みちのく温泉ブラリ旅(2)
「自炊、混浴、冬ごもり」
12月20日に、この原稿を書いている。難儀な仕事を一つ片付けて、気がつけば今
年もあと10日。
大仕事の後の虚脱感とともに、終わろうとしている一年の、感慨に浸っていると
ころだ。個人的に
は、約一ヵ月前に、「あぁ、今年ももうおしまいだな」と感じた瞬間があった。僕がひいきにして
いる(つもりの)乳頭温泉郷黒湯温泉が、確か11月10日か20日頃に一年の営業を終えて翌年のゴ
ールデンウィーク明けまで長い冬ごもりに入るわけで、今年こそ久しぶりに黒湯
で自炊湯治を楽し
もうと思っていたのに、結局仕事の忙しさにかまけて足を運べないまま、11月10日だか20日だか
をやり過ごしてしまい、その時点で、僕にとっては今年は終わってしまったの
だ。
学校は出たけれども職につけず飲んだくれていた20代前半の頃、可愛がってくれ
ていた飲み屋のマ
スターが盛岡競馬に連れていってくれて、その際に初めて黒湯に立ち寄って自炊
棟に泊まった。
それまでの僕は、温泉なんて年寄りのカテゴリーじゃないかとバカにしていたの
だけど、結果的に
は、それが原体験になって、仕事上でも妙に温泉に縁のある日々が続くことになった。カセットコ
ンロなんかを持ち込んで自炊して、ビールもたらふく呑んで、僕とマスターとマスターの若い奥さ
んとで夜の風呂に入り、浴室の窓を開けて「星がきれいだなぁ」なんてつぶやいていると、隣の女
風呂のほうでも、マスターの奥さんが窓辺で星を観ている気配が感じられて、なんとはなしに、そ
のシチュエーションにジンときたものだ。
人生で初めて「混浴」なるものを体験したのも黒湯だ。20代後半になって、東京の友人夫婦が秋田
に遊びに来たいというので、少し奇をてらって黒湯での自炊をセッティングし
た。例によってカセ
ットコンロで闇鍋もどきの料理をつくり、ビールをたらふく呑んで、はじめのうちは、夫同士、妻
同士、別々に風呂に入っていたけれども、夜も更けて血中アルコール濃度も上がり、しゅう恥心が
薄れてくると、「めんどくさいから一緒に入ろう」と、誰かが切り出した。黒湯の名物はあずまや
風の露天風呂だ。別に男女別の浴室もあるが、ここは混浴になっている。漆黒の
闇夜、白熱灯がポ
ツンと灯るだけの露天風呂に、20代の夫婦二組がドボンと入る。せつな、僕にはちょっと予想外な
感慨が襲った。「混浴」などというのは、なにかものすごく特別なことのように考えていたのだけ
ど、実際にその場になってみると、ごく自然のこととして受け入れられてしまったのだ。街の中で
語られる「混浴」の語感には、好奇のニュアンスがあるが、山の中に入ってしまうと、そんな邪心
も浄化されてしまうもののようなのだ。それで僕は、「騙されたと思って一度混
浴を試してごらん」
と、ことあるごとに女性に話しているのだけれども、実際に試した人はまだいないようだ。山の中
であれだけ人の心が純になるものだということは、街場では、理解できないことなのだ。
時あたかも秋田県某町では、女性の外国人補助教員(ALT)の送別会で、いい歳
をした町の男たち
が酔いにまかせて彼女の胸や尻に触ったと抗議を受け、新聞沙汰になっている。当事者たちは、
「日本流の親愛表現が誤解されたようだ」と弁明しようとしているのだから笑止である。
秋田は、もともと性的なことにはおおらかな風土であった。「夜這」という習慣もあった。しかし
それにも秩序というものがあったのだと思う。お互いが楽しめるのならなんら問題はないが、相手
が望まないことをするのは限りなく犯罪に近づく。
秘湯の趣というのならば、湯沢市郊外の泥湯温泉なども最高のロケーションだ。
ただ、混浴のまま
では観光客を取りづらいというわけで、さほど広くもない浴場を半分に仕切って男女別にしていた
りする。時流と言ってしまえばそれまでだが、なにか、温泉本来が持っていたはずのアイデンティ
ティが失われていくようで、僕は勿体ない気がしている。
僕は、ことさらに混浴を礼賛するものではないが、それが否定されるのを看過するのは、低劣な思
想に屈しているようで忍び難い。街場に住むあなたの倫理感が正しいのか、山あいの混浴文化が正
しいのか、雪が溶けてゴールデンウィークが過ぎたら、ぜひ黒湯で実地検証をしていただきたい。
混浴実験のサンプル数が足りなければ、僕もお供しますよ。
加藤隆悦@秋田市 kato@coral.ocn.ne.jp blah blah AKITA