こちら編集室「眼鏡の功罪」(98・5・9)                        

 眼鏡を変えた。今まで使っていたレンズが合わなくなったわけではない。ただ、新聞に目を通すときや取材に行ってノートにメモを録る時やパソコンに向かうときは眼鏡を外さないといけなかった。眼鏡のままでは文字が見え過ぎて目が疲れるからだった。近視と老眼が交じった不便な目をしていたのである。                                    

 そんなことから遠近両用のレンズに変えてみようと思ったのである。しかも、これまでのガラスのレンズよりもプラスチックならより軽く、かけた感じも楽だという話を聞いていた。そんなことから気に入ったフレームを見つけ出し、新しいレンズを入れた。そのレンズの加工ができあがっていよいよ新しい眼鏡を使用することになったが、目線を動かす度に見えるものすべてがぼやけ、足元が非常におぼつかない。遠くはハッキリ見えるのだが、足元がぼんやりしているのである。  

 歩く。この歩く動作と言うものはこれまでなんとも思わなかったのだが、とにかく目は歩きながらもいろんな方向へ向くのに気づいた。歩きながら数歩前の道路の状況を観察し、そして自分の足元を見つめ、さらには遠くを見つめる。特に意識したわけではないが、歩きだすと人間の目線はいつもキョロキョロとあちこちを観察しだすのである。つまり、転ばないよう自己防衛の意識が自然に働くからであろう。                                  

 これまでの眼鏡では意識することがなかったのに、遠近両用眼鏡をかけて初めてそのような事が分かった。つまり歩きだすとまず遠くに視線をやり、そして数歩前に視線をやり、さらに足元を見つめる。遠くを見つめる時はいいが、数歩前、さらに足元を見つめると地面はぼんやりと焦点が合わず困惑する。平らなアスファルト路上ならいいが、犬を連れて散歩する近くの堤防道路を歩いて 「これはいかん」とこのうえない不安を覚えた。凹凸のある堤防道路で、なんどか穴に足を突っ込んで前のめりなったからである。                             

 「目線は遠近、中間とそれぞれのレンズの焦点に合うようにして下さい」とはレンズを調整した店員の言葉だったが、合わせるためには首を真下に下げて、まるで道路に何か落ちていないかとモノを探るようなみっともない姿勢になってしまうからだ。顔は真っ直ぐに、目線はさりげなく下を見る。そのようなスマートな真似はもうできない。                     

 ある事務所に入った。「眼鏡を変えたんだ」という情報が既に入っていたらしい。事務の女の子が、何を期待したのかドアを開けて入ると同時に大きな目を見開いてこちらをジーッと観察した。そして「ナーンだ。同じじゃないですか」と甲高い声で感想を言う。             

 「何が同じなんだい」。「えっ。眼鏡ですよ。眼鏡を新しくしたと聞いたから、イメージが少し変わったかしらと期待してたんですよ」。「なんだい。そんなことか。でもフレームは変えたんだよ。少しはいい男になったんじゃない」と自慢したが、聞き取れない声で「ちっとも」。可愛げのないことを言うが、かわいいと思っている。年齢が親子ほど違うから憎まれ口もまたいい。   

 ところがである。眼鏡のせいで男の本性がもろだしになってしまった。相手の上半身はまともにつまり焦点はばっちりと合ってスッキリさわやかに見えるからいいのだが、その下半身、つまり男にとって何とも言えない魅力的な女性の足がいつもの何気なく見る視線ではぼんやりとしか見えな い。「あれっ!」。思わず大きな声を出してしまった。「なによ。どうしたんです」。憎まれ口の美女は興味津々に目を光らせた。                             

 「ウーン。困った。君の足がぼんやりとしか見えないんだ。上半身はいいけど、足を見ようとすると焦点が合わない。よわった。足を観賞しようとするとまともに目線を下げなければならない。どれどれ」。恥を失いつつある年齢に差しかかった自分はそういって彼女の足を見つめようと首を斜にした。もうセクハラまともである。「いやねー。足なんかまともに見ないで」といいながらも自慢げに長い足を目の前にさりげなくさらした。そうした行為を取れる憎まれ口美女もまたいい。眼鏡が自分の世界を変えてしまった。                           

 とにかく遠くスッキリ、中間ぼんやり、足元おぼろげ。見えるものがこのように3段階となってしまった。これまで見えた世界を新しい眼鏡はあっさりと変えてしまった。「慣れるしかありませんから」。メガネ屋の店員の言葉を信じて、とにかく眼鏡を四六時中かけて、もっか訓練中だ。町で出会う美しい人よ。その魅力的な足を見たくて、首を斜にして見つめる変なおじさんがいたら、それは眼鏡の訓練中の困ったおじさんだと思って許されたい。                

 ああ。このようなことを書いたら、また読者からお叱りを受けるだろうか。眼鏡を新しくしたばっかりに、これまでは口にすることもなかったいわゆる韜晦(とうかい)していた趣味(?)をさらけ出してしまった。ある会場で著名な脚本家が、乾杯を求められてこう言った。「あいさつと女性のスカートは短いほどいいというから、皆さん乾杯しましょう。カンパイ!」。偉い人だってこう言うから、自分が女性の足に惹かれるのはいいか。