土門啓介さんの「北京リポート(2)」(98・11・26)

シルクロード紀行2
 ウルムチを出発し、高速道路で約2時間半、200キロの地点にシルクロードのオアシスであるトルファンはあります。ウルムチとトルファンの間は荒涼としたゴビ砂漠が広がり、時々川が流れているところに緑が広がるといった程度です。遠くには万年雪をかぶった天山山脈が見えます。トルファンはこの天山山脈の雪解け水が伏流水となって湧き出るところ、海抜マイナス100メートルの盆地に位置しています。ゴビ砂漠の中をまっすぐに伸びる高速道路を降りると、いきなり両側に高く伸びたポプラ並木が続く細い道に入ります。家々には干し葡萄を作るための小屋でしょうか、レンガとレンガの間に空間がある長方形の建物が隣り合わせています。細い道路には荷物を引かせたロバ車を操るウイグル族の農民が行き来をしている姿、家の前でくつろぐ老人や子供の姿が見えます。なぜか中国にいる気がしないところ、そして世界で一番海から
遠い盆地、トルファンとはそんなところです。
 
 

カレーズ
 
 広いゴビ砂漠を走っていると、時々こんもりとした小さな盛り土の井戸が所々に出現します。これこそ砂漠を灌漑するための地下水道とでもいいましょうか、カレーズです。天山山脈の雪解け水を地下のトンネルを通して引き込み、葡萄や飲料水、野菜等の栽培に使用する訳です。カレーズは1000年も前から利用されているとのことで、その本数は1100本(地下トンネル)、全長3000キロといいますし、年間降水量30ミリという厳暑の場所にあっては、カレーズこそトルファンの生命線ともいえるでしょう。暗いトンネルから流れ出てくる水はそれほど冷たくはないものの、この地にとって、そしてここで暮らす人々にとっては命の次ともいえる重みが感じられる水でした。
 
 

交河故城
 
  今回のトルファン訪問で一番楽しみにしていた一つが、この交河故城(こうがこじょう)です。ここは漢の時代に車師国という国があったところで、当時は政治の中心地でした。両側を河に挟まれた30メートルの高台になっています。元の時代には寂れ、人が住まなくなったことで、もちろん廃虚と化していますが、今でもレンガと土を合わせて作った唐代の建物が残り、その土の色と青空のコントラストが眩しく、廃虚という趣を一層際立たせている感がします。約350メートルの南北に伸びる大通りを歩いて北端の仏教寺院跡に向かいます。音はひとつもしません。廃虚はすべて大地を深く掘り下げ、半地下室のような状態で並んでいます。谷を挟んだ遠くには現在の人々が営みを続ける葡萄畑が広がり、人が住まなくなると街はこうも荒れるのかという思いを新たにします。
 
 仏像さえも残らない寺院廃虚を前にして、数千年前はここを多くの人が行き交った幻を見る気持ちでした。帰る際に足元に転がっていた小石をポケットに入れました。
 
 
 

火焔山
 
  火焔山はウイグル語で「キジルタグ」といい、紅い山という意味だそうです。この山はトルファンのシンボルといっても過言ではないでしょう。トルファン盆地の北側を長さ100キロ、幅10キロ、最高851メートルの連山が続いています。山肌は紅く草木が一本も生えていません。そして縦にいく筋もの切れ込みが走り、太陽の日差しを浴びて山全体が燃え上がったように見えます。
 
  孫悟空の話といえば「西遊記」ですが、それにも火焔山は登場しています。三蔵法師が孫悟空たちを連れて火焔山を通りかかった時に、山が燃え盛って通れず、地元の人の話を聞くと、仙人が持っている芭蕉扇であおがなければ火が消えないということ。そこで孫悟空が鉄扇公主という女仙人とその夫である牛魔王を苦心の末退治して、奪った扇で火を消すという話です。
 
 私が見たのは秋の火焔山ですが、夏は暑い空気が地面から蜃気楼のように立ち上り本当に燃え盛っているように見えるとのことです。この山に連なる山々の麓を蘭州から鉄道が走ってきますが、その風景がまた、辺境の地に来たなぁという思いを強くするような風景でした。

 
  そして私たちはこの火焔山の切れ目に車を進め、さらさらと流れる1本の川を下に眺めながら更に奥へと向かい、ベゼクリク千仏洞を目指しました。