こちら編集室「葉子という名の少女」(98・3・6)

 麦わら帽子のよく似合うお下げ髪の少女は草原に立って夢見るような瞳で遠くを見つめている。両手で大きなかごを支え、いつもピクニックに行く姿だ。ふっくらとした頬は、白いもちのようでとても可愛い。少女の名は「葉子」としよう。葉子がわが家に来てもう1年近くになろうとしている。初めてわが家の玄関をくぐり、葉子の居場所を決めたときは何となく居ずらそうだったが、このごろはすっかりわが家の一員として落ちついた。葉子とはブロンズ像である。

 「君はこの玄関のくつ箱の上で僕ら夫婦を見送って欲しい。いいね」

 「……」。

 秋田市のギャラリーで見つけ、あまりの可愛さに妻が棒立ち状態で見つめたブロンズ像だった。

 「ねー。これ欲しいわ」。妻はささやくような小さな声で呟き、そのブロンズ像のある場から動こうとしなかった。

 「自分の給料のほぼ一カ月分か。まあ、ちょっとぜいたくだけど買ったらいいさ」。

 わが家のちょうどいいマスコットになるなと思った。子供のいない私たちの生活の刺激にもなると思った。

 あれから一年近くなろうとしている。少女は玄関のくつ箱の上が自分のお気に入りの場所として落ちついている。

 「ねえ。おじさん。わたし。おじさんの家に買ってもらって本当に良かったと思っている」

 いつだったか少女はませた口調でそんなことを言い出した。

 「おい。おじさんたち夫婦は、君を買ったなんて思ってないぜ。君がいたあのお店のご主人に対等の謝礼をだして君に来てもらったと思っているんだから」

 「嬉しい。わたし。おじさんとおばさんに買ってもらったんだという意識がどっこかでいつもあったの。遠慮みたいな。じゃあ、わたし、おじさんの家の家族の積もりでいていいんだね」

 「ああ。君はわが家の大事な家族だよ。君の瞳、君の頬、そして君の笑顔を見ているだけでホッとするから。ところで君は人間で言うと何歳ぐらいかな」

 「わたし。いくつに見えるの」

 「そうだねー。12、3歳かな」

 「そう。当たちゃった」

 少女はそう言って喜んだ。そしてある日、少女は「おじさん。わたしこの頃ね。おじさんが苦しんでいたり、悲しんでいたりするとすぐ分かるんだ」と言い出した。

 「なぜだい?」

 「それはね。おじさんは何かに夢中になっているとわたしの事なんか振り向きもしないで家をサッと風のように出て行くし、悲しそうな顔をしたり、悩んでいるような時はじーっと私を見つめ、『じゃあ。葉子。行って来るよ』って声をかけていくでしょう。身勝手なんだから。だから葉子はおじさんが悲しんだり、辛そうな顔をしている方が好き。だって言葉をかけてくれるもん」

 「そうか。そうだったのか。ごめん。葉子のことを忘れたまま出かけてしまったのか。よしっ。今度からは気をつけるよ」

 「でも。おじさんは何で時々、あんな悲しい顔をするの」

 「人間を長くやっているとね。嫌なことや悲しいことは何度も経験するんだ。例えば。こんな大人になっていながらも、女の人を好きになったり、仕事がうまくいかなかったり、会社でつまらん思いをしたり」

 「ねえ。おじさんもよその女の人を好きになったりするの。じゃ。おばさんが悲しむでしょう。葉子。おばさんを悲しませるおじさんだったら好きになれない」

 「分かっているよ。分かっているからおじさん。一人で悩んでいるんだ」

 「ねえ。おじさん。恋ってどんな味がするの」

 「葉子。恋はね。おいしいとかにがいとか、まずいとか、味では表現はできないものなんだよ。これは心の問題だからね。心は時の流れに委(ゆだ)ね、苦しみや悲しみから逃れられるように忘 れ去るのを願うしかないんだ」

 葉子は押し黙った。そして目をつむり、一呼吸置いて考えるようなしぐさを見せてから

 「おじさんの恋はね。好きになった相手の人も頬づえをついて悩む恋でしょう。だめねー。頬づえをつくような恋は」

 ブロンズ像の葉子はいつの間にか大きく成長していた。

 「そうだね。葉子。頬づえをつく恋はいけないよね。だから葉子ももっと大きくなったら、頬づえをつかなくてもいい恋をしろよ」

 「うん。葉子にもそんな時がくるかしら」

 「ああ。来るさ。きっと葉子には素敵な出会いが待っていると思うよ」

 ブロンズ像を見つめながらとりとめもない会話を楽しんだ。ブロンズ像は本当は何も語らない。何をつぶやいてもかすかな笑顔を見せてこちらを見つめるだけだが、心模様によっては笑顔も悲しく見えたり、泣き顔に見えたりする。

 葉子と名付けたブロンズ像がわが家に来たころは、「秋田県南日々新聞」を立ち上げて半年を経過したころで、運営上、とても苦しかったころでもあった。県南日々新聞に掲載されるニュースを新しくなる大曲駅舎の電子掲示板による観光案内情報の中に使わせて欲しいと管理運営をゆだねられた民間会社から要請があり、ささやかだが初めて収入につながろうとしていたのだが、行政の理解を得るまでとても心理的プレッシャーを受け、辛い思いをしていたころだったのである。

 葉子の可愛らしい姿はそんな辛さを紛れさせてくた。そして私たち夫婦のマスコットとして、強いかすがいにもなった。葉子が来てもうまもなく1年目を迎える。そろそろ誕生日のお祝いでもしようか。葉子。