こちら編集室「後追い取材」(97・8・30)

 数日前、田沢湖町へクニマスの取材に行った折り、しばらく行ったことのなかった田沢湖高原へと車を走らせた。高原に秋を求めてのドライブだった。秋はあった。一面にススキが穂を開き、確実に秋を伝えていた。季節は夏から秋へと舞台が回転していることを伝えていた。

 県南日々をやっていると充実した日と、焦りと空しい日々を感じることがある。充実した日はやはりニュースを書けた日である。それも県南日々らしい紙面を作れた日である。こうした日はなぜか家に帰ってもホッとして嬉しい。しかし、毎日が嬉しい日々を願うということはぜいたくというものだろう。何もない時だってある。こうした日は取材の足場としている大曲市役所の記者室から庁内各課へとまるでクマのようにグルグル回って、時間を潰す。市職員にとってはさぞかし迷惑な話だろう。

 悔しい時もある。先週の日曜日(24日)の秋田魁新報朝刊は建設省サイドのニュースとして太田町の真木ダムが調査費削減の対象となったことを特ダネとして伝えた。さらに27日には東京紙も含めた新聞各紙がこれを一斉に取り上げ、報道した。建設省へのアンテナの無い小さな地元紙としては取りつく島もなく、見送るしかなかった。

 いままでなら「既に人口に膾炙(かいしゃ)されたニュース。後追い取材する必要もない」と当然、放っておいたろう。しかし、県南日々として「果してそれで良いだろうか」と考えた。確かに県内では知れ渡った真木ダム事業の「足踏み」化である。この先、いつになったら工事が着工するか分からない。

 それを放っておいていいだろうか。県内では知れ渡ったニュースでも、県南日々の読者は県内だけではない。故郷を離れ、東京や大阪、九州、北海道にもいる。さらには海外で暮らしている読者もいる。こうした読者には何も伝わっていないではないか。ならば取材する意味もあるだろうし、書く価値もあるのではないか。これまでなら、気持ちまでも縮こまっていた後追い取材に対して、そう思うとめきめきと意欲が湧いてきた。行ってみよう真木ダムの本拠地である太田町へ。

 27日午後、太田町役場へと向かった。幸い高貝久遠町長と会うことができた。高貝さんはいかにも残念そうな口調で町の水に対する苦境を切々と語った。農業用水の流れがストップする9月に入ってから20日以上も雨が降らないと地下水は枯れ、町民は飲み水にさえ苦労している状態。さらに2月の厳冬期になると再び水が凍って地下浸透できず、町民は争って井戸を掘っている状態などを。

 「大都市は戦後、農村から食糧と労働力の供給を受けて発展してきた。そして農村が今、都市住民並みに下水道を敷き、上水道を普及させ、快適な生活をしたいとダム建設を求めたら、国の予算削減で真先に削られる。これでは農村の過疎はいつまで経っても救われません」とも訴えた。

 その通りだと思った。県南日々がどの程度、町のため力になれるかは分からないが、精一杯、報道しようと思った。そして取材に来てみて本当に良かったと思った。これまでなら、書いたってしょうがないとあきらめ、放っておいたニュースである。県南日々は地元の読者には時には古くなった話題を伝えることになって申し訳ないが、こうした県外、海外の読者をも念頭に入れて取材活動すべきだと改めて思った。

 町長の話を聞いてから問題の真木渓谷へと車を走らせた。山道に入ってから、「しまった!」と幾分、後悔した。まるでトラックか、ジープしか入れない岩がゴロゴロの山道である。自分の車は4WDといった道路を選ばない高性能車ではない。山道は苦手な車だった。しかし、何としても写真だけは撮りたい。雨に洗われっぱなしの山道はあちこちに大きな岩のかけらを散在させ、まるで行く手をふさいでいるようだった。ガリッ。車の下から岩を擦った悲鳴があがる。人の気配はもちろん皆無である。Uターンできる場所もない。しかも、向こうから車が来てもすれ違うことさえ無理な幅。こんな所で「遭難したら」。後悔と焦りと不安。寂りょう感にさいなまされた。そして、わずかな義務感が、最後まで走ることを止めさせなかった。山道を登ったのは多分、2キロ位だろう。その2キロが何10キロにも思えた。ハンドルを握る手が汗ばんだころやっと、広い所を見つけ、写真を撮って帰ることができた。

 山道から下りた車は悲惨な汚れようだった。この日の朝、スタンドマンがきれいに洗ってくれたばかりの車が泥んこだらけの姿になっていた。タイヤは岩に擦られ、あちこちが真っ白に変わっていた。見返りはなにも無い取材だったが、心だけはなぜか満足感で一杯だった。苦労しても、真木ダムがこのような状態に追い込まれている事を読者に伝えることが出来た。それが県南日々としての喜びではないかと思った。

 29日朝にはイギリスに在住している秋田市出身の方からメールを頂いた。「取材と原稿書き等の作業をお一人でされているのは、非常に辛いことが多いかとは思いますが、海外にも読者はいますのでこれからも、あまり無理はせず、長く続くよう、頑張って下さい」とあった。ありがとう。袴田さん。