胆南新報・早川隼男記者の「コラム(6)」(98・9・14)

〈あるローカル紙の「自殺」〉

  ○…この6月、筆者の住む前沢町の町会議員が議会の打ち上げで飲酒し、帰りに車を運転、自損事故を起こして辞任するという事件があった。いかにもお粗末な事件で、私の新聞では「○○議員辞職ー飲酒運転の末自損事故」という見出しで記事を載せ、「道標」というコラム欄で簡単な論評を行った。

  ○…前沢ではもう1つローカル紙が発行されていて、当然ながらそこも同じ事件を取り上げた。しかし不思議なことにどこを読んでも「飲酒運転」とは出てこない。ただ「交通事故(自損事故)などの責任をとって・・辞職願いを提出」とだけある。この新聞しか読んでいない読者は首をひねったに違いない、自損事故ごときで議員辞職までするものだろうかと。そして交通事故などの「など」とはいったい何のことを指すのか。

  ○…さすがに読者から「詳しい背景説明がない」という指摘があったらしくて、後になって概略次のような「弁明」を掲載している。「報道する側として妥当な出処進退をまず考えますが・・やめるかどうかの一点にだけ記事の焦点を絞ります。(中略)辞職と同時に政治生命を失い道義的・政治的責任もとったところでこの一件は幕になります」と述べ、さらには「一町民として平穏に暮らしていこうという時、ことさら細かいことまで報道しても意味がないと考えます」とまで言い切っている。

  ○…記者が他新聞を批判するのは、ある意味で「タブー」である。同じテーマの記事で応戦すればいいからである。しかしこの場合は新聞としての使命を著しくおとしめる主張がなされており、その「タブー」をあえて破らなければならないほど異常な考え方であると感じ、本稿に及んでいることを読者諸氏にはご了解願いたい。

 まず第1に、公人の立場にあったときの行為を問題にせず、なぜ「やめるかどうかの一点にだけ記事の焦点を絞」らなければならないのか、理由が全く理解できない。読者が指摘するように「背景説明」があっての「辞任報道」になるはずであり、結論だけが焦点化されても、読者は理解できないであろう。新聞が公人の「飲酒運転」という事実を覆い隠した上で「辞職」という結論を報道するのは、全く不可能なのである。

 第2に「一町民として平穏に暮らしていこうという時、ことさら細かいことまで報道しても意味がない」と本気で思っているとすれば、権力を監視し不正を防止する新聞の役割を放棄した表明となるだろう。この論法でいけば、公人の時の非行行為は、辞職して一町民に戻ればその事実を読者に知らせなくてもいいということになる。新聞としての役割を自ら否定する暴論であろう。

 第3に、飲酒運転を「ことさら細かいこと」と平然と断じ、それが議員という公人の時になされたことを不問に付すそのあきれた感覚は、太宰治が知ったら「新聞失格」を執筆させるのに十分な動機付けになるだろう。交通事故多発の折『交通非常事態宣言』が出された矢先の事件だったことを、この新聞が知らなかったわけではあるまい。もし事実を読者に知らせない新聞がこれぽっちの反省もなく開き直るならば、それは「自殺行為」に等しいことを知るべきだろう。

  ○…では事実はどうだったのか。「ことさら細かい」どころか、かなり悪質な内容だったのだ(飲酒運転に良質も悪質もないが)。比較の意味で私の新聞に載った論評を紹介し(抜粋)、このコラムを読まれる読者の判断にゆだねよう。「遺憾な事件と言うしかない。町議会議員が飲酒運転の末、自損事故を起こし職を辞した。ときあたかも『交通非常事態宣言』が出された矢先に当たり、公的立場の人の言動は一般人よりも影響力が大きいことを考えれば、辞職は当然のことだが・・(中略)元議員は福祉の専門家らしく、この分野で活発な発言を続けていただけに残念でならない。しかしまだ若く、これで政治生命が絶たれたわけでもない。心のどこかにおごり、たかぶりがあったとすれば、反省を深める絶好の機会を与えられたと思い、ここはしばし自己研鑽に励んで名誉挽回をはかってほしい」

  筆者のプロフィール=1958年岩手県生まれ.39歳。大学卒業後生協職員や家業の手伝いを経て、1996年から岩手の前沢町、衣川村を発行エリアとする「胆南新報」の記者。かたわら学習塾を主宰。
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