遣らずの雨という言葉がある。確か同じ題名で演歌にもなったはずだ。意味は「人を帰さないためであるかのように降ってくる雨」だ。会ってるだけで気持ちが高ぶり、それでいてもの悲しいほど心は燃え、いつまでも側にいて欲しいと願いながらも別れの時はジリジリと迫ってくる。「もうそろそろ行かなくては・・」。そんな時に激しく雨が降って、帰ろうとする男、あるいは女の足を引き止める。やはり演歌の世界だ。
過去に幾度かあった。喫茶店でコーヒーを共にするだけだったが、柔らかな唇から次から次へと泉のように湧いてくる言葉。その一つひとつを心に刻もうと、ひたすら耳を傾けていた。ただ、その人の声を聞いているだけで良かった。その人の黒い大きな瞳を見つめ、素敵な笑顔を見つめ、細い指先を見つめる。それだけで良かった。いつの間にか時間はあっと言う間に過ぎてしまい「もう行かなくては・・。また会えるからね」。そう言って、5歳上の女の人は別れていった。晩秋。空はいつも雨が降ったり、止んだりと落ち着かない季節だった。雨が降って、喫茶店の窓を濡らしていた。白と黒の水玉模様が鮮やかなコウモリを手にその人は外に出た。銀色の冷たい雨を見つめながら、一人残された寂しさを胸に抱いて、その人の後ろ姿を見送った。その姿が街角に消えるまでジッと見つめていた。「雨がもっと強くなって、あの人が再び帰ってくるのを祈りたい」。遣らずの雨。そんな気持ちにさせた人だった。
会っている時のときめきと充実感。恋に似た悲しみ。憧れに似たはかなさ。母のようにいたわりたいと思わせる人だった。手を握り、その手の温もりを忘れたくないと、両手で必死にさすった。「子どもみたいね」と言われれば、「そう。あなたの子どもでありたい」と甘い無理を言わせた。「困った人ね。あなたは・・・。これ以上、深い関係になってはいけないのよ」とも言った。もちろん、それで良かった。母のようにいたわりたいと思わせる人だったから。
なぜだったろうか。松山千春の歌が聞きたくなって珍しくCDを買った。店に入ってから戸惑った。何種類ものCDがある。何を買ったらいいのか。とにかく最新版をと「笑っていたい」の題名のものを手にした。車に入れて歌を聴いているうちになぜ今、松山千春の歌だったのか理由がやっと分かった。曲が流れ、9曲目に入ったら聴いたことのある哀しいメロディーが流れ出した。「たとえば 季節が姿を変えたなら 貴方は 私を忘れてしまう 貴方のことなら 誰よりわかってる私が 泣かない 泣けないことも さよなら 全ては 楽しい思い出 そのうち 笑って話せる日もくる さよなら 私も 誰かを愛して 貴方のことなど 忘れる日もくる」。
「さよなら」という歌だった。これだったんだと思った。テレビ朝日で、毎週木曜日夜に放映している「新撰組血風録」のテーマ曲だったのを何気なく聴いているうちに松山千春の歌を聴きたいとなったのだ。歌は男と女の世界があるから生まれる。別れがあるから歌ができる。出会いがあるから思い出が出来る。悲しくてもいい。泣いたっていい。人を好きになった時の悲しさとの出会いもまた、いい。
年上のその人とはそれからしばらく、コーヒーだけの交際は続いた。会うだけで、話を聞くだけで良かった。不思議なほど優しい気分になれた。年寄りの子として生まれ、育ったせいもあるかもしれない。小さいころから母を、自分は母と言うよりおばあさんというイメージで見つめてきた。そのせいかなぜか、母とは若く美しいものだという憧れがあった。その美しい母を大事にしたかった。その人はそばにいるだけでホッとさせる安心感をいつも与えた。その海のような深さに包まれているだけで良かった。
そんなことを彷彿(ほうふつ)しながら、ここ数日を過ごした。季節のせいかもしれない。雪が舞い、雨も降ってくる。落ち着かない空がこのところ続いている。数年前の恋に似た、憧れに似た悲しさと喜びの伴った思い出にひたっている。やらずの雨を見つめている。あの時、そんな雨が降っていたらもっと今ごろは悲しかったかもしれない。淡い恋であり、憧れであったから良かったのだ。妻がいても夫がいても、男と女に変わりはない。たまには異性に恋に似た、憧れに似た思いを寄せるのもいい。心ときめかせるのもいい。理性を失わない愛なら。
この秋田県南日々新聞を立ち上げて間もなく2年目になろうとしている。ホッとする気分になるのは「こちら編集室」をまとめた日である。じりじりした焦りがなくなる時は「表紙写真」を入れ換えた時である。取材をし、原稿を書き、記事を入れ換えるのは慣れたが、「こちら編集室」をそろそろ書き換えなければと思うとイライラが募る。そんな時はとんでもないことを書き出してしまう。普通の新聞なら絶対に許されないようなことまで。読者のみなさま。許されたい。これがこの新聞の個性だと思って寛恕(かんじょ)願いたい。魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが住み着いたような自分の心。時にはその甘さが自分でも持て余し気味にもなる。午後4時半。ワープロに向かってもう2時間半が過ぎた。迷作?を前に戸惑いと恥ずかしさを手にしている。