こちら編集室「びっくりしたいのです」(3月12日)

  「びっくりしたいというのが僕の願いなんです。不思議なる宇宙を驚きたいという願いです」。こう言ったのは確か国木田独歩だった。毎日、太陽を見る、毎夜、星を仰ぐ。その不思議なる天地も一向に不思議でなくなる。生も死も、宇宙万般の現象も日常茶番となってしまう。そんなことではいけない。日常生活にマヒしてはいけない。常に新鮮な目で「おどろき」の感覚でモノを見据える気持ちを持てということだろう。独歩はさらに言う。「僕は人間を2種に区別したい。曰く驚く人。曰く平気な人・・・」と。

  新聞記者になりたてのころかつては国会での取材も経験したことがあるという大先輩から、「新聞記者にとって大事なことは当たり前のことを当たり前と受け止めず、その話しはニュースになるかならないか、判断する能力を常に磨いておかなければいけない」と諭された事がある。独歩がいう「びっくりしたいというのが僕の願いなんです」と同じようになぜ太陽が東から上り、西に沈むのか。なぜ月も太陽と同じような軌跡を歩んで西に沈むのか。なぜ人は生まれ、人は死ぬのか。なぜ海は波立つのか。なぜ星は輝くのか。生まれたときから見ている太陽や星、天地を当たり前の事として見過ごさず、その存在の不思議さに驚き、そして考えよということだろう。

  常に驚くという感覚の持ち主と、何が起きても平気のへいざと決めつけてしまう人間。僕はどっちだろう。大先輩からの教示を大事に「驚くこと」、「なぜなんだ」と悲しむこと、嬉しいことがあれば感情の赴くままに喜び、はしゃぐことを大事にしてきた。雪解け間近な山の美しい光景を見れば、それに感動し、カメラを向けることを忘れなかった。春の山を歩いて、カタクリの群生地を発見した時は、新聞社を退職し、家にこもりがちだった初老の元記者宅を訪ね、「山の春を味わいに行きませんか」と声をかけて連れ出し、草花の美しさを一緒に堪能した。事故で妻子を失い、悲しみのどん底に突き落とされた男性の取材には一緒に泣いて、悲しみを共にし、男性の肩を抱いて納得するまで話を聞いた。偽善家かもしれないが、流した涙は本物だった。男性は泣き泣き、「あんたのために写真を提供しよう」と亡くなった家族の大事な写真を貸し出してくれた。

  当時、交通事故や労災で、あるいは何かの事故や事件で亡くなった人があれば記者たちは、その家族の家か近所の人や親類へ駆けつけ、「写真を貸してもらえませんか」と当然の権利のように要求することが多かった。その写真を手に入れるのも記者の一つの手腕として高く評価されていた。しかし、悲しみのどん底に突き落とされている家族の家へ上がり込んで、「写真を貸して」と言い出せる勇気は中々、沸いて来なかった。時間はかかるが、家族を亡くした遺族の悲しみに真剣に耳を傾け、その悲しみを共にすることに努めることにした。写真も無理強いするのは避けた。今もそう思っている。新聞に亡くなった方の写真は出来るなら掲載はしたくないと。

  初冬。市役所の駐車場で、みぞれにうたれ、濡れ鼠になって地べたに座り込んでいたおじいさんを二階から見つけた。だれかがその側を通りながらも見て見ぬふりをして去っていく。その中には市の職員もいた。いたたまれなくなって階段を駆け降り、おじいさんに声をかけた。衣類はボロボロ。手も顔もあかで汚れきっていた。キタナイ。恐いほど汚かった。一瞬、たじろいだ。だれもが側に寄りたくないという気持ちが分かった。たじろいだが、見過ごしてはいられない。「おじいさん。どうした?」。声をかけた。聞き取れないほど小さな声で「疲れて休んでた」と言う。

  大急ぎで引き返して、市役所に車の手配を頼んだ。当時の水道局の局長が「うちの課から出しましょう」とワゴン車を手配してくれた。一緒におじいさんの所に駆けつけたら、局長の知り合いらしく、「おーや。おじいちゃん。なんでこんなとこに」とびっくりしながら肩を抱いて庁内まで連れて行き、手配した車に一緒に乗っていってくれた。嬉しかった。寄りつき難い雰囲気を持っていた当時の局長にもこんな優しさがあった。その思い出だけを残して局長は昨年、市を定年で退職した。

  昨年暮れ、一人暮らしの老人宅の家の屋根の補修をボランティアでするという技術専門校の生徒たちの取材に出かけた。補修するという屋根は生徒たちが屋根に上がっただけでたわむほどで、見るも無残なほど傷んでいた。屋根を支える骨木が腐敗しているのだ。技術指導のため同行していた先生たちに「あれじゃこの冬の雪でつぶれかねないじゃないですか」と尋ねた。「そうかもしれないね。雪下ろしをひんぱんにやるよりほかにないでしょう」とのことだった。だれがそれをするのか。80歳を超えたおばあさん一人である。

  市役所に戻ってからたまたま出会った高橋市長にそのおばあさんの家を報告した。市長は「それは放っておけないね」とすぐに職員に手配を指示した。その後、市福祉事務所から特別なケースだが、屋根の補修費を市でまかなったとの報告を受けた。おばあさん宅の屋根の事情は同事務所でも前から把握していたようだ。法的にしかものを見ない習性の公務員には無理かもしれないが、市長やこちらから言われる前に何とか救いの手を差し伸べる優しさがあっても良かったのではないかと今も思っている。それこそ独歩の言う「曰く驚く人。曰く平気な人」の2種類の人間の後者であってはいけないのである。

  数日前、角館町役場に勤務している昔の写真仲間からメールが初めて届いた。「ここ数ヶ月、ケンニチをトップページに持ってきて見てます。最初は、写真を気にして観てましたが、最近は『こちら編集室』が楽しみです。それにしてもアクセス件数多いですね。びっくりしてます。ちょっと気取った美文的な文章、伊藤さんらしいですね。『こちら編集室』の『愛のかたち』、キザッぽい文章だなと思いながらもついつい、深みにはまるように全部読んでしまいました」。

  角館町役場の「地域情報事業推進室」に勤務する藤木春悦さんである。2年前の秋、角館町の祭典の取材で出会ったときはインターネットはやってないとの話だっただけに、このメールは嬉しかった。
 
 「こちら編集室」。これを始めるきっかけとなったのは、「インターネット新聞」を持つというなら、読者に単なるニュースを流すだけでなく、編集者の顔とも言える「心」のうちも分かる新聞にしようと思ったからだ。記者の喜び、悲しみ、孤独、恥ずかしいことだが経済的な面でも悩みを打ち明け、読者と一緒に歩くインターネット新聞であろうとした。新聞社の顔は「社説」とも言われるが、堅苦しい話よりも自分の心を開いて見せようとした。その藤木さんを訪ねた。こちら編集室の中の気に入った文章をファイルに綴じて保存していてくれた。嬉しかった。「びっくりしたいというのが僕の願いなんです」。国木田独歩のこの言葉が頭をよぎった。その願いを自分のものとして「感動する」という気持ちを大事にこれからも読者と共に歩みたい。藤木さんのメールが新たな感動を与え、角館町への取材となった。