こちら編集室「雑談上手」(98・11・16)

  仕事場としている大曲市役所の記者室の机の上は国語辞典や漢和辞典、新聞用語の手引き、それになぜか聖書や小説、取材先でもらった名刺を入れる箱などもあっていつもごちゃごちゃになっている。まさに乱雑極まりない机なので恥ずかしいほどだ。新聞記者という仕事は資料や書類との戦いでもある。取材先から参考にもらってきた書類やリーフレット、ノートのメモ書きを見ながらワープロを打つ関係でどうしても紙くずが増える。原稿を書き上げたら即、処分したらいいのだが、後で困る書類もあってそう簡単に捨てることができない。それがもう30年近くもやってきたのだから、紙の資料、ノートはたまるばかりだ。

  机の上の乱雑さに見兼ねた妻が最近、ブックスタンドを買ってきて記者室の机の上を片づけた。何のことはない。ブックスタンドに本を挟めただけだが、ただそれだけで机のうえが見違えるようにすっきりした。ブックスタンドにあるのは「朝日新聞の用語の手引き」「朝日新聞の漢字用語辞典」「新選漢和辞典」「新明解国語辞典」「歴史手帳」「外来語・略語便覧」、そして聖書や「日本の名詩」「四字熟語辞典」に数冊の文庫本である。

  パソコンになってからはもっぱら言葉を調べる時は目の前の辞書を手にするよりもパソコン内蔵の「広辞苑」を利用することが多い。しかし、新聞で使っていいかどうかの漢字を調べる時は「新聞用語の手引き」は欠かせない。それにしてもクリスチャンでもないのになぜ「聖書」なんかをと読者はいぶかるかもしれないが、これも自分にとっては一つの読み物なのである。示唆に富んだ内容だから時々、目を通す。旧約聖書と新約聖書が一体となっている。

  そのブックスタンドの中にある「歴史手帳」。これもまた仕事には欠かせない。付録として入っている「世界史重要年表」や年代表、日本と中国の年号索引、さらには歴代天皇、歴代将軍の名前から江戸幕府大老、老中の名前、歴代総理大臣の名前も書かれているから歴史関係の記事を書くときは役立つのである。とにかく取材は一般の事件から縄文時代の土器や平安時代の遺跡、さらには郷土史、果ては文学、音楽、大相撲のこと、あるいは病気のこと選挙、政治、宗教、地震や台風、水害など自然災害、さらには最近、世間を騒がせている毒物の事まできりがない。その都度、関係の本や資料に目を通してある程度の知識を持たないと何を相手に聞いたらいいのか分からなくなってしまう。

  大新聞なら社会部、経済部、文化部、科学部と仕事も細分化し、専門の記者がいるからいいが、こちらのように地方の小さな新聞社では万屋(よろずや)そのものである。「歴史手帳」は平安時代や江戸時代の古文書などの取材に役立つ。困るのは音楽会や医学、土木建設現場での取材で使われる専門用語である。さらに最近ではパソコンやインターネットの専門用語も加わった。とにかくこのパソコンとインターネット関係は取材の中でももっともやっかいだ。年々、カタカナ用語に不慣れとなってきて、カタカナを見ただけで頭が汗をかきはじめ、うんざりしてくるからだ。

  新聞記者になってまず戸惑ったのがこの種々雑多な知識の吸収だった。田沢湖町の駒ヶ岳が噴火したのは1970年9月18日だった。駒ヶ岳の様子がおかしいとの情報が入って初めて山に登ったときは案内の営林署の人から「高山植物が蒸気で枯れてるんです。大変な量で」と言われた。チングルマ、コマクサ、イワギキョウ、ミヤマリンドウ、ハイマツなどと名前を挙げられたが、いずれも初めて聞いた草花の名前で頭の中ではどんな花なのか想像もつかない。それでも会社に帰ってから「駒ヶ岳噴火の可能性が高まる。高山植物、高熱の蒸気で全滅か?」などと言ったルポを書けと命じられる。

  チングルマってどんな花だ?、コマクサは?・・・。見たこともない花の名前をただ記事の中に羅列するわけにもいくまいと、迷った末に図書館に走って花の形や色を調べてようやく原稿用紙に向かった。

  それにしても駒ヶ岳は私たちが山へ入ってから一週間後に本当に噴火した。黒い岩の裂け目から白い蒸気がシュッシュッと音を立てて吹き出す様子を撮ろうと火傷しそうな熱さに必死に堪えてカメラを向けた。それから一週間後、噴火したとの連絡を受けた時、「もしあの時に噴火していたら今の自分はなかったな」と一緒に山に駆けつけた読売新聞の記者と後で話しながら身震いした。

  これもかなり前の事だが元横綱で前日本相撲協会理事長の出羽の海親方(元佐田山)が中仙町のお寺に江戸時代の巡業の途中で洪水で流され亡くなった同門の力士の墓があると聞いたと訪ねてきたことがある。大相撲の世界はさっぱり分からない。とにかく取材の第一は相手の心を解きほぐすことから始まる。親方の貫祿に押され、飲み込まれそうになったがとっさに浮かんだのが当時、角館町白岩出身でようやく十両入りした「白岩」がいることを思い出し、「親方。白岩はこの辺の出身ですが、将来性はどうでしょう」と尋ねた。ニッコリした出羽の海親方は「おう。白岩か。あいつは中々、いいセンスを持っている。けいこ次第でまだまだ伸びるだろう」と答えた。白岩のおかげで親方がなぜ秋田へ、しかも中仙町のお寺へ単独で訪ねてきたのかすらすらと質問することができた。残念ながらその白岩は十両から幕内へは上がれないままに終わったが・・・。

  取材はお年寄を相手にすることも多い。駆け出しのころはまだ20代である。その20代の若者が50代や60代の人たちと正面から向き合って話を聞くには、やはり戦争時代のことを知ってなければ相手にされない。戦争文学に飛びついて必死に本を読んだ。五味川純平の「人間の条件」や大岡昇平の「野火」、阿川弘之の「雲の墓標」、そして「レイテ戦記」「戦艦大和」など戦記物にも目を通し、共通の話題をつくった。酒の席で「俺たちが行った南方戦線は無残だった」との言葉でも出ればある程度は話に乗っていけた。新聞記者は雑談上手でなければいけないとは先輩記者の教えだった。