酒井隼男さんのコラム(18)「失ったヒーロー」(98・12・7)

  今回は、僕の大好きなそしてヒーローである「彼」にまつわる話です。

  LIFE BIGINS AT 40
 12月8日といえば「太平洋戦争開戦の日」と覚えている方も多いに違いない。しかし私は「ヒーローを失った日」として永遠に記憶にとどめる。ジョン・レノンが1980年のこの日、ニューヨークの自宅前で狂信者に撃たれ永遠に旅立った。そのニュースを初めて耳にした日は、今でもはっきりと覚えている。ラジオから淡々と流れてくるアナウンサーの声をただ呆然と聞いていた。何故かその瞬間は、何も感情がわかなかった。いやすぐに理解できなかったというのが正確なところだろう。ものすごく大切な人を失った瞬間というのは、感情にも理性にも「空白」が生まれるのかも知れない。そして30分か1時間たった後に急に涙がこみ上げてきた。抑えることなど到底不可能なくらいに。

 ジョン・レノンは1940年、イギリスのリバプールに生まれた。船乗りの父親はその時行方知らずで、母親も仕事で彼を育てられなかったから叔母さんに育てられた。15歳のときにバンドを始め、間もなくポール・マッカートニーと出会いビートルズを結成して世界中を席巻する。66年に来日し、日本と初めて「接触」した。警戒厳重なホテルを抜け出したジョンは、日本の古美術品やレコードを買いあさっていく。「アイ・アム・ザ・ウオルラス(オレはセイウチ)」という曲のエンディングは「大漁唄込み」の「エンヤ〜ドット」というかけ声からヒントを得たという。

 翌年、彼の人生を180度変える一つの出会いがあった。知人の紹介である前衛アーチストの個展に出かけたジョンは、広い部屋の天井からルーペが吊り下がっているのに興味をひかれた。脚立に上って天井に貼ってある文字をルーペで覗いたら「YES」と書いてある。ジョンはその時「何かポジティブなメッセージを感じ」て、そのアーチストに関心を抱いた。そして二人は急速に接近していくのである。その前衛アーチストこそがオノ・ヨーコ(小野洋子)さんであった。

 ビートルズ解散前後からジョン&ヨーコは精力的に平和活動に取り組んでいく。有名なベッド・インや、袋に入って反戦を訴える「バギズム」といった奇抜な行動でマスコミの耳目を集めた。私がビートルズ及びジョン・レノンの存在を知るのがちょうどこの頃に当たっている。中学校入学祝いに買ってもらった2バンドラジオ(つまりAMとFM)が、自分にとって生涯のヒーローを紹介してくれたのだ。

 その後二人はアメリカに移住するが、ときのニクソン政権から警戒され、FBIがジョンの身辺を調査していた。しかしこれとたたかい、ついにグリーンカード(アメリカ永住権)を手にいれて本格的にニューヨークで活動することになる。その拠点がセントラルパークのすぐそばにある高級マンション・ダコタハウスであった。

 1994年秋、ニューヨークに降り立った私はその「聖地」を訪れた。世界のイスラム教徒がメッカを目指すがごとく、「レノン教」信者が集う地に。すっかりNYの観光名所になってしまったそこは、訪れる世界各地の人たちでせきも切らない。ヨーコ夫人が夫の思い出と自分の芸術活動の拠点として、今でも住んでいる。そしてもう一つ、ダコタハウスから歩いて7〜8分のセントラルパーク内にあるモニュメント=ストロベリー・フィールズへと、歩を進める。「IMAGINE」と刻まれているサークルの中には花束とメッセージが置かれ、絶えることがない。しばしあの涙が止まらなかった1980年12月8日にタイムスリップすることを、連れに許してもらった。

 考えてごらん、天国なんてないんだよ 
 そう思っちまえば簡単なことさ
 真下には地獄なんてのもない 見上げればただ空があるだけ
 考えてごらん、全ての人が今日をこうやって生きている
 考えてごらん、国がないことを
 やろうと思えば難しいことじゃないさ
 殺したり死ぬこともない 宗教だってないんだ
 考えてごらん、全ての人が今日をこうやって平和にいられる
 (中略)
 みんなは僕を「夢追い人」というかも知れない
 でも僕だけじゃないんだ
 いつの日か君たちも僕らの仲間になってくれるだろう
 そうすれば世界も一つになっていくのさ
 (「イマジン」より、訳;酒井)
 
 彼は40歳でこの世を去った。皮肉にも、亡くなる年に作った曲に「LIFE BIGINSAT 40」というタイトルがある。本当の人生は40歳から始まる。「ダブルファンタジー」というアルバムを発表し、世界へ向けて高らかに活動再開を宣言した。彼の中には創作意欲もエネルギーも、いっぱい一杯に満ち溢れていたのに違いない。そして私はついに今年、ジョンの年齢に追いついた。私の転機も40歳に訪れるのかも知れない。彼が生きられなかったこのあとの齢を有意義に、創造的に生き抜きたいと思う。

酒井隼男=筆者のプロフィール 1958年岩手県生まれ.39歳。大学卒業後生協職員や>家業の手伝いを経て、1996年から岩手の前沢町、衣川村を発行エリアとする「胆南新>報」の記者。現在はフリーライター。
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