こちら編集室「音の世界」(98・5・16)
ウグイスの声を聞いた。ホーホケキョッ。ケキョケキョケキョッ、ケキョ。ウグイスは遠くで、近くで澄みきった美しい鳴き声を緑の渓谷に染みいらせた。田沢湖町の「抱き返り渓谷」である。渓流を隔てた向かいの急峻な山の斜面は一面の緑で、まぶしいほどだった。水の音とウグイスの鳴き声を聞きながら、渓谷の道を歩いた。歩道のある右手の山の斜面は青々としたシダの葉の色が目に染みた。ところどころの岩場が地下水の浸透で黒く光って濡れている。ゲロゲロゲロッ。カエルの鳴き声もあった。ウグイスと渓流の音、そしてカエルの鳴き声。
この渓谷の最大の景勝地である「回顧(みかえり)の滝」までの約1.5キロを一人で歩いた。ゴロゴロした石を踏む音も耳に入る。静かな渓谷だが、耳を澄ますと実に多くの音があることに気づいた。「この世にはこんなにも多くの音があるのか」。感動の思いで歩いた。人間とは当たり前だが、目があって物を見、鼻があって香りを楽しめ、耳があって音を楽しめる。この3点セットがあるから危険を事前に嗅ぎ取り、無事に歩ける。
恥ずかしい話だが、耳が随分、遠くなっていることを本当に認識したのはつい最近、専門医の診断を受けてからだった。いや40歳を過ぎてから、会議での取材で人の話し声が良く聞こえなくて困ってはいたが、相手の声が低過ぎるんだとか、秋田の人独特のなまりといわゆるメリハリのないモソモソとした喋り方のせいだろうと自己判断していた。
しかし、最近はごく普通の会話でも良く聞き取れない。しかも、マイク無しで進められる会議での発言はほとんどお手上げの状態となってしまった。「これはいかん。とうとう俺もか」。父も母も早くから耳が聞こえないと悩んでいた。その血筋を見事に引き継いだか。しかし、聞こえないのは気のせいだろう。「耳が遠い」というコンプレックスは認めたくないものだ。医師の門をくぐるまで随分、迷ったが意を決して診察を受けた。その結果、鼓膜には異常は無し、次の聴音テストの結果、「年齢の割には耳が大分、遠くなってます。これだけは医学的に直す方法はないので補聴器を勧めますが」との宣言を受けた。
補聴器専門機関を紹介されて、再び精密検査を受けて、自分の聴力にあった補聴器を借りることになった。その時のアンケート調査に「あなたは進んで補聴器を着けたいと思いますか」とあったから、「進んでとまでは着けたいとは思わない」と書き込み、最後の抵抗を試みた。検査技師はその用紙に目を通し、「着ける気はないのですか」と念を押すように尋ねた。「いや、だから自ら進んで着けたいとは思わないということで、必要とあらば着けます」と答えた。内心、「だれが好き好んで補聴器を着けたいと思っているバカがいるか」とアンケート用紙の文章の要領の悪さに毒づいた。
ともあれ、検査を終えたその場で補聴器を借り、耳に当てた。キンキンした音が小気味よいほど耳に入って来る。使い方の説明を受けた後、「では、これをお貸ししますから、今度、来られる時まで使うかどうか考えておいて下さい」と検査技師と補聴器メーカーの社員は言った。「ハイ」と答えて、その場で補聴器を外して、ケースに入れたら、さもがっかりしたようにメーカーの社員は「ああ。もう外すんですか」と顔を曇らせた。「ええ。もう少し慣れるまで」。そう言ってその場をあとにしたが、自分の車に入ってからまたかけ直してみた。素直に補聴器メーカーの社員の勧めに応じたくなかっただけである。
自分の車に戻ってから車内で補聴器をかけ直し、外を歩いた。雨の日だった。コウモリを手に街を歩いたら、コウモリを打つ雨の音、側溝を流れる水の音、自分の歩く足の音、車の音、行き交う人々の会話の声までみんな耳に入って来る。正直な感想は「この世はこんなにも音があるのか」という驚きとショックだった。そして「自分は今までなんて音のない世界を歩いていたんだろう」ということに気づき、随分、人生を損したようにさえ思った。
車のドアをロックする。「カキン」と美しい金属音が返って来る。これも補聴器をかけて初めて知った。ドアを開ける音、遠くの犬の鳴き声、風の音。小鳥たちのさえずり。どれもこれも補聴器をかけてから聞いた新鮮な音だった。テレビの音がいやにうるさく耳に響く。街を歩いても、市役所記者室に入っても、随分、いろんな音があるのに気づいた。
音の無い世界。これほど味気ないものはない。楽聖・ベートーベンは晩年、聴力を失った。音楽家が音を失うことは命を失うと同じことだ。狂うほど悩みながらもあの名曲「合唱」を作曲した。 その交響曲を初めて披露したとき、ベートーベンは自ら指揮棒を振った。演奏が終わったとき、聴衆は感動で沸き、会場はわれんばかりの拍手の渦となった。しかし、ベートーベンにはその音さえ耳に入らない。だまって楽団員を見つめたままだった。耳が聞こえないのに気づいた劇場支配人が駆けつけ、ベートーベンの肩を取って後ろを振り向かせた。再び拍手が沸いた。ベートーベンは感激して深々と頭を下げた。(この項は記録を調べず、記憶によって書いたものです)
音の無い世界。これは人生にとって大きな損だ。いま自分は進んで補聴器を耳に当てている。そして聞いたウグイスの声だった。抱き返り渓谷の新緑に染まって。その抱き返り渓谷の緑をどうしても見たいと先日、県南日々を訪ねて来た静岡県焼津市の長谷川雅美さんが、16日朝、再び駆けつけて来た。自宅に電話が合ったので、出来たら同行しようと駆けつけたが、姿が見えなかった。一人で抱き返り渓谷を往復して、帰ろうとしたら吊り橋の向こうから、あっちに目をやり、こっち に目をやり歩いて来た女一人。すれ違いかとがっかりしていたが、やはり長谷川さんだった。「あらー。来てくれたの!」。さわやかな声が耳に大きく響いた。再び抱き返り渓谷を歩いた。ウグイスの声がまた聞こえた。