〈大森分校の残したもの〉
○…岩手県衣川村の山深い一角に、二十二軒しかない大森地区という集落がある。ここにあった分校が今年の3月、73年の歴史にピリオドを打った。隣接する前沢町在住の作家三好京三の出世作「子育てごっこ」のモチーフとなった衣川小学校大森分校である。昭和26年の最高時に41名いた児童は46年に一ケタに減少し、そのときも「廃校」の危機を迎えたが、その後持ち直して一時期15人まで増え地区の人々はホッと胸をなでおろした。しかし減少傾向は止まらず平成9年には6名に落ち込み、3年後にはゼロになることが確実になったため閉校となってしまった。地域のセンターでもあり心の拠り所だっただけに、大森の人々の寂しさはいかばかりかと察せられる。
閉校式典の折、佐々木秀康衣川村長は「灯は消えたが芯はしっかりと残っている」と語り、大森地区の人々の心情を代弁した。
○…「子育てごっこ」が直木賞を受賞し大森分校が世に知られるようになって二十年、その間加藤剛、栗原小巻が出演する同名の映画にもなった。もちろんロケの舞台も分校がそのまま使われ、地区民の昼夜を惜しまない協力に制作スタッフが大いに感激したというエピソードが残っている。
その時の登場人物にも大きな変化があった。゛リカ゛のモデル千尋さんはイギリス人と結婚して今は外国で暮らす。゛放浪作家゛きだみのる、゛書店主゛絹川太一郎氏、そして神楽教育の提唱者小坂盛雄氏はすでに他界し、あの世で分校の最後を見守っていたのかも知れない。ここに出てきた人全てが、前沢、衣川にゆかりの人物であり、「子育てごっこ」が住民の間で語り継がれている所以である。
○…しかし゛男先生゛゛女先生゛はいまだに健在である。そして何よりも分校の伝統「み神楽」は脈々と受け継がれ、衣川で毎年開かれる「神楽まつり」のオープニングを飾るほど評価は高い。
三十年前の記録フィルムが残されており、若き日の男先生=佐々木久雄さん、女先生=京子さんは「分校の子は町の子より劣っているという偏見をなくしたい」と、はつらつとして語っていた。映画でもリカが友だちを馬鹿にして勉強や練習をさぼるシーンが出てくるが、「分校の子」に偏見があったのは事実である。゛男先生゛゛女先生゛は基礎学力を徹底して身につけさせると共に、地域の伝統神楽を教育に取り入れた。
そしてそれ以来、宮城教育大や福島大の学生が民舞を学びに来るだけでなく、仙台の民族歌舞団「ほうねん座」、そして東京の「荒馬座」も見学に訪れるほど先進的な教育を実現してきた。あの小さな分校にこれほど人を引きつける魅力を育ててきた教育手腕は、並大抵のモノではあるまい。
何を隠そうこの佐々木久雄先生が、作家・三好京三その人である。
○…大森分校が全国から注目を浴びていたエピソードをもう一つ紹介しよう。分校の教師を定年まで勤めた菅原恭正氏(衣川在住)が、地元新聞に次のような話を寄せている。「学芸会に村外から140人のお客さんが訪れ、身動きができないほど講堂一杯になった年もあった。電気のヒューズがとんで学芸会が中断するのを見て、東京や千葉や埼玉の方々がカンパで発電機を送って下さったりした。」(4月11日付「胆南新報」)
これほどまでに熱い視線を浴びた分校の廃校であるから、閉校式典の開かれた3月22日の大森分校は、地区民、村関係者、分校OB、マスコミで立錐の余地もないほど埋まった。だが幸いにもヒューズは飛ばず、無事式典は挙行された。大森に岩手県内全てのTV局、新聞社が勢揃いするのは、あとにも先にもこの日だけになろう。
○…分校最後になる6名の児童は、精一杯神楽を舞い太鼓をたたいて参加者の涙を誘った。「英語が得意になりたい」「部活にがんばりたい」「サッカーをやるぞ」「陸上で一等賞をとりたい」「字を早くきれいに書きたい」……6人は「大森で学んだことに誇りを持ち、学んだことをいかしていきたい」と声を揃え、胸を張って分校を後にした。
○…今ではすっかり人気のなくなった旧分校の敷地に、一つの石碑が立っている。「分校はひときわ目立つ高台にあった」とちょっとクセのある字で揮毫されている。「子育てごっこ」の出だしであるこの一節のように、山深いこの地域の小高い丘に今でも校舎は「存続」している、男先生、女先生の理想とした教育が、こうやって立派に引き継がれているあかしを残して。
筆者のプロフィール=1958年岩手県生まれ.39歳。大学卒業後生協職員や家業の手伝いを経て、1996年から岩手の前沢町、衣川村を発行エリアとする「胆南新報」の記者。かたわら学習塾を主宰。
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