深めあった。
友好交流団は、こうしたテトナング市民挙げてのドイツ民族らしい明るく楽しいホスピタリティ精神に感動しながら、美味しい地ビールや料理に舌鼓を打ち、新たな両市の交流史に参画した満足感に浸った。
翌日、朝8時からホテル「ラッド」で両市の市長、議員での会議が設定され、その席でマイヒレ市長を大曲市に正式に招待し、大曲訪問に向けて前向きな回答をいただいた。
団員一行は、テトナングでの700年祭記念式典出席と親善友好交流を終え、バーデン・バーデン、マドリッド、パリを観光して7月11日帰国した。