こちら編集室「女の描写法より」(98・8・20)

  無聊(ぶりょう)を持て余したわけではない。ただ何となく昔、本を読んでは参考になればとメモを取っていた大学ノートをひもといた。「女の描写法」という書き込みがあった。いわゆる文章でもって女性を描写するには何が大事かというものだ。いつ、なんのためにそんなことを書き留めていたのか。記憶を引き出そうとしたが、思い出せない。

  メモによると女の描写法には次の7点があるという。
  (1)四つの黒=髪、まゆ、まつげ、瞳
  (2)四つの白=肌、眼、歯、手
  (3)四つの紅=舌、唇、歯ぐき、頬(ほお)
  (4)四つの長=胴、腕、指、脛(すね)
  (5)四つの円=頭、首、肘(ひじ)、手首
  (6)四つの大=額、胸、眼、腰
  (7)四つの細=鼻、唇、眉(まゆ)、指

  なるほど。「黒いまつげが濡れていた」「黒い瞳がキラリと光った」「背中まで垂らした長い黒髪が風に揺れていた」「もちのように柔らかく温かい肌だった」「白い歯がこぼれた」「紅い舌をペロリとだして肩をすくめた」「恥ずかしそうに頬を真っ赤に染めた」「長くたよやかな腕を差し出した」「着物の裾からちらりと見えた白い脛(すね)の色っぽさ」「柔らかな横顔(頭)、ほっそりと伸びた首筋に育ちの良さが感じられた」「大きな胸、大きく柔らかな腰に眼が釘付けにされてしまった」「細く伸びた品のいい鼻筋が美しかった」、「唇の細さがどこかか弱く、放っておけなかった」。

  こう書くだけでもう文学である。いや流行歌にさえなりそうだ。もう、歌謡曲の決まり文句の羅列と言ってもいい。これをメモした当時、自分は文学者でも目指していたのだろうか。いや、語彙不足な自分がそんな大層な夢を見るはずがない。駆け出しだったころ記事がなかなか思うように書けず、いろんな表現法の一つとして参考になればとメモにしていたのだろう。

  それにしても女を描くということにこれほどの描写方法があるとはー。「君が緑の黒髪は」と歌ったのは島崎藤村だった。「惜別の歌」だったと思う。今月15日の大曲市の成人式。若い男女の喧騒さに圧倒されたが、それよりも驚いたのが髪の毛の色である。赤あり茶あり、紫あり、銀色あり、緑色ありとカラフルさに頭が見ているだけでクラクラした。いつだったか。「読者の広場」に「もう君が緑の黒髪はーという時代は終わったんでしょうね」と嘆きの言葉を書かれた方がいた。そうかもしれない。

  現代の若い女性に慎ましさとか清楚さとか、いわゆる男の身勝手な固定観念を求めること事態がもう時代後れと言うべきだろう。元気の良さが取り柄だと思おう。それにしてもこの世の中、男と女しかいないからやっかいだ。男と女。齢は重ねてもいつまでも恋愛感情をもつのは好きだが、事件になっては詰まらない。今朝の新聞はその点で不愉快だった。県職員の汚職の背景に女性問題があったとは。飲食店の女性経営者に自分名義だったとは言え、土地と家を買い与え、最後には生活費に困って、付き合いのあった土建業者に100万円のワイロを要求したというのでは恋愛を通り越して、醜態と言うものだ。

  妻ある男性が別な女性を好きになるのはまあ、受け入れよう。しかし、家庭をメチャメチャにした上で、職場に迷惑をかけ、県庁の信頼性を再び揺るがすような汚点を残すようでは恋に陥った末とは言え、褒めようがない。

   「失楽園」。渡辺淳一の小説として昨年、大流行した。50代の男性が30代の人妻にほれ、最後は心中に走った。映画で主役を演じたのは黒木瞳だった。それこそ黒い瞳が真珠のように輝き、しっとりとした情感的なムード、なんとも言えぬ寂しさや憂愁さを秘めた表情は見ていてもやるせなかった。小説では二人を心中に追いやった。小説だからこそ、それで済んだ。

  だが、現実はどうだろう。もしも50代の男性と30代の女性が恋に落ちて、実際に心中に追い込まれてしまったら残された家族の悲嘆はどうするのか。恋愛するのはいい。妻子ある男性が別な女性を好きになってもいい。しかし、恋をしても男よ。泣け。妻子あるなら、妻子のために泣け。家庭を守ることのために泣け。そして好きになってしまった女性のために泣け。女に泣かされろ。例え、恋愛関係に陥っても、互いの立場を守ってこそ、愛は美しい。男よ。女性がこの世にある限り、男は女性に惹かれよう。好きになっても構わない。だが、金銭関係で生活が追い込まれるような恋愛は止そうよ。

  愛というものは薔薇の新種のようなものだろう
  そのつよい匂い  そのやるせない色
  そしてもの憂いつかれ
  もしそれを数え唄に唄おうとすれば
  それはどこまでも果てしなくなってしまう(嵯峨信之・小詩編から)

  愛とは美しいが残酷でもある。今朝の新聞報道を見てそう思った。愛とは美しいが、時にはとても醜悪でもある。男と女。いつの世も難しい。そして愛別離苦を繰り返してきた。