こちら編集室「旧約聖書」(98・6・6)
旧約聖書をむさぼるように読んだことがある。聖書に憧れを抱いたのではない。ただ、心の傷みを癒したかった。何か夢中になれるものがほしかっただけである。旧約聖書の創世記。神は天と地を創造した。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていたという。
神が「光あれ」と言うと光が生まれ、神はその光とやみとを分け、光を昼と名付けた。神はまた「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」と命じる。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けた。神はおおぞらを天と名付ける。
そして神はまた「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」と命じた。そのようになり、そのかわいた地を陸と神は名付け、水の集まった所を海と名付けたという。神はさらに地に青草と種をもつ草と、種のある実を結ぶ果樹を地にはえさせた。さらに昼と夜を分け、水に生きる物と天を飛ぶ鳥を創造し、さらに家畜と獣を創造し、最後に神は自分のかたちをした人を創造した。男と女を創造した。
神は彼らを祝福し、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と地に動くすべての生き物とを治めよ」と命じた。神は人にすべてのものを与え祝福した。こうして6日が過ぎ、7日目にして神は休まれたという。
神は創造した人間・アダムをエデンの園に住まわせた。そこはまさに楽園であった。木の実がなり、食に困ることのない楽園であった。神は命じた。園のあるどの木からでも心のままに実を取って食べてもいいが、善悪を知る木からは取って食べてはならないと。しかし、神がアダムに与えた妻・エバは狡猾な蛇にだまされ、その実を食べ、夫にも与える。実を食べた二人はたちまちのうちに神のように善悪を知る知恵が身につき、裸であることに恥ずかしさを覚え、いちじくの葉をつづり合わせて腰に巻く。
神は人間に知恵を持つことを嫌ったのだった。神は怒り、エバをだまし実を食べさせた蛇をすべての獣のうち、もっとものろわれる生き物とし、女には苦しんで子を産むようにし、夫には一生苦しんで食物を取るようにさせた。
神は創造した男と女に善悪を峻別する知恵を持つことを嫌ったのだ。人間が知恵を持つことを忌み嫌ったのだ。神は男と女にエデンの園で裸で暮らし、裸で生きることを願ったのに、知恵を身につけたがために、裸でいることに恥ずかしさを覚えてしまった。神はこの善悪を知る男と女は「命の木からさえも実を取って食べ、永久に生きるかもしれない」と恐れ、二人をエデンの園から追い出してしまう。
知恵。人間は知恵があるから戦うことも、人を愛することも、悲しむこともある。そしてありとあらゆる欲望も持つ。神は人間が知恵を持つといずれは神の領域さえも侵すだろうと恐れたのかもしれない。それから長い長い月日が過ぎ、ノアの大洪水の後、人間どもは天にも届かんとする塔を町に建てようとする。神が恐れた人間との戦いが始まった。神は人間の僣越な行為を憎み、同じ発音、同じ言葉を持つ人間たちの言葉を乱し、意志の疎通ができないようにさせた。言葉が通じなくなった人間は、工事を進めることができなくなった。「バベルの塔」である。そして人間の言葉は乱れ、さまざまな言葉が生まれた。
ある哲学者の言葉が忘れられない。石と斧で戦っていた時代の人間の戦いは人と人の争いであったが、核というものを手にした近代戦は神の領域を侵してしまったと。インド、パキスタンが核実験を繰り返した。これをアメリカ、中国、フランス、イギリス、ロシアの5大国が核実験に走った両国を核保有国とは認めず、あくまでも5大国独占を決めた。今度の件ではインド、パキスタンも責められるべきだが、核保有国5大国の姿勢もまたどこか身勝手だ。説得力に欠ける。
人間が知恵を持つことを嫌った旧約聖書時代の神は人間に何を理想として求めたのだろうか。裸で生まれ、裸で成長し、何も考えず、何も苦しむこともなく、何も悲しむこともなく、働く必要もなく、眠りたいときに眠り、食べたいときに食べ、自然のままに生きることを望んだのだろうか。酒の好きな自分は「神は人間が酒を飲むことさえ嫌うだろうか」と自問自答した。核実験からあまりに落差の大きい話だが、酒も飲めないようでは生きていてもしょうがないかと思ったりする。
ともあれ、人間は神をも恐れぬ核というものを手にしてしまった。まさか5大国がこれを武器に戦争に突っ走るということはあるまいが、インド、パキスタン両国の場合はやりそうな危険を感じる。神の領域に突っ走ってしまいそうな稚気さを感じるからだ。
旧約聖書の神を考えながら、購入してもう2年が過ぎたパソコンを前にして戸惑っている。このコンピューターというものも神の領域を侵している代物ではないかと。動かなくなったワープロ。修理をお願いして説明を受けてもサッパリ要領を得ない自分の頭はアダムとエバが木の実を食べる前の「無知な人間」同様だ。その無知によって昨日は、メーカーが貸して下さったパソコンで記事を打ったまではよかったが、ちょっと離れた瞬間、機械はストライキを起こして、すべての文章をあの世へと送り去ってしまった。もうハードデスクもいっぱいかもしれないとも言われた。買い換え。とても無理な状態だ。ワープロ機能の回復を祈り、だまし、だましして使うよりしょうがないかと思っている。