結局、タバコは全面的に敗北宣言を出そう。止められぬのだ。何も威張る必要はないが、タバコと言う文字が無意識に頭に浮かんでくるとどうにもならなず、結局、手をつけてしまう。特に原稿を書こうとパソコンに向かい、文章に行き詰まってしまうと書類の下に隠して置こうが、離れた場所に置いておこうが手が無意識に伸びてしまう。ただ、本数は減ったとは報告したい。タバコと縁を切るのは難しい。ただ者でないことを改めて認識した。
3連休が続いた。休みに何となく憧れるが、いざ休んでみると貧乏性なのか、黙って家にいれない。ただ朝ののんびりした気分はなんとも言えない。眠りたいだけ眠り、大きく背伸びしてベッドから離れる。いっぱいの水。これがうまい。いつから習慣づけになったのか目覚めと同時に台所へ足が赴き、冷たい水を飲むのが朝の日課となっている。これだけはどんなに寒くても続けている。コップいっぱいの水が喉を通るとやっと気分がすっきりするのである。
遅い朝食をとって、そして考える。さて今日は何をしようと。土曜日は結局、市役所に足を運んだ。県南日々が気になって仕方ないからだ。まるで自分の分身である。メールをチェックする。ロスアンジェルス在住の敦子・リーさんから心温まるメールがあった。表紙の写真に感謝してくれたのだ。敦子さんは大曲市内小友出身と聞いた。特別に意識したわけではないが、アメリカで暮らす敦子さんに喜んでもらえたらと取材の合間に内小友から中山へと車を走らせ、農村の風景を写真にした。
「胸がジーンと熱くなりました。秋田と見るだけで、恋人の名前を見たような胸の動悸を感じます。それが、内小友の名前を画面にすると、もうダメ。涙が出てきてしまいます」とあった。アメリカで暮らす敦子さんにとっての故郷「内小友」はそれほど懐かしいものなんだろうと改めて思った。渡米して11年と伺った。メールを読んでみると敦子さんの故郷はつらい思い出の故郷でもあった。母を高校3年の春に失っているのである。感受性のとりわけ高い青春のど真ん中で母を失った悲しみはいくばくのものだったろう。読んでいて、深い悲しみと同情が沸いてきた。
しかし、その悲しみを原点にして敦子さんは大きく成長し、いまはアメリカの市民権を獲得して幸せな人生を歩んでいる。「私の進学、その他の出費を稼ぐため、男性に混じって土木作業に出た母。体調を崩し、秋田大学病院に入院したものの、医師からは助からないと告げられたのはそれから間もなくだった」と敦子さんは話す。
「亡くなるまでの1カ月、母は苦しみ、痛みに涙を流して、子ども4人を置いて逝かねばならない無念の中で去りました。火葬場に向かう前、柩に収められた母を、最後だと精一杯抱きしめ、男泣きした父の姿は忘れられません」とあった。さらに「父と二人で、肥料をふりながらも、父のさびしい姿、心で泣いている悲しい表情が、田んぼの風景を見ると重なってくるのです」とまであった。
メールによると敦子さんの父はその後、家族のだれからも祝福される再婚という機会に恵まれ、弟妹もまたそれぞれ幸せな家庭を築かれたとか。「父が再婚してもう20年。本当に素敵な母(義母)であり、感謝している」ともあった。結局、大学進学をあきらめた敦子さんは、家族の世話や農作業の手伝いをしていたが、父の温かい理解を得て上京。昼働き、英会話、タイプ、速記の夜学に通い、資格と技術を取得、東京で広告関係、オペレーター、非金属会社の社長秘書、また国際団体に勤務し、在日大使館関係や海外特派員協会関係の仕事に従事された。
その故郷・内小友に敦子さんが8月にそれこそ8年振りに帰ってくるという。故郷の風景はどんな言葉を敦子さんにかけて、迎えてくれるだろうか。せめて故郷に滞在中はさわやかな天候が続くことを祈りたい。
詩人・室生犀星は「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたうもの」と歌った。犀星はこの詩を通じて「たとえ異土(故郷でない土地)で乞食になろうとも、故郷は帰るべき所でない」と訣別する。しかし、それが逆に犀星の故郷への思いを熱くさせた。故郷はやはり帰るべき土地なのである。
記者は故郷を遠く離れて見たことがない。強いて言えば、高校を卒業して秋田市で半年ほど暮らしただけで後は生まれついてからこのかた、土着したままなのである。故郷を離れて故郷を思う気持ちはだから敦子さんやほかの読者とはかなりの温度差があるかと思う。しかし、記者はこの大曲市が好きだ。雄物川。西山。田園風景。人と人の付き合い。みんな好きだと思っている。幼いころに見に行った大保の鹿島流し。19日の日曜日にこれを取材した。大保出身の読者である茨城県在住の小山篤さんから「懐かしい!」との書き込みが「読者の広場」にあった。たとえ温度差があろうとも遠く離れた読者に喜んでもらえればそれでいい。これからも懐かしい風景、懐かしい行事を訪ねて紙面を飾りたい。そう思った。