こちら編集室「収入への道」(97・10・20)
インターネットを使い新聞を発行してみようかと、漠然とだが思い至ったのは昨年の今ごろだった。大曲市にインターネットプロバイダー「おばこネット」が誕生し、同時に入会、早速、その新しい世界に飛び込んではみたものの、その価値観が見いだせず、欲求不満が高まっていたころだった。
アクセスして見たのはご多分に洩れずエロチックな画面もあれば、「NASA」のホームページから見た宇宙の世界もあった。土星や火星、銀河の美しい写真にはそれなりに興奮したが、毎日、見ているうちに興味も薄れた。職業柄、新聞社のホームページは欠かさずアクセスした。
アクセスするうちに「インターネットでの新聞なら自分でもやれるのではないか」と気付いた。インターネット上の新聞なら、紙も印刷工場も、また配達する必要もない。その上、一人でだって発行できるかもしれない。そう考えたのだった。
あの当時、いや現在でもそうだが経済的にも苦しかった。新聞で大もうけする気はさらさらないが、妻の支えを受けてなんとか生活している情けない現状から脱皮したいという儚(はかな)い願望もあった。同時にだれにも束縛されず自由に取材し、阿諛迎合(あゆげいごう)する必要のない新聞を持ちたいという夢もあった。
インターネットならやれるのではないかと、夢は急速に膨らんだ。そして紹介されたのが田沢湖町のわらび座内にあるプロバイダー「きたうら花ねっと」の技術陣、長瀬一男氏、海賀孝明氏であった。お二人は快く引き受け、ホームページづくりを手伝って下さった。しかし、収入はどうするか。これについてはいろいろ、方法を模索したが購読料を読者からいただく手法は当時も現時点でも見つからないということだった。
「ともかく伊藤さんやってみましょうよ」。長瀬さんはまずスタートすることを強く勧めた。以来、ほぼ1カ月間、「花ねっと」へ通いつめ、ホームページの操作方法、ニュースや写真の取り込み方法の指導を受けた。そして12月1日、「秋田県南日々新聞」はヨチヨチと歩きはじめた。
収入につながるメドは未だに見つからない。発行し始めて読者の反応が良ければ「黙っていてもスポンサー広告は付くかもしれない」。そんな淡い期待は、今も実を結ばない。営業活動さえしていないのだから当然と言えば当然かもしれない。いや、内心、1日のニュースがわずか1本や2本でお金を稼ぐことを考える事態が虫のよい話ではないかとさえこのごろ思う。
生活の苦しさをインターネット新聞で何とか補おうとした試みはあるいは失敗だったかもしれない。しかし、開き直りではないがむしろ、この1年、経済活動につながらなかったのが良かったのではないかとさえこのごろ思うのである。決して負け惜しみを言っているのではない。確かに現状では何のために毎日、苦労をしているのかと空しさと虚脱感に陥るが、営業につながらなかったからこそ読者からのメールでの支えがあり、善意の協力が得られたと思う。
この1年、新聞づくりにかけた経費でささやかな自分の預金はついに底をついてしまった。刀折れ、矢尽きたと言える現状かもしれない。しかし、かすかだが行く先に光は見えてきたような気がする。それはもう直ぐ5万人というアクセス数の実績を認めてくれる人たちからの「きっと収入に結び付きますよ」との励みが現実味を帯びてきたからである。そして友人の広告デザイナーからも「これだけのアクセス数があるなら、営業活動が出来ますよ。私の方から売り込んで行きます」とありがたい声援を受けたからである。
生活の苦しさを何とかインターネット新聞で補うことが出来れば。そして自由な新聞づくりをしてみたい。また、県外や海外で働いている郷土の人たちに古里のニュースを送り届けたいと始めた「県南日々新聞」は、こうした陰の支えや声援でどうにかこうにか持ちこたえていられる。
秋田市在住の主婦・高杉静子さんは「あきたNEWS」というホームページをお持ちだ。秋田のニュースを新聞などから拾い上げては独自に編集、秋田の良さを売り込もうと頑張っておられる。千葉県出身の高杉さんは結婚して秋田に移り住んだ。秋田での「生活の戸惑い」を綴った共著「へばなんとす」を数年前に発行。現在では秋田大好き人間として秋田をもっともっと県外の人たちに知ってもらいたいとニュースを流している。
純粋な奉仕活動である高杉さんに比べ、こちらは何とか生活に結び付く新聞でありたいと願う商業主義。それだけに高杉さんのページを見ると眩(まぶ)しさを感じるが、やはり経済的な余裕は欲しい。出来たらこの新聞で後継者になれる記者を育成したいとさえ願うのである。空しい夢かもしれないが。