こちら編集室「不良品の販売」(3月19日)

  もう買うまい。そう決心した。デジタルカメラ用のアルカリ乾電池である。今月に入って電池トラブルに何度も巻き込まれてしまった。買ったばかりの電池なのにシャッターを数回、押しただけで電池の容量がすぐになくなってしまうのである。捨てた電池は40本以上にもなる。

  パソコンとカメラを接続して作業を始めようとしたらデジカメ用のソフトが「電池容量が少なくなった」と警告を示す。「あれ、昨日、入れ替えたばかりなのに・・・」。頭の中でブツブツ文句を言いながら渋々、電池を交換した。しかし、それから数時間後に再び電池がないのかシャッターが反応しない。おかしい、おかしいと首を傾げ、カメラが故障したのだろうかとカメラを疑った。知人も「伊藤さんのデジカメの使い方はハードですからね」と、やはりカメラが壊れかかって電池の容量を食うようになったのだろうとの口ぶりだった。確かにカメラを使う回数は普通の人に比べたら数倍、いや数十倍の単位でシャッターを押し、パソコンに接続しているだろう。

  結局、このトラブルで大曲市内の大手家電販売店から買った12本一組で1080円や8本一組で880円と言った電池は朝に交換して夕べには投げ捨てと言う繰り返しとなり、燃えないゴミ用の袋は電池だらけとなってしまった。県南日々用にとオリンパスのカメラを用意してくれたコンピューターサービス会社の松戸市コンピューターサービスも心配して「保証書とカメラをお持ち下さい。メーカーに送ってみますから」と修理の手配までしてくれた。

  とにかくナショナルの36本の電池は3日足らずで投げ捨てとなった。仕方がない。近くの個人経営のカメラ店で間に合わせにと電池8本を購入し、その日午前中の仕事を済ませた。午後、六郷町の取材があり、車に乗る前にカメラの電池をチェックした。朝に入れた電池はもう使えなくなっているだろうと思って。だが、カメラからは電池が十分、ありますよとの“元気”な信号が送られてきた。「あれっ。まだ持ってるんだ」。この段階でもまだ電池は疑わず、カメラが悪いとばかり思い込んでいた。だが、その電池は次の日もまた次の日も元気に電流を送り出し、写真撮影にこたえてくれた。パソコンとの接続は交流電気を使うが、交流を使ってもカメラ内の単三電池の力がないと作動しない。ところが4日経ってもカメラはパソコンと仲良く付き合ってくれた。

  ここでやっと気が付いた。電池が悪かったのである。電池に原因があったのである。

  県南日々は正直言って“ふところ”は苦しい。単三のアルカリ乾電池は1本150円。カメラを作動させるためには4本600円が必要だ。その経費を出来るだけ抑えようと値引きセールをしている大型店に足を運んでは電池を買うようにしていた。慎ましい努力をしていた。それがあだとなったのである。でも、まだ大型店というものを信頼していた。

  日曜日。今度は横手市に遊びに行ったついでに同市のショッピングセンターにある家電店で4本一組で450円の電池を手にした。しかし、買う前に店員に尋ねた。「電池にも不良品ってあるものですか」「いやー。余り聞いたことがないですね」。男性の店員はそう答えた。「実は自分はデジタルカメラを仕事に使ってるのだが、出来るだけ経費を抑えたいと大型店で安い電池を買ったのだが、入れ替えて数時間で電池がなくなるというのを何度か経験したんです」。店員は驚いたような顔をし、「購入される前に電池の製造年月日を確認しましたか」と言う。「いや」。そのようなものがあるとは知らなかった。店員は電池を手にしてその製造年月日の見方を教えてくれたが、粒のような細かい数字は弱った目には判断が辛い。ましてやそのような事には“アバウト”な自分は「まあ、いいや」と話を折り、「お宅なら大丈夫でしょう」と信頼を寄せて東芝の電池8本をその場で購入した。

  店員は「もしも同じような事があったらレシートを持ってきて下さい。すぐに交換しますから」と親切にも言ってくれた。気持ちよくその店を去った。数日して個人カメラ店で買った電池は予備の4本も含めて使い切ってしまったため、横手市で買った電池を入れ替えた。数時間後、パソコンに接続したカメラは再び作動しなくなった。接続コードの接触が悪いのかと思い、コードを抜いたり入れたりと、同じような作業を何度か繰り返したら、パソコンから「電池の容量が少なくなってます」との警告である。「そんなバカな!。さっき入れたばかりなのに・・・」。あわてて車に走り、その4本の電池は再び、ゴミとして放り投げ、残りのまだ未使用の電池4本を入れ替えた。しかし・・・。その新しい電池もパソコンは受け入れてくれず、「電池の容量が少なくなってます」の警告を出すばかりだった。

  とにかく仕事は済ませたい。読者にニュースを送り届けたい。仕方なく個人カメラ店に走って電池8本を購入した。カメラに入れ替え、パソコンに接続させた。生き返ったようにカメラのソフトは動きだし、パソコン画面にカメラ本体に収められている映像が鮮やかに映し出された。やはり電池が原因だった。電池の欠陥が原因だった。再び電池によるミスを犯したのである。

  「もしも何かあったらレシートと電池をお持ち下さい」。そう言った横手市の家電販売店の言葉が頭に浮かんだが、一呼吸をおいた。電池を買ってから既に3日以上の日時が経過している。確かに電池は不良品だった。しかし、その電池とレシートを手に横手の電器店に走ったとしてもどう解決がつくだろうか。第一に証拠がない。店員の目の前で電池のビニールカバーを取り外し、カメラに入れた結果、電池不足で作動しないとするなら相手も納得するだろうが、購入して3日以上も経過している。結局、バカらしくなった。900円のため、車を横手市に走らせても時間のムダであり、精神的にもムダだとも思った。

  結局、もう買うまいと決心することにした。電池メーカーが悪いのか、安売り店が悪いのかは知らない。ただ、そのようないい加減な商品が堂々と店頭に陳列されているという事だけを読者に伝えたい。この電池をめぐっては秋田市の加藤さんが県南日々の「読者の広場」を通じて「充電式の電池」を使ったらと教示してくれた。パソコン周辺機器に関しては、最初に与えられたモノ以外は使えないものとの思い込みが強い自分は、初めてその助言を受け入れ、昨日18日、再び市内の電器店に走って充電式の電池と充電器を購入した。6800円の投資である。それぐらいの投資でカメラが心配なく使えるというなら安いものである。

  それにしても商売というものは売る側と買う側との信頼関係で成り立っているはずである。なのにこんなにもいい加減な電池を取り寄せている電器店もあれば、それを出荷しているメーカーがあるとは・・・。先日はダイエー、イトーヨーカ堂などスーパー7社の食肉の安売りは、見せかけものだったと公正取引委員会が警告をした。

  太宰治がモノを売って歩く人間たちの狡猾さに嘆き、書いた「市井喧騒(けんそう)」と言う短編小説がある。百姓風俗の変な女から「この辺の百姓です」と嘘をつかれ、むりやりバラの木を押し売りされる。そして今度は40ぐらいの男から草花の球根を買ってくれと押しつけられ、辟易しながら、「市井に住むことのむずかしさ」に苦しむ。今度の電池事件(自分にとってはまさに事件である)、大型店という看板を頭から信頼して買い求めた結果が、不良品を買わせると言う悪質な裏切りである。信頼というものを消費者から奪うと言うことはそれこそ大型店、いやその流通を許した大メーカーにとっても“自殺行為”につながると思うのだが・・・。電池に振り回された3月の春となってしまった。もう買うまい。安売りのアルカリ乾電池なんか。いや、電池だけでない。その大型店で扱っている電気商品すべてが、今の自分の目にはどこかに欠陥が隠されているようにしか見えない。もう行くまい。そうも決心した。