こちら編集室「県南日々からありがとう」(98・7・6)
 
 笑顔だった。みんなが祝福の笑顔をこちらに向けていた。96年12月1日。田沢湖町の「きたうら花ねっと」をキー局に、みなさんにいろんな迷惑をかけながら手さぐりの状態でスタートを切ったインターネット上の新聞「秋田県南日々新聞」が、6月26日にヒット数10万を記録したのを祝福したいと、たざわこ芸術村の田沢湖ビール「ブリュワリーパブ」には19人もの人たちが詰めかけた。メールは何度か交換したものの、会うのは初めてという方もいた。メールの交換もないのに、この祝いの会の様子をWEBカメラで世界中に生中継したいと、お手伝いに来てくれた方もいた。

  きたうら花ねっと、そして大曲市のおばこネットの協賛で開かれた「10万ヒットお祝いの会」だった。花束の贈呈まであった。県南日々が将来、パソコンを持って、どこへ取材に出かけても、取材先から記事を送れるようにと配慮して下さったものだろう。モバイルコンピューティングに欠かせない「モデムカード」という最新鋭の機器のプレゼントまであった。さらには取材用にと大学ノートのプレゼントもあった。また、「伊藤さんが一番、好きなものだから」とホームページを開設している西木村の浅利酒屋さんの浅利重富美さんからは「祝10万」のカードを貼りつけたオリジナル酒「にしき郷」のプレゼントもあった。

  驚いたのは県情報システム開発室長の高橋精一さんからの「今日の祝賀会に参加するため、県庁の『県南日々愛読者の会』にカンパを呼びかけたら50人の仲間から寄付がありました。一日だけの呼びかけでしたのでこれだけの人数しか集まりませんでしたが」と謝罪の言葉まで添えられて、御祝儀袋を手渡された時だった。県庁の職員50人もの方々がこの新聞のため、カンパしてくださったという。あまりにも恐縮なご褒美だった。

  また、この会には参加できなかったが、県南日々が誕生時からいろんな面でお世話になっている県仙北地方部の成田秀さんから、そして大曲地区インターネット促進協議会から「お祝いの会の運営費に充てて下さい」と1万円ものご寄付があったとも伺った。
  そして会場では秋田大学の玉本英夫教授、この新聞をデザインしてくれたグラフィックの高橋成人さん、ロスアンジェルスの読者、敦子・リーさん、NTTの前大曲支店長の近藤詣寿さん、六郷町役場の渋谷望さん、ホームページ「あきたNWES」を開設しているshizukoさんからの温かいメッセージの紹介もあった。

  さらにパーティが始まるとマレーシアの柳千賀子さん、秋田市のshizukoさん、静岡県焼津市の長谷川雅美さん、ひでさんなど、多くの方から「読者の広場」への書き込みメッセージも寄せられた。地ビールを飲みながら、酔った頭でつくづく思った。人間っていいもんだなーと。
  翌朝、高橋さんから頂いた「秋田県庁『県南日々愛読者の会』」から寄せられたカンパ名簿に目を通させてもらった。名簿順に岸本邦夫総務部長、佐藤文男さま、加藤清美さま、企画次長・佐々木有幸さま、杉野誠一さま、木村雅彦さま、森田新一郎さま、田口昭雄さま、佐藤貞治さま、東海林考豊さま、斉藤玉宏さま、石井教夫さま、鈴木仁さま、佐藤勲さま、小林憲一さま、永木宏明さま、大友捷一さま。

  一人ひとりの名に目を通した。お会いしたこともないはずだ。いや、以前にどこかで一度、会っているかもしれない。単なるそれだけの関係なのにこの方々は。

  確かに無収入に近いこの新聞を維持していくのは苦しい。苦しいけど喜びはあった。それは多くの読者からの励ましのメールであり、ヒット数10万を祝う書き込みがあったから。とにかく、ありがとうございます。

  商工労働部長の根津谷礼蔵さま、同次長の赤石誠さま、小田内富雄さま、川越元さま、水野泰孝さま、佐藤正則さま、高橋精一さま、坪田慶一さま、伊藤仁志さま、橋本明さま、木内英明さま、奥山俊靖さま、鈴木亮一さま、松橋彰雄さま、安部幸市さま、佐々木和雄さま、小西和男さま、奥山操さま、吉川耀介さま、山木雅秋さま、中嶋義徳さま、菅原広さま、成田晃さま。
  一夜明けて、みなさまのお名前を一つひとつ確認しているうちに人の心の温かさと言うものが、乾いた砂場にしみ込んでいくようで胸が熱くなる朝でした。

  そして、井川恵男さま、佐藤富士雄さま、越後谷康作さま、高橋敏生さま、伊藤昭一さま、鈴木勝美さま、佐藤徹さま、高橋康彦さま、川前正明さま、長谷川雄美さま。

  県庁にもこんなにも多くの読者の方がいらっしゃるなんて。県南日々という新聞は、本当に多くの方から読まれていたんだと心底、嬉しさを感じました。

  県企画調整部情報統計課情報システム開発室長の高橋さんとは、県南日々を開設以来、幾度かメールのやりとりはありましたが、お会いしたのは3日夜が初めてでした。優しさと情熱を込めた目を輝かし、「伊藤さんとはメールのやりとりは何度かありましたが、お会いするのは今日が初めてですね。でも、もう何年も前からの知己のような感じで」と物腰柔らかく接していただきました。  司馬遼太郎の小説「峠」の主人公である河井継之助が好きで好きでたまらないという高橋さん。そう。記者もこの幕末の動乱期に新潟・長岡藩という小さな藩の運命を背負って、いわゆる官軍に真っ正面から戦いを挑んだ河井継之助の武士としての、男としての生きざまが好きで、もう20年以上も前から、人生にくじけそうになっては読み返した小説でした。

  高橋さんの好きな河井継之助の「峠」に次のようなエピソードがあります。河井家の親類が火災にあって一切合切の財産を失います。親類の主は大の継之助嫌いで、機会を見つけては罵詈雑言を投げつけます。しかし、継之助は親類筋を見捨てるわけにはいかないと、多くの支援物資を届け、助けてやります。普通なら頭を下げてお礼を述べるのが筋でしょうが、支援を受けた親類の武士はここぞとばかりに継之助が耳をふさぎたくなるほどの説教を始めます。

  相手の武士は「継之助。おれの言葉こそ、今度の支援へのお礼だと思って聞いてほしい」と真っ正面から延々と文句を吐き続けるのです。この男は偉いと膝を叩いて喜んだのは文句を言われる継之助です。つまりどんな目に遇っても、自分の信念を変えない武士らしい武士と感服したのです。県南日々はそれほどの固い信念はありません。ただ、県や市、そして国の出先機関のご協力とご指導を得ながら、読者に喜ばれ、役立つ記事を読者に送り届けたいと思ってます。

 ともかく県職員のみなさまからの心温まるカンパ。本来なら、一人ひとりをお訪ねし、お礼を述べるのが筋でしょうが、この紙面を借りてお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。
  また、今回の「お祝いの会」を企画して下さったデジタルアートファクトリーの長瀬一男さん、海賀孝明さん、長瀬民さん、甲山知苗さん、高橋路子さん、そして松戸市コンピューターサービスの佐々木徹さん、佐藤寿洋さん、上原秀明さん、ありがとう。さらに秋田市からわざわざ参加して下さった加藤隆さん、秋田県インターネット協議会副会長で誠文社代表取締役の田中誠さん、ありがとうございました。さらに身に余るほどのおほめの言葉かけて下さった角館町「おおさわ胃腸科内科クリニック」の大澤佳之さん、パソコンサポート「クリニック」代表の坂本洋さん、懸命に会場風景の画像を送り届けようとカメラやインターネット機器の設定を手伝って下さった県仙北土木事務所の佐々木和朗さん、男鹿市の藤田豊さん。また、インターネットとはまだ縁がないものの県南日々のヒット数10万を祝いたいと駆けつけてくれた仙南村在住のプロのカメラマン・泉谷玄作君。みんなありがとう。

  また、とても素敵な会場を貸し切りで提供して下さった田沢湖ビール「ブリュワリーパブ」の支配人、そして従業員のみなさまありがとうございました。

  県南日々はあの夜、世界で一番、幸せな新聞だと思いました。ええ。人間って、またいいもんだとも思いました。あの夜、次の祝いはどうしようかと話題になりました。これに対して長瀬さんからはとてつもない大きな目標を与えられました。「次は100万を目指しましょう」と。目の回るような数字でした。でも1万になるのに当初は4カ月もかかった県南日々でしたが、いまはほぼ40日で「ヒット数1万」。長瀬さんが仰るように「100万」もインターネットの普及によってはあるいは夢ではないかもしれません。何年かかるか、あるいは10数年先かは未知数ですが、10万も一つの通過点にすぎないと思うと、100万もまた一つの通過点にすぎないという日が来るかもしれません。ただひたすら読者とのつながりを大事にして、歩み続けたいと思います。

  長くなりますがここに3日夜、読み上げさせてもらったあいさつ文をお礼を込めて掲載させてもらいます。
 



  今日は県南日々新聞のヒット数10万を祝う会にかくも多くの方々のご出席を得まして本当にありがとうございます。県南日々がここにいらっしゃる長瀬さんや海賀さん、そして県仙北地方部の成田さんの力ぞいを得てスタートしたのが96年12月1日でした。それから1年と7カ月を迎えての10万でした。6月26日朝、市役所記者室のパソコンに電源を入れてアクセスカウントを確認したときの思いは格別なものでした。8時55分。カウントは10万216という数字を示していたのです。思わずやったーと心の中で叫んでしまいました。

 この10万がインターネットの世界では果たしてどんな意義があって、そして重いものか軽いものかは分かりません。中には一日に数万単位で入ってくる人気ホームページもあるでしょう。そうしたページからは「たかが10万」かもしれません。でも、自分にとってはやはり、「されど10万」でした。感無量の思いでした。そしてここまでやってこれたのも長瀬さんや海賀さんの技術的な支援のおかげです。とくに海賀さんには本当にご難儀をかけてしまいました。お礼の申しようもありません。また、松戸市コンピューターサービスの佐々木さん、佐藤さん、上原さんにはパソコン音痴の自分のため随分、ご迷惑をおかけいたしました。改めてお詫び申し上げます。

  この新聞を始めてからはいろんなエピソードがありました。すべてを語る時間はありませんが、最近のことでは大曲高校が今、アメリカの高校生を受け入れて一緒に勉強をしているのですが、そのことをニュースとして取り上げたら、アメリカの読者から「私の弟が大曲高校で教師をしています。その弟に電話をして、いまあなたの学校でアメリカの高校生を迎え入れているでしょう。弟さんはびっくりして、あれっ姉さんどうしてそんなことが分かったのと聞いてきたそうです。お姉さんはアメリカにいる私の方が情報通でしょう」とインターネットのおかげで弟にすっかり自慢することができましたとお礼のメールを頂きました。この方はロサンジェルス在住で県南日々の新しい海外リポーターとなって下さいました。

  また、昨年の6月には神奈川県の大病院を辞めて大曲市角間川町の薬局に勤める畠中さんという方を取り上げました。この人は秋田県とは縁もゆかりもない方ですが、田舎に住んで患者さんと直接接することができる在宅医療をやってみたいと移り住んだ方です。お医者さんと一緒に患者さん宅を回り、患者の体質にあった薬を調合しています。もちろん、記事は自分が勤める秋田民報社にも掲載しました。紙の新聞に出ると同時に地元の人たちからいろんな声をかけられて本当に嬉しかったと喜んでもらいました。

  ところが、それからしばらくしてら畠中さんの働く薬局に大学病院の教授や薬科大学の先生たちが次々に視察に訪れるようになったそうです。いずれも将来の介護保険導入に向けて、畠中さんの取り組んでいる在宅医療こそ理想的な方法ではないかと視察に来たそうです。さらに畠中さんがそのことを学会で発表しようと出かけると「ああ。畠中さんですね」と見知らぬ多くの方から声をかけられ、不思議な思いをしたそうです。このため、「どうして私のことを知ったのですか」と尋ねたら、県南日々というインターネットの新聞で拝見しましたと言われ、インターネットのすごさに改めて驚いたと最近、畠中さんとお会いしたらお礼を述べられました。それこそこちらにとっても驚きでした。

  さらに大曲市の総務部長が青年海外協力隊の一員としてタイに派遣されていたおいごさんが久しぶりに大曲に帰ってきたので、大曲の変わったところでも話して自慢しようとしたら「おじさん。それは県南日々で全部知ってるよ」と言われ愕然としたというエピソードもありました。

  また、大曲市の教育長の奥さんが福島県で開いた同級会に参加したら、特許関係の仕事をしている元国家公務員の同級生から「鎌田重光という大曲市の教育長は鎌田さん、あなたのご主人でしょうか」と尋ねられたそうです。鎌田さんも驚きながら「そうですが」と答えたら、実は大曲市でインターネット新聞に取り組んでいる伊藤さんという方がいて、その新聞から知ったのですと言われとても誇りに思ったとの話も鎌田さんからうかがいました。また、2日夕方には市役所記者室に釜石市役所の企画課から電話があり、観光キャラバン隊を大曲市に派遣することになった。そして明日4日午後3時からは横手市のサティで、釜石市の民俗芸能を披露するが、是非、県南日々で取り上げてもらいたい。釜石市と横手市は職員の交流もあり、私も県南日々は読ませてもらってます。日々で紹介してくれたら釜石市の観光をPRするための大きな武器になります」と考えたこともなかった所から取材要請がありました。吹奏楽部で活躍している高校生からも、私たちの演奏を県南日々で取り上げてもらえないかとメールで取材要請が来たこともありました。

  こうして県南日々はインターネットの世界で次第に社会的にも認められ、存在感も高まってきました。ここまでこれたのもみなさんの支えであり、読者の励ましのメールのおかげでした。「小説を書くというのは、日本橋のまんなかで、素っ裸で仰向けに寝るようなもんだ」と語ったのは確か太宰治だったかと思います。それこそ自分の記事、文章は日本橋の真ん中で、素っ裸で仰向けに寝るような恥ずかしさですが、これからも読者、そしてみなさんの支えを下に故郷のニュースを書き続けたいと思ってます。ここにいるかみさんの援助で少しばかりの贅沢をさせてもらっているのですが、そうした情けない経済状況からの脱皮を図りたいというのも県南日々発行の動機の一つでした。その願いはまだ達成してはいませんが、地元の住宅会社から土地分譲に役立ちそうだと広告の申し込みもあり、かすかですが明るい兆しも見えてきました。でも今では経済的な問題よりも、この県南日々を通じて知った多くの温かい人たちとの交流こそ最大の財産だと喜んでいる次第です。パソコンの具合が悪く、買い換えなければならないかと思ったときは愕然とし、読者の広場を通じて、今はパソコンを買い換える力もないので、もしかすればある日突然、県南日々がしばらく休刊することになるかもしれないが、その時は許してほしいと書き込んだら愛知県の読者からは「読者のみなさん。伊藤さんのためにパソコンを買えるようカンパしませんか」と涙が出るほど嬉しい書き込みもありました。遠いアラスカの女性読者からは「伊藤さん。アメリカでは市民のカンパで運営している新聞や放送局はいっぱいあるから、読者にカンパを呼びかけて」というメールもありました。県南日々はこうした心優しい読者に支えられ、世界一幸せな新聞だと思っております。本当に今日は、多くの方のご出席、ありがとうございました。