第1回農業科学館作文コンテスト

最優秀作品から(3月6日)

 県立農業科学館では県内小・中・高校生を対象に「農業」に関する作文を2月に募集し、3月1日に最優秀賞及び優秀賞を選びました。今後は応募された作文を文集としてまとめ、応募のあった各校に送ることになります。本紙ではその中ら、最優秀賞に輝いた作文3点をここに掲載します。コメの自由化、後継者問題、減反など数多くの問題を抱えている農業ですが、将来を担う児童・生徒たちが「自分たちの生活と農業」についてどのように考えているか。読んでみるだけでも力づけられる内容です。

◇「農業っていいよなあ」

   北神小学校6年  竹原  みなみ(神岡町)

  私は農業が大好き。将来の夢は、家族全員で大農場を経営することです。私の家は専業農家。お米を主に、野菜もたくさん作っています。夏休みには、スイカやメロンの収穫を手伝ったり、お母さんと野菜直売所についたりしています。私の好きな手伝いは、稲刈りです。なぜかというと収穫の喜びがあるからです。稲刈りの時期は、特に楽しそうに、どんな仕事でも軽々こなしているようにみえます。お父さんは、かっこういいつなぎを着て大きなコンバインをおもちゃのように操縦します。私も早く免許を取って、お父さんのコンバインより大きな機械を自由に動かせるようになりたいです。

  おじいちゃんとおばあちゃんは農業の大先輩です。おじいちゃんは三十キログラムのお米を軽々もてる、すごい筋肉万マンです。おばあちゃんは、早起きして山の畠でアスパラなど野菜をきれいに収穫する、頑張りマンです。二人で仲良く働く姿にあこがれています。

  牛も二頭飼っています。平成八年に、双子の牛が生まれてから、畜産にも興味を持つようになりました。子牛ようのチュウーチュウーバケツでミルクを飲ませて、みるみるうちに大きくなりました。本当にあっという間の十ヶ月でした。生まれたときのようすを名前にしました。小さな子牛が「チビ太」、元気な子牛が「元太」と名づけました。私は牛と会話はできないけど、私が牛に話をすると、答えが返ってくるような感じでした。悩み事があったりすると、牛小屋に行って、なぐさめてもらっているようなときもありました。私は、牛たちから、命の大切さ、命の尊さ、別れるつらさを教わりました。今は、動物大好き人間になりました。去年の四月は、牛の出産を初めて目にしました。感動的でした。
この牛にも「勘太」という名前をつけました。元気にすくすく育ちました。将来は、せまい小屋ではなく、広い草地で牛を運動させ、おおきな牛舎で牛を育て、畜産にもかかわりたいです。  私の住んでいるところは「八石(はちこく)」といいます。家の前を流れるせきには、魚がたくさんいて、夏にはいっぱい蛍があつまりとてもきれいです。八石山に行くと、カモシカ、ウサギ、リスなどにも出会えます。ワラビやゼンマイなどの山菜もたくさんあり、風景を見ながら山菜を採ると、とてもいい気持ちになります。私は、こんな田舎に住むことが好きです。

  家では東京から修学旅行でくる中学生を受け入れています。来た中学生も、楽しそうに仕事をしています。受け入れる私も、お姉さんやお兄さんと遊べるので楽しいです。そして夜は、やっぱり自然の虫の声や星の美しさに感動していました。私たちは、そんな自然の美しい所に、あたりまえのように暮らしていて、東京の人たちが、「うわーすごい。きれい。」とか、いっているのを聞いて、初めてきづきました。すごい、貴重な所に住んでいるんだなと。だから、都会のもっと多くの人たちに自然がいっぱいの中で農業をすることの良さを知ってほしいと思いました。

  私は農業のことをもっと知りたいので、大人になったら、いろいろな国に勉強に行ってまわりたいです。特に行きたい国は、アメリカ、ドイツです。ドイツに興味を持ったのはお母さんが農業研修で行った国だからです。お母さんの話や写真を見ると、農業が進んでいて、景色がすごくきれいなのです。色々なくにの良い所は取り入れて、それを自分なりに工夫して、いい農業にしていきたいと思います。

  私のめざしている農業は、食べてもらう人に、新鮮でおいしい野菜やお米を自分で届け、その人達にも農業の体験をしてもらうことです。そのためには、どんな難しい作業でも、軽々こなす「竹原農園」建設計画。たくさんの野菜を選別することができる巨大な小屋、きれいな花々が年中咲いていて、コンピューター制御の大きなハウス。そして、大きな牛舎。家の周りにはおしい実のなる木をたくさん植えたいと重います。小屋の隣には、事務所と休けい場を合体させたログハウスも建てる予定です。今から将来の楽しい農業が頭に浮かんでいます。勉強やスポーツを頑張って将来の農業に備えたいです。そした、家族全員でニコニコと農業を楽しむことができたらいいなと思います。いつも感じます。
  「農業っていいよなぁ。」

◇「土と共に生きる」

     羽後中学校2年  斉藤  優子(羽後町)

  先日新聞を見て私はとてもがっかりしました。私をがっかりさせた記事というのは、所沢市のホウレンソウは汚染されていない、というものです。記事の横には、やや怒った表情の農家がホウレンソウを販売している写真が載っていました。マスコミの影響力は大きいと思います。私の住んでいる片田舎のスーパーでさえ「所沢産の野菜は取り扱っていません。」と入り口に貼られていました。テレビ会社では何の記なしに放送したかもしれませんが、埼玉県の農家の人達にとっては大打撃だったに違いありません。それがいくら間違いでもマスコミがその被害を保障してくれません。以前父が「農業で一番怖いのは天候だ。」とはなしてくれたのを覚えています。ですが、現在の情報化社会では、埼玉県の農家の人達が受けるような災害もあるのだな、と改めて感じました。それと、同時にこれがきっかけで農業から離れる人がいなければいいな、とも思います。

  農業は、最近経営する人が少なくなってきています。私の家は農業と酪農を経営しています。そのため、両親は一年中忙しく働いています。そんな両親を見て育った私は父母の手伝いを幼い頃から自然とすうようになりました。低学年の頃は畑にいる父母の伝言をすることから始め、そして、高学年の頃には、田植えの手伝いが出きるようになりました。自分が植えた稲の苗が五月の風に気持ちよく揺れているのを見るととても、うれしい気持ちになりました。その他にも、畑で収穫を手伝ったり箱詰めを手伝ったりしました。そのとき、何かを手伝ったり、造ったりするのは、こんなにも楽しい気持ちになれることに気がつきました。

 しかし、中学校に入学すると、部活動の方が忙しくなり、前のように両親に手伝うことができなくなってしましました。両親は、「それは仕方ないことだから、おめは学校のことを一生懸命やれ。」と言ってくれました。でも作業で疲れている両親を見て黙っていることができず、せめて気持ちだけでも伝えたいと思い、今は肩もみをしています。直接、農作業を手伝えなくても、こうして母の肩をもみほぐすことによって、働くことの厳しさを知ることができたような気がします。

 しかし、農作業は厳しいだけのものではありません。それは同時に収穫の喜びも私に教えてくれます。夏、私が一番好きな季節です。夏休みに入りますが、のんびりしてはいられません。というのもスイカの出荷が始まるからです。夏の日差しをいっぱい受けたスイカは、甘さを十分に貯え、丸々と太っています。そのスイカをひとつひとつ丹念に収穫し、磨きます。そして、大きさ別のシールを貼ります。このシールを貼る瞬間も好きです。今までの努力が実を結んで立派なかたちになったという、なんともいえない喜びが私を満たしてくれます。そして、あのひょろっとした苗からよくここまで育ったものだという自然の不思議さも感じることができる瞬間でもあります。

 冬は、農作業がない代わりに、酪農の大変さを感じさせます。私の家では乳牛を飼っているので、朝夕の乳しぼり、三食の餌、掃除など限りがありません。それでも牛の目を見ると、とても優しい気持ちになれるから不思議です。特に子牛が生まれた時はかわいくてしかたがありません。親におっぱいをもらっている姿を見ると「みんな同じだな。」とつくづく感じます。

 小学校の頃「ゆずり葉」という詩を習いましたが、農作業や酪農の手伝いの経験から、生命は次の世代へ一生懸命、命のリレーをしているんだなと感じます。だからこそ、命を感動させる力を持っているのだと思います。私は、農業を誇りの持てる職業だと思っています。しかし、今はコメの自由化や後継者問題などいろいろな問題を抱えています。しかし、だからといって簡単にあきらめてしまっても良い物なのでしょうか。今の若者たちがどう感じているかは別でしょうが、秋田の人は農業を誇りに思った方が良いと思います。また、せめて秋田の人はそう思ってほしいと思います。

  土は生きています。私たちの祖先が汗水を流して作った土地をその歴史を大事に考え受け継いでいくのが本当だと思います。今の時代には古い考えだと笑う人もいるかもしれません。しかし、私はみんなに農業のすばらしさをわかってもらい、その輪が広がっていくのを願わずにはいられません。ずっしりとした黒い土は、命をふきこむ力を持つと同時に歴史を刻ませる大事な役割も持っているのではないでしょうか。
 

◇「美しい日本農業に誇りを」

   金足農業高等学校2年  白山  尚人(秋田市)

  私の住んでいる秋田市仁井田は、雄物川を隔てた市街地の南部に位置し、東部には約三百五十ヘクタールの水田地帯が広がっています。江戸時代には、約五キロメートル離れた雄物川支流の岩見川を水源として、引水工事が行われました。そこに、開墾されてできた水田や畑は約五百ヘクタールの広さがありました。しかし、今は、宅地化が急速に進み、振興住宅地が増え、水田や畑地が宅地に転用されました。

  この地域の農家は、大部分が兼業農家で占めています。そのような近隣の兼業農家が、農地を手放しているのに私の祖父は、会社員の傍ら、水田の作付け面積約2ヘクタールの稲作経営をおこなっています。私は幼い頃より、そんな祖父の姿を見て、農業に対し、関心を抱きました。そして、将来は農業に関する仕事に就きたいと考え、金足農業高校に進学しました。

今、私は農業について、農業土木の分野から勉強しています。農業生産性の向上に加え農村の生活環境の向上を目的とする、国土の利用と保全、自然環境の保持と言った、農業と農村の生活環境整備などについて学んでいます。

  現在農業は、減反政策による水田の作付け面積の減少、食料の多様化による食生活の変化、食料品の内外価格差の問題などといった様々な問題を抱えています。このように、不安定な経済事情で、我が家のように小規模農家が稲作経営を行い、安定した収益を得ることができずにいます。それでも、この厳しい状況で祖父が仕事の合間を見ながら、一生懸命に、汗水を流し、忙しいながらも農業に取り組んでいます。

  我が家では、春の田植えと秋の稲刈りの時は、家族総出で全員が協力して、農作業を手伝います。これは、一種の我が家の家族行事です。私も農業をいろいろな角度から勉強してみたい、農作業を多く体験してみたいといった思いで、このときとばかりに、作業服に身をまとい、はりきって手伝っています。私は、力仕事には自信があります。段々、仕事にも慣れてきました。しかし、時にはなれない手つきで、足でまといになりながらも、一生懸命仕事を行っています。そして、祖父一人で、朝と夕、天候に左右されるわけでもなく、生育管理や水の管理などといった作業をおこなっています。田圃の方には、いつも我が子でも育てているかのように一日も欠かさず顔をのぞかせています。そんな、祖父の姿を見てふと思い描くことがあります。それは、水田の四季折々の風景です。

  稲作農家の春というと、代掻き、くろぬりなど田植えの準備。春暖を迎え、水田には水を張り、所々に雲が見える青空のもと、その光の変化により大地が転々と輝きは始めます。四月に種もみまきをしてから約一ヶ月、青々とした苗が何となく勇ましく見え始めた頃、田植えが始まります。そして、田植えの最盛期が過ぎると梅雨、たっぷりな生命の泉を茎や根に供給します。すると、ずしりとした鮮やかな緑色に茎や根が成長し、強い日差しが照りつける猛暑の夏が到来します。日中の農作業が一番辛く、苦しい時期です。そして、秋、黄金色の稲穂が、風にさらさらとなびき、秋の大地が輝き始めます。紅葉が始まる頃、豊かに実った稲穂が重たく揺れ始め、稲作農家は最後の収穫作業にいそしみます。

 そんなある日、田んぼで手伝っているときに、祖父に「農業やってみないか。」と尋ねられたときがあります。最初は、驚きを感じましたが、私自身農業をやりたいといった強い意志を持って手伝いをしている訳でもありませんでした。しかし、その言葉を聞き、自分の高校卒業後の進路について真剣に考えさせられました。「家でやっている小規模な農業をやっても収益が少ないのになぜ続けるのか。」と祖父に聞いたことがあります。そしたら、しみじみと、「田んぼを見ていると、気持ちが落ち着くんだ。」それが祖父の答えでした。たしかに、そんな光景をこれまで私は、何気なく眺めていました。

 しかし、祖父のそのような言葉を聞き、農業に対し、意識を抱き始めてから、見方が変わりました。水田の稲の成長過程、森や小川などは季節感を漂わせる色どりに移り変わるなど、趣を感じるようになりました。米作りにも、人間と同じように、たくさんの豊かな表情があるということも知りました。田んぼの景色というのは、人間が力を集結して造ったものです。他にも畑、森、林、小川などすべてに先祖代々の歴史があるということに気づきました。ごく当たり前、田んぼや畑があって、秋にはそこから作物が穫れる。その田んぼや畑の景色の裏には、何百年も、何千年も農作業を繰り返し、農家の人達が自然と格闘しながら暮らすうちに、できた景色だということを祖父の言葉から教えられました。

  経済・科学の発展に伴い、農地が宅地または、商業用地・工業用地への転用に拡大しています。一度壊したものを、元に戻そうとすると、経費と時間がかかりなかなか元通りには戻りません。私の住んでいる仁井田の広大な田園風景と農作業の光景の美しさを誇りに思っています。そのような地域の文化や伝統を私たちが次世代に引き継いでいかなければなりません。ゆとり、やすらぎ、うるおいといった、生命の空間を大切にしていきたいと考えます。そのためにも、これから農業土木の知識や技術をさらに深め、豊かな自然、農業と農村地域を保全することを目的とした職業につきたいと考えています。そして、祖父の農業に対してのこだわり、力強く、たくましい真っ黒な顔、指先の太い節にごつごつした手、そんな祖父の姿、生き方を尊敬し、祖父を目標として、これからの日本農業の発展のために生きていきたいと思います。