こちら編集室「戦艦大和」(97・12・22)
いつだったか。多分、まだ20代後半のころだったと思う。河北新報社の田村記者が酒を口に運 びながら、「伊藤君。実に素晴らしい名文に出会ったよ」と目を細めて、しかも、熱いほどの口調で語りはじめたのは。話題となった本はもう亡くなられたが吉田滿氏の「戦艦大和ノ最期」(北洋 社)であった。「格調の高い文語体でね。日本語ってこうも美しいものだったのかと改めて感服したよ」と田村記者は遠くを見つめるような目で語りはじめた。
戦後生まれの自分に戦争を語れる資格はない。ましてや、戦争肯定論者でも極端な平和主義者でも無い。ただ、「日々是れ安寧」を願う平凡な人間である。それでも日本人の血が流れているのだ ろう。「戦艦大和」という日本海軍がかつて建造したという巨大艦船の名を耳にしただけで秘かな 矜持(きょうじ)と憧れに近いような悲しい感情が涌(わ)いてくる。
田村記者の話しに魅了されて早速、その本を書店から取り寄せた。それこそ、手にするまで「一 日千秋」の思いだった。ようやく手にしたその本は薄いブルーの表紙に「戦艦大和」の英姿が映し出され、心が震えるような思いだった。しかし、ページを開いて戸惑ったのはすべてが不慣れな片仮名交じりの文体だったからである。
昭和十九年末ヨリワレ少尉、副電測士トシテ「大和」ニ勤務ス
二十年三月、「大和」ハ呉軍港二十六番浮標(ブイ)ニ繋留中 港灣の最モ外延ニ位置スル大浮
標ナリ 来ルベキ出撃ニ備ヘ、艦内各部ノ修理ト「ロケット」砲、電探等増備ノタメ、急遽「ドック」ニ
入渠ノ豫定ナリ
「戦艦大和ノ最期」の出だしだった。不慣れな文語体だったが、大和への矜持、そして戦闘という怖いもの見たさと疑似体験への秘かな憧れ、さらにその格調の高い文章は一気に自分の視覚と心 を捉えた。行間の見事なほどの使い方のうまさ、旧字体の美しさ、文章のリズム感の良さなどすべてが魅了させた。つまり「恰好いい」のである。
作家の三島由紀夫氏がかつて、「漢字文化から生まれた日本の文学は単に読ませるだけでなく、視覚的な美しさも必要だ」と説き、一つのセンテンスにいかに漢字を入れ、使いこなすかを訴えた ことがある。吉田氏はプロの作家ではない。戦後は日本銀行に勤務しながら、この本をまとめたのである。それなのに三島氏が求めた文体を見事に書きこなしているのである。持って生まれた才能と言うべきであろうか。
しかし、読み進むうちに思ったのは総員3332人という軍人、兵を乗せて「特攻」という名の下に当時の海軍が死に追いやった戦艦「大和」に対する無謀さ、無責任さは悲しみを超えて、憤り と空しさを覚えるだけだった。つまり軍人としてただ、死ねばよい。それだけを当時の海軍首脳部は冷酷にも求めたのである。死ぬことによって悲しむ家族、妻、子供への配慮は微塵もなかったの である。そこに何で戦争のロマンがあろう。何で祖国への愛国心が沸いて来よう。悲しみと、腹立ちだけしかなかった。それだけにこの作品が、プロの作家の目で、しかも、普通の文体で描かれた ら、その凄惨さに最期まで目を通すことは出来なかったであろう。
20歳そこらの若者が軍人として死に臨む。40歳を過ぎた老兵が家族を思いながら死に臨む。国のためにと、死に臨む。涙なくして読める本ではなかった。中でも、アメリカに両親が在住する という日系二世の学徒兵・中谷少尉の登場には心痛むばかりであった。
通信士中谷少尉「ハンモック」ニ俯シ、聲ヲ忍ンデ嗚咽(おえつ)ス 肩ヲ揺スレバ一葉ノ紙片 ヲ差出ス 彼、「キャリフォルニヤ」出身ノ二世ナリ 慶應大學に留學中、學徒兵トシテ召サレタルモ、弟 二人ハ米軍ノ陸軍兵トシテ歐州戦線ニ活躍中トイフ 醇朴(じゅんぼく)ノ好青年ニシテ、勤務精 勵、特ニ米軍緊急信號ノ捕捉ハ彼が獨壇場ナリ サレドモ二世ノ出身ノ故ヲモッテ少壯ノ現役士官ヨリ白眼視サレ、衆人環視ノウチニ罵倒サレシコトモ一再ナラズ(中略)便箋に優シキ女文字ニテ誌ス 「お元気ですか 私たちも元気で過ごしています ただ職務にベストを盡くして下さい そして、一しょに、平和の日を祈りましょう」
と母の手紙を紹介する。
この母の優しき言葉。国のために命を投げ出し、日本兵以上に勤務に精励しても、日系二世ゆえに「敵のスパイ」と蔑視され、罵倒されるわが子の辛さを慮って、思うことも書けず、いたわりの 言葉も書けず、また慰めることも出来ず、ただひと言「一しょに、平和の日を祈りましょう」と添えることしか出来なかった、この母の気持ちはいかばかりであったろうと思うと泣けて仕方なかったのである。
「戦艦大和ノ最後」。なぜ、いまこの作品に付いて触れてみたいと思ったのだろう。それはハワ イの読者からのメールが切っ掛けだったかもしれない。「特大のX’masTreeが、City Hallの前に昨晩たてられました。これから、見に行くところです。真珠湾攻撃は、奇しくも今 日と同じ12月7日、日曜日(日本時間は12月8日)でした。良いことの多い、゛時" でありたいものです。蒼い空と青い海のHawaiiからALoha、Judy Mori 」。このメールが、吉田 滿氏の「戦艦大和ノ最後」を思い起こさせたかもしれない。
今日は書き足りないまま、「こちら編集室」のページを閉じたい。前回の「こちら編集室 いい日腹立ち」では、いろいろな方面から反響を頂いた。中には県の幹部からまで、個人的なメールで その苦しい心情の吐露があった。私たちはこうした良心的な県職員の悩みを悩みとして受け止め、その再出発を温かく見守りたい。
秋田市のフリーライター・加藤隆悦さんからは「みちのく温泉ブラリ旅」の第二遍を頂いた。お洒落感覚で読める文体。そして、健康的なエロスというのか、美しい女の人の入浴シーンまでも添 えられていた。文体も写真も県南日々にはとてもかなわない。このような方の参加まで頂ける県南日々は幸せだと思っている。