胆南新報・酒井隼男記者の「コラム(2)」(98・8・17)

  〈ある地方議員の奮戦記〉
  ○…「身体障害者相談員」として、一つ一つの事例にきちんと対応する誠実さが、この人の「持ち味」なのだろう。岩手県衣川村議も務める石川利巳(としみ)さんの著書「みんな元気になあれ」(自費出版)は、読む者の心を暖めてくれる。
 
  ○…利巳さんが、故若槻三治さんのあとを継いで衣川身障者協議会長に就任したのが1978(昭和53)年のこと、まだ36歳の若さであった。自身も脚に四級の障害を持ち、身障者の気持ちには理解があるつもりだったが、実にさまざまなケースに出会って落ち込み苦労し、そして喜びも人一倍体験する。

  ○…ある゛おばちゃん゛とよもやま話をしていたときの話。出されるお茶がどうも苦い、いや苦すぎる。利巳さんは「これは」と感じるところがあって確認してみると案の定゛おばちゃん゛に目の障害があった。ある女性が自分の車にぶつかりそうになった縁がもとで、彼女の姉の障害者手帳交付に一役買ったこともあった。

 でもこんな失敗談も。ある男性から、最近耳の聞こえが悪いから障害者手帳交付を受けたいと相談があった。利巳さんは彼にうさん臭さを感じていたが、とりあえず診断書をもらうために検査会場に連れていった。検査が済んでその人が会場を出ようとしたとき医者が「○○さん、忘れ物ですよ」と声をかけると、その人は思わず振り返ってしまう。医者曰く「これくらいの声が聞こえるのであれば障害者にはなりません」帰りの車中で「聞こえないふりをするのも大変だ」とその男性は呟いていたそうだ。

 一方引っ込み思案の知り合いの男性が、一生一代の決心をしてある女性に求婚することになった。ところが相手の家がわからないから一緒に探して欲しいという。近くまで来て警察に聞いたところその名前の女性は小学生の女の子だということで、すっかりだまされたことがわかりしょげ返ってしまった。しかし姿格好が似ている女性がそう遠くないところにいることを聞き出してついに目的の家を発見、執念でゴールインさせるなど゛人生相談員゛としても実に頼もしい活躍を見せてくれる。

  ○…しかし同じ障害者の「甘え」に対して、厳しい視点も持ち合わせる。権力をかさに世を渡ってきた人がいざ障害者になって不便な世の中だと漏らすと、「権力のあるうちに福祉に力を入れてくれれば」と、少々皮肉を交える。この章だけ「言うたらなんやけど」とわざと関西弁風に題をつけたのもまた、利巳さんらしいウイットを感じさせる。

  ○…利巳さんは今、ある「村おこし」に燃えている。村でかつて栄えていた漆工芸を復活させようというのだ。彼の住む衣川村北股地域には昔増沢という地区があり、漆職人が優れた作品を生み出していた。作家新田二郎が東京新聞に寄せた紀行で「漆塗りの里」として紹介しているほどであった。ところが昭和40年代ダムに没し、職人も衣川を離れて伝統が途絶えてしまう。そして増沢塗を受け継いでいるのは、今では
わずかに胆沢町に在住する元村民一人になってしまった。

 「僻地」指定を受けて過疎化が進んでいるこの地域に明かりを灯そうと、うるし復活プロジェクトが1996年からスタートした。その中心が利巳さんである。

  ○…まず手始めに、漆がこの地区に伝えられたと見られるルートを逆にたどる探査を行うことになった。その目的地は「川連漆器」で有名な秋田県稲川町である。つまり衣川から奥羽山系を越えて稲川まで踏査しようという実に壮大な計画である。直線距離にして約30kmだが、険しい山越えでしかも人がやっと通れるような細い道しかない。しかしチャレンジ精神あふれる村民28名が踏査に挑むことになった。もちろんその先頭には利巳さんの姿があった。彼が脚に抱えるハンディは、全く問題にもならなかった。早朝暗いうちに衣川を出発、笹を切り開きながらおよそ15時間かけて稲川まで到達、町関係者の大歓迎を受けて見事伝播ルートを証明した。そして今年8月29・30日に3たび踏破ツアーが予定されている。参加者は50人以上にふくれあがっている。

 利巳さんの夢は伝統を受け継ぐ若者が育ち、新たな衣川の名産品に増沢漆器を加えることだ。プロジェクトはまだ始まったばかりである。
 

酒井隼男記者のプロフィール=1958年岩手県生まれ.39歳。大学卒業後、生協職員や家業の手伝いを経て、1996年から岩手の前沢町、衣川村を発行エリアとする「胆南新報」の記者。かたわら学習塾を主宰。
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