こちら編集室「テレビの反響」(98・1・30)

 さて何をしようと市役所食堂で「うどん」をほおばりながら考えていたら、近くのテーブルでも以前に会ったことのある二人の男性が食事をしていた。食べ終わってから廊下で声をかけられた。

 「いつぞやはインターネットでの紹介ありがとうございました。コピーを取って、保存させてもらってます」と言う。何のことか分からず、きょとんとしながら「ああ。そうですか。インターネット見てくれたんですか」。場つなぎ的な返事をして、記憶の糸を真剣にたどった。

 ようやく思い出した。大曲税務署の総務課長だった。そしてもう一人はまだ30代の若さで赴任してきた税務署長だった。その署長さん、嬉しそうに目を細め、「いやー。たいしたもんですね。伊藤さんのインターネットは。友達から頂いた年賀状に『県南日々』で頑張っている姿を見せてもらいましたと、書き込みがあってびっくりしました」とお礼を言う。確か、宮城県出身と聞いたから、宮城の人でも「日々」を見て、書いて来たのだろうか。立ち話だったから詳しい事は聞けなかったが、ちょっと嬉しいひと言だった。

 記事は昨年11月12日、税を知る週間の行事で高校生が「一日税務署長」を務めたのを紹介したものだった。当時、取材に当たった総務課長さんには「新聞のほかに個人的にですがインターネ ットで『秋田県南日々新聞』というのもやってますから、そちらでも取り上げておきます」と言ったのだが、相手は「そうですか。残念ですが署ではだれもインターネットをやっている者はいないんです」。いわば課長も署長もインターネットには無関心のようだったから、それ以後のことはすっかり頭から抜けていた。

 それがどこかから回っていったのだろう。コピーに取って、皆で読ませてもらったとのこと。さらに署長さんは「年賀状」にまで書き込みが合ったと喜ぶ。この新聞をやっていると思わぬ事で心底、驚くことがある。インターネット人口が徐々に増えている証だろうか。

 29日夜は秋田テレビで「県南日々」が紹介された。ニュースが終わると同時に電話が鳴った。秋田に居る姉からだった。「マアか」。親子ほども年の違う姉は、小さいころから自分をこう呼んできた。「マア。すごいねー。すごいことをやってるねー。嬉しかったよ。正雄がテレビに出るなんて。姉さん。嬉しくて、嬉しくて涙が出て止まらなかったよ」。テレビに出るという事は照れくささもあって姉には黙っていたが、偶然にも見てしまったという。すでに70代半ばを過ぎている姉は電話機の向こうで涙声だった。

 「ああ。姉さん。インターネットってすごいんだ。世界の人と交流が出来るんだ。こんな大曲の小さなニュースだってアメリカの人やアラスカの人、イギリスの人、シンガポールの人だって見てくれているんだ」。自分は少しでも喜んでもらいたいと、「世界の人がねー」と実際は限られた人たちにしか知られてないと思うが、段々、口調が大げさになっていった。

 「マア。お前はすごいことをやっているんだね。死んだじっちゃ、ばっちゃもお前の事を良く自慢していたけど、本当だったね。じっちゃも、ばっちゃも喜んでいるよ」。

 姉は亡くなった両親まで引き合いに出して喜んだ。小さいころ滅多に会うことのない遠い存在の姉だったが、母があまりに年だったので姉は憧れの的だった。母の分身のように恋い焦がれた存在だった。その姉が喜んでいる。県南日々はまだまだ無力だが、いいことをやっているんだとこちらも心底、嬉しくなった。

 電話が終わったら直ぐにまた電話が鳴った。お隣の一人暮らしのおばあさんからだった。「正雄さん。テレビで見たよ。インターネットだかなんだか分からネども、まさか隣にテレビに出るよう な人がいるとは思ってもいなかったから嬉しくてなんし」。テレビは思わぬ反響を呼んだ。「読者の広場」への書き込みも多くあった。メールでお祝いを送ってくれる人もいた。ともかく多くの人に支えられていることが嬉しかった。読者の皆さんに心からお礼を述べたい。

 一方、29日朝にはもう一つ、嬉しいメールがあった。中央のパソコン専門誌からの取材要請だった。「ネットサーフィンをして取材対象を探してましたところ、日々新聞のホーページが目に止まりました。場所柄過疎に悩んでおられるようですが、たった一人でインターネットの地方紙を立ち上げようとしていることに、インターネットの可能性を探る試みを見たような気がしました」とあった。「たった一人で」。この言葉が嬉しかった。作業そのものはとても孤独なのだが、分かってくれる人がいるんだと思った。継続こそ力だとも思った。このホームページを立ち上げて一年一 カ月。紆余曲折もあり、疲労感と虚脱感にさいなまれることもあったが、曇り時々晴れのように疲労がたまるとだれかが喜びを運んでくる。糧となるものを運んでくる。

 まだまだ道筋は見えないが、ともかく手探りしながら、この新聞をやり続けようと思った。30日午後。降り続けた雪はようやく休み、青空がかいま見えている。大雪は峠を越したようだ。