映画「プライベート・ライアン」を観た。第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に終止符を打つきっかけとなった連合軍のフランス「ノルマンデー上陸作戦」を舞台にした戦争映画である。率直な感想を述べれば、観ている自分たちでさえもが戦場に引きずり込まれてしまったような錯覚と恐怖感に包まれ、全身の筋肉が硬直した。スティーブン・スピルバーグ監督はまた「すごい」映画を世に送ったものだ。
バタバタと兵士が死ぬ。上陸する前の海の中で。砂浜でもバタバタと兵士が死ぬ。海は兵士たちの血で真っ赤に染まり、海岸は死屍累々となる。機関銃の弾ける音。大砲の炸裂音。狂ったような叫び声。腕が千切れ、血まみれとなった腕が砂浜に鈍い音を立てて落ちる。落ちた自分の腕を拾ってさまよう兵士もいた。はらわたを露出して苦しむ兵士の姿もあった。血まみれになった胸、手、足。頭を銃弾が貫通するシーンまでもあった。もがき苦しむ中で「ママー。ママー」と救い求めて息を引き取る兵士の姿もあった。見境もなく撃たれ、倒れる兵士たち。目も当てられない阿鼻叫喚の戦闘シーンが続いた。
戦争映画と言えばベトナム戦争を捉えた「地獄の黙示録」があり、「プラトーン」が有名だ。両作品も戦場に置かれた人間心理の異常さを映像化したものとして高く評価されている。しかし、今回の「プライベート・ライアン」はそれをもはるかに乗り越えてしまった。スピルバーグ監督は映画を通じて「本物の戦争とはこのようなものだ」と観るものに「反戦」の心をも芽生えさせたかったのかもしれない。徹底的なほどリアルに戦場を再現し、カメラがそれを追う。生死を分かつものはただ「運」しかない。
上官も部下も灼熱した鉄の玉が行き交う前ではまったく無力な裸の人間である。炸裂する爆弾、機関銃は兵士の肉体をえぐり、肉の塊(かたまり)とさせるだけだということを映像で嫌というほど見せようとしたのだろう。それはまさに戦争写真家として一世を風靡したロバート・キャパが、上陸しようとする兵士たちの中に紛れて捉えた「ノルマンディ上陸作戦」の手ブレを起こしたままでシャッターを押したあの有名な写真のリアリズムをも超越した映像でもあった。
名前は忘れたがある哲学者の著書に「石つぶてで争っていた古代の戦争は人間と人間の戦いであったが、近代戦は神の領域を侵してしまった」との文があったのを記憶している。そうかもしれない。見境なく、しかも、大量に殺りくするのが戦争であり、そのための兵器が次々と開発されてきた。その結果が原子爆弾であり、水爆だ。それでも当時の戦争は、相手の顔を見ての戦いでもあった。しかし、最近の湾岸戦争では対峙国の相手さえもみることなく、ミサイルを打ち込んで大量に破壊し、大量に命を奪う。まさに神の領域を侵してしまった戦争となっている。
それにしてもアメリカの人たちは映画をつくる技術、発想がすごい。「タイタニック」でもそうだった。「プラトーン」でもそうだった。「シンドラーのリスト」でもそうだった。愛することの美しさを教え、人と人とが戦うことの虚しさと残酷さを教えた。今度の映画もそうだった。3人兄弟のうち2人の兄が戦死した事を知った軍首脳部が、ライアン家の血筋を絶やさないためにも「残る一人をなんとしても戦場から救い出せ」と命令を出す。それを受けて戦場の奥深くへと乗り込む8人の兵士たち。ドイツ兵と命懸けの戦いを乗り越え、仲間の死を見つめ、ようやく探し当てることが出来た「ライアン二等兵」。
しかし、そこも激しい戦場だった。「おれたちは君を祖国に連れていくために来た」と告げるジョン・ミラー大尉(トム・ハンクス)。「君の二人の兄は残念だが戦死した。祖国で待っているたった一人の母のもとへ連れて帰るのがおれたちの任務だ」とも言う。しかし、ライアン二等兵もいい。「ここで戦っている仲間もおれにとっては兄弟だ。兄弟を見捨てて、自分だけが助かるわけにはいかない」。心打たれるこのセリフがいい。そのライアンに同調してミラー大尉とその部下たちも、そのまま戦場に残り、迫り来るドイツ軍の戦車と戦い、そして死ぬ。戦場という所には主人公もなにもない。ただ、運が生死を分けるだけだ。スピルバーグ監督は冷静に戦争というものを見つめ、主人公をも壮絶な死に追いやる。ライアン二等兵にミラー大尉が残した言葉もまた良かった。「これからの人生をしっかり生きろ」。
映画を観たのは日曜日だった。大曲市にあるたった一つの映画館。映画斜陽化の中で、県南のたった一つの映画館として「月岡シネマ」は2つのスクリーンを持って映画上映に励んでいる。映画を観に行くのは年に一度あるかないかだが、評判の映画が上映されると言えば足を運びたくなってしまう。幸い妻も映画好きだ。日曜日は朝から激しい吹雪に襲われ、事故を心配した妻は「次の日曜日にしたら」と心配した。しかし、統一地方選が近づいてきている。「おれにはこれから選挙取材で日曜日もしばらくないかもしれない」と説得して出かけた。
映画館では社長の築地真吾さんが嬉しそうに出迎えてくれた。「伊藤さん。少しですがサービスさせてもらいました」。お客さんが少なくなるばかりなのに入場券の「値引き」とはと心苦しかったが、とてもすがすがしい気分で映画を楽しめた。人間はちょっとした気遣い、思いやりで心底、嬉しくなるものだ。「真吾さん。いい映画、本当にありがとう。これからも頑張って下さい」。映画に感動し、築地さんの心遣いに感謝し、映画館を後にした。
そして翌朝。記者室に入ってまた嬉しいことが一つあった。何気なくカレンダーを目にしたら、カレンダーまでが「3月 4月」の新しいものに入れ代わっていた。以前は市の女子職員が記者室の新聞を綴じてくれていたのだが、持ってきてくれる時間がまちまちのため仕事上、不便このうえない上に、無表情のまま、無言で入ってきて無言で部屋を出ていく冷たさに閉口していた。
このため、庁内の清掃を担当している掃除会社のおばさんに「新聞綴じ」を依頼した。快く引き受けてくれたおばさんたちは掃除のつど、灰皿もきれいに洗ってくれる。
朝の新聞綴じ、掃除。そんな面倒を掛けていることから少しでも感謝を込めたいと、おばさんたちの休憩時間のおやつにでもなればと駄菓子を届けた。しかも、今度は月が変わったからと、カレンダーまでめくってくれる気遣い。その優しさ。嬉しかった。再び、売店に駆けつけ「こんなことがあったんだ」と売店の女の子に喜びを報告しながら駄菓子を買った。心尽くしには心尽くしでお返ししたい。カレンダーは計量メーカーの「タニタ」が商品紹介記事のお礼にと送ってくれた「ミス日本ミスフォトジュニック」の美人さんたちの写真である。読者の方々、記者室を訪ねる機会があったらぜひ、楽しんでもらいたい。