土門啓介さんの「シルクロード紀行(3)」(98・12・18)

 荒涼としたゴビ砂漠や火焔山を眺め、その隙間に流れる川がオアシスとして人間が住める空間として存在していることを間に当たりにする
と、水は私達にとって本当に貴重な資源であることを感じさせてくれます。火焔山の隙間からその奥を目指して車は走ります。はるか断崖の下には天山の雪解け水でしょうか、一条の川が流れています。ふと視界が広がると、その山腹にベゼクリク千仏洞が見えました。



ベゼクリク千仏洞
 
 草一本生えていない断崖にポコポコと穴が空いたような平地が現れました。ここがベゼクリク千仏洞と呼ばれ、6世紀から14世紀まで栄華を誇った石窟の寺院です。説明によるとベゼクリクとはウイグル語で「装飾した家」という意味ですから、その昔は華麗な寺院だったのでしょう。しかし現在、往時の華やかな壁画や塑像は跡形もありません。14世紀までウイグル人は仏教を信仰していたのですが、その後イスラム教の侵攻に遭い、イスラム教の偶像崇拝否定の精神による破壊と西欧の探検隊による持ち出しによって、ほぼすべてが人為的に破壊されているのです。これらの壁画は修復も進みつつあるとのことですが、今となってはロシアのサンクトペテルブルク美術館や大英博物館などに行かなければ見ることができません。貴重な文化遺産が宗教の違いなどによって灰塵に帰す怖さを感じました。


高昌故城
 
 千仏洞を後にし再びゴビ砂漠へと戻ると、車は反対側へ向かって進みます。先日洪水があったという小川を越え、とある町に入るとはずれに大きな土の城壁が見えてきました。高昌故城(こうしょうこじょう)です。高昌故城も前回の交河故城と同様、土の壁で作られた広大な城です。ここは魏の時代から元の時代まで1000年にわたって栄えた都でした。当時の栄華を伝えるものはその広大さだけでしょうか、城内は広く、中心部まで5キロほどあるとのことでしたので、ロバに引かれた車に乗り、ゆらゆらと向かいます。風化しつつある城壁、住宅跡を眺めると、沈んでいく夕陽に照らされた廃虚のたたずまいが一層際立って目に飛び込んできます。日本でもおなじみの玄奘三蔵が天竺へ向かう途中、国王の懇願を受けここで1ヶ月間般若経を講義し、帰りにもぜひ寄って講義をしてほしいという約束を守り、天竺から戻ってきた時には既に滅亡したあと、城も廃虚と化して誰もいなかったというのは有名な話です。宮殿跡で下車し、しばらく王国の余韻に触れたのち、再びロバに引かれて戻る際に、ウイグル族の老人でしょうか、廃虚の中で夕陽に照らされ、ロバの背に干し草を載せている姿が印象的でした。


アスターナ古墳
 
 高昌故城からの帰り道、夕暮れの賑やかな先ほどの町を抜けて右手に少し入ると、大きな土饅頭が重なる広い広場に到着しました。アスターナ古墳です。ここは高昌国貴族の地下墓ということで、ミイラはもとより漢や唐代の織物、農作物、薬など貴重な文物が発掘されています。現在は2つの墓が公開されているのみですし、未発掘の墓も多数あるとのことですので今後の大発見に期待したい遺跡でした。あたりがすっかり暗くなった古墳の中に立ち周囲を見回すと、いくつもの古墳が続いています。その下に今も1000年以上前のミイラが眠っているかと思うと不思議な気持ちになると同時に少し恐い感じを受けました。


 
 このほか、トルファンには葡萄をメインにした観光園である「葡萄溝」やイスラム教のお寺(清真寺)で古い煉瓦造りの搭がそびえる「蘇公搭」などがあります。真夏には地表温度が50度以上に達する灼熱の地ですが、そこではウイグル族の住民が昔からの知恵や伝統を守って生きていました。再び地平線に伸びる高速をひた走り、飛行機で4時間、北緯40度の北京空港に降り立つとすでに秋の空気が一層冷たくなって私を出迎えてくれました。